たとえば奇術師の伊藤一葉。ハンカチから鳩が出そうで出ず、「この件に関して何かご質問は……」と続ける台詞は流行語になりCMもつくられたそうだが、いま覚えている人はほとんどいないだろう。樋口一葉を愛読したこの元文学青年のことを、黒木華が樋口一葉を演じた永井愛作・演出の芝居『書く女』に結びつけ、哀惜をこめて描くことができるのは、こんにち矢野さんだけだと思う。
「昔の芸人は印象が強かったですね。いまみたいに数がいっぱいいるわけでもなかったし。だから、一発で、あれだけ爆発的に売れるってこともあったんでしょう」
伊藤一葉もそうだが、どうも矢野さんは元文学青年に温かい。矢野さん自身、かつては文学青年で映画青年だった。
「ぼくらの若いころの文学青年っていうのはだいたい不良少年でしたね。いまはもう不良少年って言葉を使わなくなったけど、そういうふるまいが反時代的精神のよりどころになった時代でした。娯楽じたい、文学と映画と演劇と野球ぐらいしかなかったしね」
この本を読んだ人が、「知らなきゃいけない、ってことを何にも書いてないね」と矢野さんに言ったとか。
「言われてみりゃあ、確かにそう(笑い)。芝居そのものよりも、観に行ったときのできごとや、劇場で会った知り合いとしゃべったことなんかの、どうでもいいことばかり覚えています」
やなぎ句会は、ぼくにとって学校でしたね
その「どうでもいいこと」がすばらしく面白い。
戦後すぐ、矢野さんの家の隣に、天下の二枚目、長谷川一夫が引っ越してきた。家の前でキャッチボールをしていて、そらしたボールを通りかかった長谷川一夫が投げかえしてくれたことがあり、学校で「長谷川一夫とキャッチボールをした」と自慢したが、誰ひとり信用してくれなかった、という話。
女優の岸田今日子が、「矢野さんて嘘ばかりついてるんですって?」とにっこり笑ったという、本で描かれた場面を思い出す。「嘘ばかり」というより、組み立て方で、とんでもなく面白い話にふくらませることができるのだろう。
ちゃりんこが、自転車だけでなく少年掏摸の隠語であったことなども書き留められ、東京の風俗史としても貴重な記録になっている。大阪万博の記念事業として「一九七〇年の大阪の藝」を収めたビデオテープをタイムカプセルとして埋めたことなども、矢野さんが書かなければ知ることもなかった。