大学院に行きたいと思った理由は、ずっとテレビ業界で働いていたのにメディアのことをほとんど何も知なかったから。当時インターネットも普及しつつあったので、これから先のメディアがどんなふうになっていくかを学びたかったんです。
私が入学した慶応義塾大学大学院の政策・メディア研究科は社会人向けの大学院ではなくて、大学を卒業した人たちがそのまま進学してきます。同期は23歳くらいの若者ばかりでみんな一回り以上も年下。でもすごく仲良くしてくれましたし、研究の面でも色々とお世話になりました。大学院の同期とはいまでもたまに会ってご飯を食べたりしています。
キャンパスが湘南(SFC)だったので、私は臨月になるまで自分で車を運転して湘南まで通っていました。大学院は自分の研究をするために行くところなので、普段の授業はもちろん、基本的には自分で過去の論文を読んだりして論文を書かなければいけない。大学の卒業論文の1000倍くらい、大学院の論文を書くのは大変でした。
大学院への進学にあたり、それまでやっていた仕事はセーブするようになり、出産のタイミングでテレビの仕事はすべて辞めました。大学院は通常2年で修了するのですが、私は出産・育児もあったので2年半で修了しました。助かったのは、SFCは先進的で当時からオンライン授業があったこと。私は出産後、家で子供にミルクをあげながらオンライン授業を聞いていました。
大学院を修了後、博士課程に進もうかどうか迷ったのですが、子育ても忙しかったので、研究員として大学院に残ることにしました。2006年頃からは非常勤講師として成城大学でメディア論を教えることに。教え子の学生たちを連れて日テレの見学に行くこともあります。