「僕は映画という出来の悪い恋人を持ってしまった」と自著で語る関本氏
またテレビドラマについても貴重な逸話ばかりだ。
関本郁夫は1980年代から2000年代にかけ、膨大なテレビドラマを演出する、代表作と言えるのは千葉真一が主演した『服部半蔵 影の軍団』シリーズ(フジテレビ系 1980年~)で、同じ東映出身の千葉真一とはウマが合い、第2部、第3部では最終回を担当するほど重用された。が、そんな関本が同作品の第4部は1話も担当していない。理由は千葉との間にトラブルがあったからだが、揉め事の発端、決裂、復縁までも隠すことなく赤裸々に書かかれている。
1994年、関本郁夫はいちど背を向けたはずの東映京都撮影所に呼び戻される。宮尾登美子原作、かたせ梨乃主演の大作『東雲楼 女の乱』の監督依頼だった。低予算作品で監督になった異端の監督は、20年後、押しも押されぬ大監督になった。それを足がかりに、関本は東映最後の任侠映画とされる『残侠 ZANKYO』(1999年)で自身の原点へ回帰する。この作品に対する関本の思いには、撮影所の下っ端助手からスタートし、艱難辛苦を乗り越え大監督へ功成り名を遂げた反骨精神、苛烈なる胸中が凝縮されている。
やがて関本は人気シリーズだった「極道の妻たち」シリーズもまかされ、岩下志麻の当たり役だった極妻役を高島礼子に世代交代させる。美人女優の高島にも、時に大胆な肌の露出を要求し、夫以外の男に抱かれる汚れ役を演じさせた。そんな強気の演出が可能だったのも、彼がかつて経験してきた裏街道の映画術が実になったのだと分かる。
助監督時代に任侠映画に関わり、お色気映画で監督になった。SM映画まで撮りながら、やがて時代劇、2時間サスペンスの旗手として活躍、そしてついに東映で任侠映画のメガホンをとり、新世代の「極妻」を作りあげる。本書は関本郁夫の個人史のみならず、昭和・平成の大衆活劇の歴史絵巻ともいえる。こんな本は他に類を見ない。
関本は本書の終盤で、自主制作映画に手を出し財を失ったことを振り返り、こう書いている。
「僕は映画という出来の悪い恋人を持ってしまった」
だが、人間は不出来な異性ほど魅了されることもある。本書を読み終えれば、きっとあの頃の、アクションと猥雑さ満載の映画、テレビドラマが再び見たくなるはずだ。