「キグレサーカスだけでなく当時はサーカス自体が人気で、どこに行っても満員という時期だったんですね。だからこそ働く人も必要で、ぼくら親子も受け入れてもらえたんだと思います。いろんな人に話を聞いていくうちに、おぼろげだった自分の記憶の断片がどんどんつながっていくような感覚がありました」
どうしてものを書いているか、行き着くのはサーカスでの──
稲泉さんをサーカスに連れて行った母親の久田恵さんにも『サーカス村裏通り』という本があって、飽かずにサーカスのショーを眺める幼い稲泉さんの姿も描かれている。稲泉さん自身、何度も読み返してきた大切な本だが、サーカスにいた人たちに話を聞く前は少し読み返す程度だったという。
「自分が何度となく思い返してきたサーカスの記憶というものが、本当に自分が覚えているものなのか、母の本を読み返すうちに作られたものなのか。もしかしたら夢で見たものかもしれない。そういう自分の記憶を確認する旅でもあったので、読み返すと自分の記憶が影響されてしまうんじゃないかと思ったんですね。この本の取材で会ったのは、母にとっても懐かしい人たちですから、『こういう人がいたよ』とか『こういう話を言ってたよ』と伝えて、その時に『当時、ああだったよ』という話を聞いたりはしました」
インタビューをもとにしたノンフィクションのパートと、みずからの記憶の断片を掘り下げていく文章を交互に並べた。詩人の長田弘さんの「自分の記憶をよく耕すこと。その記憶の庭にそだってゆくものが、人生とよばれるものなのだと思う」という、稲泉さんが強く影響を受けた文章が本に引用されている。
「自分にとっての幼いころのサーカスの記憶っていうのが、そういうものなんだろうな、と思うんです。何度も何度も思い返して、時間をかけて耕していって、あとから意味が生まれてくるようなもの。
どうして自分はものを書いているか、もとを辿っていくと、行き着くのはサーカスでの体験なのかな、と、この本を書いて、そういう気持ちを抱きました」
【プロフィール】
稲泉連(いないずみ・れん)/1979年東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2005年『ぼくもいくさに征くのだけれど—竹内浩三の詩と死』で大宅壮一ノンフィクション賞を当時最年少の26才で受賞。ほかの著書に『アナザー1964 パラリンピック序章』『豊田章男が愛したテストドライバー』『廃炉—「敗北の現場」で働く誇り—』『「本をつくる」という仕事』『ドキュメント 豪雨災害─そのとき人は何を見るか』など多数。
取材・構成/佐久間文子
※女性セブン2023年6月22日号