創業のきっかけは、茨城の造り酒屋の次男坊が地元を出て、此処いらで店を構えたことだという。それが昭和初期のこと。栄えるようにと屋号に「太」の文字を入れた。
芳子さんは「『大店(おおだな)に嫁ぐんだから、大変なこともあろう。嫌ならばいつでも帰ってこい』と父が言ったのよね。あれから随分経ったわね」と、しみじみ昔を懐かしむ。
「いまじゃ、室(むろ)からお酒をカウンターに上げるのだって、お客さんに手伝ってもらわなきゃならないんだけどね。最近楽しいのは、お客さんが『北海道へ行ったよ』とか、あちこちからお土産を買ってきてくれることよ。それが本当に嬉しいの」
「ナニ言ってんだヨ。いつでもオレらを使ってくれればいいからさ。こっちはお母さんとお兄さんの顔を見るのが生き甲斐だからさ。だってオレたち、家族じゃん!」(45歳・自営業)と常連。
「オレはさ、事故を起こさず、命を落とさず、この店に帰ってきてお酒を飲むとホッとする。このカウンターの前に立つのが何よりの喜びなんです」(40代)
話に出てきた「お兄さん」こと店主・明久さんは、跡を継ぐまでは中学校の理科教師という経歴の持ち主。店内の板書の文字が読みやすいのは前職の名残だ。大きさといい、書体といい、収まりがいい。
「教え子が飲みに来てくれるんですよね。ここのカウンターで同窓会をやったこともありました。みんな高校生を持つ親になって。店を開けていると色んな人が来てくれるんですよ。例えば…
…近所にある老舗ライブハウスでフェスティバルがある日だとね、そこの楽屋が狭いから、出番前のバンドマンがここへ一杯ひっかけに来るの。革ジャンでキメた“オジサン”がここのカウンターにずらり並ぶと眺めが壮観(笑い)。この街はカッコいい“オジサン”や“オジイサン”がホント多いですよ」
そこへ、「なんだよ、今日は人が多いな? 取材…?」と勢いよく入ってきたのは40代の別の常連さん。近所に引っ越してきたことがきっかけで、岩太屋で立ち飲みデビューしたのだという。
「いい飲み場を知っちゃいました。酒屋で飲むなんて『非日常』でしょ。酒好きしか集まらないし、話好きしか集まらないから気持ちが弾むのよね。カウンターに色んな人生が並ぶのがおかしくて。だって懐具合だって全然違うのに、真横に並んで大笑いして同じ酒を飲む。人生勉強にこんなに最高の場所、ありませんね」
明久さんは、新しい立ち飲み客が少しずつ増えているのを肌で感じると話す。
「うちは女性のひとり客もいますしね。若い人も来ます。誰が来たって、常連さんが『はじめましてですよね?』と声をかけてくれて。ひとこと投げかけると百答えてくれる人ばかりだから、なんの心配もいらないんだよね。ここは、人見知りしない街なのかな(笑い)」
「『フェンスの向こうはアメリカだ!』なんつってた子供のころ、ジャリ銭握ってジュース買いに来てた酒屋で、大人になったら飲むんだもんなあ。時は流れるよなあ」(70代)と語る客が皆と賑やかに傾ける酒は『焼酎ハイボール』。
「ほらね、お母さんのこの笑顔を見ながら飲むのが最高なのよ! スッキリしていて甘くない。今日もキリッとうまいねぇ」(60代)
■岩太屋
【住所】横浜市中区本牧町1-36
【電話】045-622-8566
【営業時間】9時半~20時
原則無休(不定期に休日あり)
焼酎ハイボール260円、ビール大びん490円、カリポリ420円、ほたてのしぐれ煮540円、鯨のすじ煮缶405円、おさかなソーセージ70円