現役時代よりもたくましくなったと話題にもなった羽生(今年4月)
昨年7月のプロ転向から、間もなく1年が経とうとしている。その間、アイスショーの出演や、スケーターとして史上初の東京ドームでの単独公演などを成功させ、変わらずファンを魅了している。さらに、YouTubeチャンネルを開設し練習風景を配信したり、日中国交正常化50周年を記念した式典に出席したりするなど、新たなチャレンジをし続け、今後これまで以上にワールドワイドな活躍が期待される。
「競技会中心だった現役時代と比べると、プロスケーターとしての活動は段違いに幅が広がります。アイスショーの全国展開に加え、イベントやメディアへの出演、関係者との打ち合わせのしやすさなどを考えると交通の便がいい東京を拠点にするという選択肢もあったことでしょう。しかし、羽生さんは変わらず仙台での生活を続けています」(前出・フィギュアスケート関係者)
そればかりか、羽生の私生活では最近、「生涯仙台宣言」とも感じられる変化があった。古くから羽生を知るメディア関係者が明かす。
「1か月ほど前ですが、もともと家族で暮らしていたマンションから、仙台市内の別のマンションに転居したんです。最上階の隣り合った2部屋を羽生さん名義で購入し、家族と一緒に移り住んだようです。仙台市内でも不動産価格が高いエリアにある高級マンションです」
父の退職を機に家族で引っ越し
「フィギュアってすごくお金がかかるスポーツなんです。将来的にはプロになって、いままで支えてくれた人に恩返ししたい」
かつて、羽生はインタビューでそう話していた。
「支えてくれた人の筆頭は、ほかでもない家族のことでしょう。マンション購入は、羽生さんが掲げてきた目標である“家族への恩返し”のひとつなのかもしれません」(スポーツ紙記者)
羽生は姉がスケート教室に通い始めたことに影響を受け、4才のときにスケートを始めた。以来、フィギュアスケートに心を奪われた少年の夢を支え続けてきたのが、家族だった。
「彼自身が言うようにフィギュアスケートにはお金がかかります。道具代やリンク代に加え、上を目指せば目指すほど、コーチ代や遠征費用がかさむ。小学生の頃には家族で“スケートをやめるかどうか”の話し合いが持たれ、お母さんが“私がパートを増やすから”と言い、続けることが決まったそうです。衣装もパートで多忙ななかお母さんが夜中までかかって手作りしていました」(前出・スポーツ紙記者)