令和の大相撲 有望大卒力士の熾烈争奪戦
学生相撲における監督の影響力は大きく、指導者と本人の希望する入門先に齟齬が生じるトラブルも懸念されてきた。
「日体大で学生横綱を獲った北勝富士は当初、九重部屋へ入門する段取りだったが、本人が希望して八角部屋に入った。入門会見は通常は大学でやるが、北勝富士は八角部屋で行ない、卒業式にも参加せずに日体大OBとしての付き合いが切れた。他のOBと違って大学から化粧まわしも受け取っていない」(同前)
相撲協会はスカウト合戦に資金が投じられる実態について、「日本相撲協会ではわかりかねます」(広報部)とするのみだが、有望株争奪戦を激化させる新弟子候補の減少に関しては「伝統文化を守るため色々思案中です」(同前)とした。
慕われる稀勢の里
大の里の入門に際しては、二所ノ関親方の人柄や稽古場の環境を気に入った点が強調されている。
「これだけの大型新人ですから、いち早く宮城野親方も獲得に名乗りをあげたが、体験入門の末に二所ノ関部屋入りが決まった。様々な思案があったのでしょう。大の里の入門会見が日体大ではなく、出身高校の新潟県立海洋高校で行なわれたことからも、複雑な経緯が窺えます」(協会関係者)
海洋高校に入門会見の経緯を聞くと教頭が応対して「(会見は)本人の希望です。中学、高校と新潟・糸魚川の環境で過ごしたことで今があるから、という話でした」とし、通常は大学で会見が行なわれると聞くと、「そうですよね。こちらでは事情はわかりませんが、本人の希望に沿ったかたちです」とした。一方の日体大は「高校で会見をされた理由はわかりかねます。すでに卒業しているのでお答えできない」(広報課)との回答だった。
ただ、今回の獲得に際して二所ノ関親方が並々ならぬ熱意を見せたことはたしかなようだ。
「クリーンで実直、科学的トレーニングも学んだ稀勢の里を慕う入門希望者は多い。今回は四股名を『大の里』にしたが、これは稀勢の里自身が新入幕時に付ける可能性があった四股名。春秋園事件(※1932年に起きた力士の争議事件。交渉決裂により32人の力士が協会から離脱した。)で脱退するまで“相撲の神様”といわれた名大関『大ノ里』に由来します。
襲名にあたって稀勢の里は遺族らの了解を取り、日体大の監督にも話を通す手順を踏んだことで、初土俵が卒業後の5月場所になったといいます」(前出・ベテラン記者)