千葉真一一覧

【千葉真一】に関するニュースを集めたページです。

オスマン・サンコンさん(写真/五十嵐美弥)
オスマン・サンコンさん、アニキと慕った千葉真一さん長男・新田真剣佑との意外な交流を語る
 日本で活躍する外国人タレントは大勢いるが、アフリカ出身タレントは限られる。1980年代半ばから1990年代に活躍したオスマン・サンコンさん(73)はその1人。アフリカ西部のギニア共和国出身で、バラエティ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ)などにレギュラー出演していた。下ネタ好きの明るいキャラクターで人気だったが、最近はテレビで見なくなった。サンコンさんの今を直撃した。 * * *「もう70過ぎたけど、耳はよく聞こえるし、視力は1.2。歯も全部自分の歯で、虫歯も1本もないんです。ただ、たまにお酒を飲みすぎちゃって、健康診断でγ-GTPの値が高く出ると、お医者さんに『お酒を控えてください』と言われちゃう(笑い)」 取材当日、スーツ姿で現れたサンコンさんの左胸には、菊花紋章のバッジがキラリ。「天皇陛下から旭日双光章をいただいたんです」と、誇らしげだ。 ギニア大使館補佐官のサンコンさんは、2000年に発足したギニア日本交流協会で、母国の恵まれない人々のために活動してきた。ギニアに日本の衣料品や医療器具、消防車などを送ってきた功労を表彰され、数々の勲章を受賞。胸にはほかにも観光大使を務める鹿児島県・徳之島のバッジや、応援するウクライナ国旗のバッジなどを付けている。「コロナ前まではイベントも含めて月4、5本仕事があって、結構忙しかったんですよ。でもコロナの影響もあって、特に講演はほとんどなくなったね。ここ2年は、家の近くの公園を散歩したり、高校2年生の三男とバスケットボールをするぐらいしかできなくて……。僕、これでも子どもの頃はサッカー選手になりたくて、サッカーを頑張ってたんです。でも、右脚のアキレス腱を断裂して、手術の失敗で脚が不自由になってあきらめた。兄弟に『サッカーできないならあっちに行け』とのけ者にされて、悔しくて一生懸命勉強したんです」69歳で4度目の結婚“ギニアの東大”コナクリ大学に進学し卒業後、仏・ソルボンヌ大学に国費留学。帰国後の1972年、ギニア外務省に入省し、一等書記官として来日した。サンコンさん、超エリートなのだ。「日本には、ギニア大使館を設立するために来たの。日本語をイチから覚えて8年間勤務して、その後、米国のワシントンD.C.に転勤になって3年間。一度、ギニアに帰国したんだけど、外務省を休職して補佐官の立場で昭和59年(1984年)にまた日本に来て、それから『笑っていいとも!』のオーディションを受けてテレビに出るようになった。有名になろうとしたんじゃなくて、ギニアのことを日本の人たちにもっと知ってもらおうと思ってね」 外務省を休職してまで来日したのは、渡米前に日本女性と結婚し長男・勇さんが誕生したから。38歳になった勇さんは一時、レゲエグループで” DJヨンコン” として活動していた。「今はイオンの下請けのスーパーの店長として、真面目に働いているよ。三男はいま、千葉ジェッツふなばしのユースチームでバスケのプロを目指してます」 ギニアは一夫多妻制。サンコンさんは勇さんの母親と結婚前に、ギニアで結婚し第一夫人がいるほか、日本でこれまでに3度結婚し合計3人の妻、3男2女の子どもたち、2人の孫娘がいる。サンコンさん、なかなか艶福家なのだ。「最後の結婚は4年前。相手は19歳年下の北山みつきという歌手です。みつきはチャリティー活動にも熱心で、アフリカの子どもたちにランドセルを送ったりしていたし、シャンソンを歌っててフランス語のアクセントがすごくいい。僕は日本に来る前にフランスに留学していたから、みつきがフランス語で『愛の讃歌』を聞いたとき、懐かしさで胸がジーンとして涙が出て……キレイだし、ボインだし、それでコロッとなったの(笑い)」 69歳で結婚するエネルギー、さすがサンコンさん。「何人も奥さんがいるっていうと日本人に驚かれるけど、僕のオヤジも奥さん5人いて、僕は22人きょうだいなんですよ(笑い)。オヤジに『どのお母さんとも平等に接しなさい』と教わったから、僕も奥さん、子どもに平等に接している。ギニア人の奥さんたちは、前の結婚で生まれた子どもたちもいるから、その子どもたちも合わせると、子どもは全部で15人います。でも、その血の繋がらない子も、自分の子と差別しない。みんなかわいい。ギニアには毎月仕送りして、み~んなの生活費も学費も医療費も全部面倒みているから、みんな家族。まぁ、奥さんたちがヤキモチやいたりすることはあるけどね(笑い)」 テレビで活躍していた頃は年収2億~3億円だったというから、大家族を養うほどの甲斐性もあったわけだ。「ギニアに土地買って、家を4軒もってて、みんなを住まわせてる。CM出演料が大きかったね。でも、事務所の人に1億円持ち逃げされちゃったんだよ(笑い)」 現在は日本で結婚したギニア人妻と、その夫人との間にできた子ども2人と、都内のマンションで暮らす。意外すぎる新田真剣佑との関係性 最初の来日から50年。コロナ前までは母国ギニアに年1回帰国していたが、コロナで帰国できなくなり、この2月に北山さんを伴い5年ぶりに帰国した。「2か月間滞在しました。日本に来てからは帰国しても1週間以上いたことがなかったから、こんなに長く滞在したのは初めて。みつきと一緒にギニアに会社を作ったり、銀行口座を開設したり、いろいろしてたから時間がかかったの」 ギニアのゴミ問題を解決しようと、ゴミ処理工場やリサイクル工場を建設する計画だそう。なかなか壮大な話だ。「僕の兄弟は文部大臣や農林水産大臣をやってたから、サンコン家は力がある。これからは、貧富の差を無くす活動やSDGsを意識した活動をしていきたい。日本とギニアの間で貿易をする会社もやろうと思ってるの。ギニアは資源が豊富で、アルミニウムの原料のボーキサイトの産出量は世界トップレベルだし、鉄鉱石やレアメタルもたくさんあるから、日本とギニアの貿易は日本のためにもいいでしょ? これまではほとんど日本で暮らしていたけど、これからはギニアにいる時間を増やして、日本とギニアで過ごす時間を半分半分にしたい。73歳になってギニアが恋しくなってきた、という気持ちもあるね」 いやいや、73歳と思えないほど元気ハツラツだ。「実はこの4月に千葉真一さんが作ったJAC(JAPAN ACTION CLUB)の顧問になったんです。千葉のアニキとは、僕がデビューして間もない頃に知り合ってからの仲で、それからずっと親しくしてたから、去年、コロナでアニキが亡くなったときはものすごくショックだったよ」 生前の千葉さんは、アフリカ54か国を舞台にした、3人の女忍者の映画を企画、サンコンさんも出演予定だったという。資金の問題で実現はしなかったのだが、それにしても、千葉さんとサンコンさんが親しい仲だったとはビックリだ。「千葉さんはサムライね! アニキほどアフリカのことを考えてくれた俳優はいなかった! 長男のマッケン(新田真剣佑)もよく知ってるけど、彼もいつもアフリカの子どもたちのことを気にかけてくれる。実は去年も、ギニアに文房具とかウォーターボトルとか、Tシャツを200枚くらい送ってくれたんですよ。マッケンはそういう話を外ではあんまり言いたがらないけど、子供たちはすごく喜んでたよ!」 日本とギニアのために、まだまだがんばってほしい。◆取材・文/中野裕子(ジャーナリスト)
2022.06.24 11:00
NEWSポストセブン
千葉真一さん、真剣佑と郷敦に遺した「秘すれば花」「離見の見」の言葉
千葉真一さん、真剣佑と郷敦に遺した「秘すれば花」「離見の見」の言葉
 日米を股にかけて活躍した千葉真一さん(享年82)が亡くなったのが昨年8月19日のこと。映画に人生を捧げた千葉さんは、一方で弟子や家族を思いやり、子供たちにも等しく愛情を注ぐ子煩悩な父親でもあった。長男の新田真剣佑(25才)が日本で本格的な芸能活動を始めたのは2014年。千葉さんが繰り返し教えたのは俳優としての基本的な心構えだった。千葉さんの愛弟子でジャパンアクションクラブの代表を務める西田真吾氏はいう。「ひとつのセリフに込められた意味を考え抜き、演じる人物の生い立ちまで深く掘り下げることが大切だと説いていました。当時の真剣佑は『イッツオーケー』と聞き流していましたが、いまも彼の血肉になっています」(西田氏) 次男・眞栄田郷敦(22才)の経歴は異色だ。岡山の高校に進学し両親と離れて暮らした彼が当初、目指したのはサックス奏者だった。「吹奏楽部で部長を務めたほどの腕前で、芸大を受験したものの不合格。兄のアドバイスもあって役者を志してからは千葉さんの家に住み込みで、猛特訓の日々でした。外郎売や早口言葉などの基本から叩き込まれ、あまりの厳しさに逃げ出したことも何度かあったといいます」(郷敦の知人) 兄の背中を追う郷敦に千葉さんはこう告げた。「真剣佑は天才型だが、お前は努力を積み重ねないとお兄ちゃんのようにはいかない。ただ、それをやり遂げれば、最後に勝つのはお前だ!」 千葉さんともっとも長い時間を共にしたのは長女の真瀬樹里(47才)。「千葉さんからあれほど熱心に殺陣を指導してもらったのは樹里さんくらいではないでしょうか。常に彼女に合う役を探して回り、2003年のハリウッド映画『キル・ビル』と2007年のNHK大河ドラマ『風林火山』で親子共演も果たしています」(樹里の知人) 千葉さんは生前、3人の子供たちに室町時代に活躍した能楽の大家・世阿弥の言葉を贈っている。真剣佑には、「隠すということの中にこそ感動がある」という意味を込めて「秘すれば花」を、郷敦には客観的な目線を持つべしとする「離見の見」、樹里には限りない芸の向上を目指してほしいと「初心忘るべからず」を書にしたためて授けた。西田氏は書斎にこもって、筆を手にする千葉さんの姿がいまも脳裏に焼き付いているという。「これじゃない、この字は違うと紙を破いては、何度でも書き直していました。『秘すれば花』の意味を図りかねる真剣佑に千葉さんは水鳥を例に出し、水の下で見えない部分をおろそかにしなければ、目に見える部分の表現も豊かになるとわかりやすく解説していました」(西田氏) 近年、目覚ましい成長を遂げた3人の姿に千葉さんは目を細めていたという。昨年4月には、真剣佑が出演した映画『るろうに剣心 最終章 The Final』を密かに劇場で鑑賞し、「マッケンは俺を超えた!」と涙を流さんばかりに喜んだ。Netflixで配信予定のドラマ『ワンピース』の撮影で現在も海外に滞在する真剣佑は、1月22日に都内で行われた千葉さんの「お別れの会」に、郷敦と連名で次のようなメッセージを寄せた。《父と同じ俳優となり、生前父が見つめる景色をぼんやりとですが最近、やっと見え始めたところです。今となっては、その先に父が何を見つめていたのか、もっと話しておけばよかったと思っています》 千葉さんの“遺言”は間違いなくいまも彼らの心の中に息づいている。※女性セブン2022年3月3日号
2022.02.18 16:00
女性セブン
生前整理といって燃やした千葉真一
晩年の千葉真一さん「断捨離だ」と言って貴重な私物を燃やして身辺整理
 昨年8月19日に新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した千葉真一さん(享年82)。非業の最期を遂げたスター俳優が死の間際まで気にかけていたのは3人の子供たちのことだった。「千葉さんが子供たちに役者になれと言ったことはありません。ただ、幼い頃から空手を習わせ、『あいつらは何をやらせてもセンスがある』と顔をほころばせたものです。彼らが芸能界で活躍するようになってからは『二世俳優であってもニセの俳優にはなるな』、『俺を超えなければ本物じゃない!』と厳しい言葉もかけていました」(千葉さんの知人) 2度の離婚歴がある千葉さんには最初の妻、野際陽子さん(享年81)との間に長女の真瀬樹里(47才)、再婚した一般女性との間に新田真剣佑(25才)と眞栄田郷敦(22才)がいる。いずれも父と同じ道をたどり、それぞれが映画やドラマ、時代劇などで活躍する文字通りの俳優一家である。 亡くなる2か月前、千葉さんは事務所のスタッフを集めてこう切り出した。「俺も、もう年だ。息子たちは頑張っているが、この世界はいつどうなるかわからない。子供たちのためにもいまのうちにきちんとしておきたい」 昨年6月に設立された「エム&リーヴス」は、真剣佑も取締役に名を連ねる千葉さんのマネジメント会社。社員の前で千葉さんは今後の事業や息子たちの将来について考えを打ち明けていた。 千葉さんの直筆署名入りの議事録には、それまで複数あった会社の事業を統一することや、全著作権を同社が引き継ぐことなどが決定事項として記されていた。社名の「M」は真剣佑のイニシャルで、ゆくゆくは弟の郷敦が合流する構想もあったという。取締役の村上和義氏が振り返る。「日本の映画界に忸怩たる思いを抱いていた千葉さんは、息子さんたちがご自身の映画の企画やアイディアを受け継いでくれることを願って止まなかった。将来的には世界的なエージェントとして『ハリウッドと日本の懸け橋になってほしい。それが私の夢だ』と言っていました」 実は、コロナに感染する前から千葉さんには自身の最期を予期していた節があった。千葉さんの愛弟子でジャパンアクションクラブの代表を務める西田真吾氏が明かす。「昔に比べて体の自由がきかなくなっていたことは事実です。朝起きると膝や足が硬直して、日課のジョギングも思うようにはできなくなっていた。一昨年末頃から『俺はもう長くない』と弱音を漏らすようになり、『断捨離だ』と言って私物を燃やして身辺整理をし始めたのです」 中には歴史的な価値のある衣装や小道具もあったため、西田氏は千葉さんと真剣佑の同意を得た上で一部の私物を譲り受けたという。「その件が『FRIDAY』(2月10日発売号)で、“樹里さんが相続すべき遺品を無断で持ち出した”と報じられたのです。生前のことで相続とは関係がなく同誌の指摘は事実に反するものでした」(西田氏) その後、西田氏らを千葉さんの死を利用する取り巻きの“黒幕”として告発した当事者が、『週刊女性』(2月15日発売号)で事実誤認があったことを認めて謝罪する一幕も。だが、西田氏は怒りを隠さずにこう語る。「『FRIDAY』の報道には事実と反することが多く、自分には確認取材さえありませんでした。誰かが意図的に家族を分断しようとしているとすれば憤りを禁じ得ません。私たちだけでなく、故人の尊厳までもが傷つけられてしまった」※女性セブン2022年3月3日号
2022.02.17 11:00
女性セブン
弟・眞栄田郷敦
千葉真一「お別れの会」2つの会が同日開催 背景に異母姉弟間の軋轢
 毀誉褒貶の激しい人ではあったが、本人も予想だにしなかっただろう死後のトラブルが起こっている。しかも、それが娘と息子の間で起きているというのだから、穏やかではない。骨肉の争いはなぜ起こったのか──。 昭和の大スター・千葉真一さん(享年82)が新型コロナウイルスによる肺炎で急逝したのは、昨年8月のこと。彼の誕生日の1月22日に行われる“お別れの会”が、周囲の困惑を招いている。12月1日、千葉さんが設立したJAC(ジャパン・アクション・クラブ)を継承するメンバーが発起人となる「さらば!千葉真一」と銘打った「お別れの会」の開催が発表された。しかし、それから3週間後、同じく1月22日に「千葉真一 “偲ぶ会”」が開かれることが明らかになった。「偲ぶ会」は、千葉さんが一時期所属していた芸能事務所が取り仕切るという。 千葉さんには3人の子供がいる。1973年に結婚した野際陽子さん(享年81)との間に生まれたのが、長女・真瀬樹里(47才)。離婚後、1996年に再婚した一般女性との間に長男・新田真剣佑(25才)と次男・眞栄田郷敦(21才)が誕生。「お別れの会」は真剣佑と郷敦が関わっており、対抗する形となった「偲ぶ会」は、樹里が喪主を務める。「偲ぶ会」の発起人には、東映の手塚治社長、千葉さんの故郷である千葉県の熊谷俊人知事のほか、映画監督の三池崇史氏や深作健太氏、市川猿之助、谷隼人、そして千葉さんの愛弟子だった真田広之ら約20人もの錚々たる面々が名を連ねている。千葉さんの知人が寂しそうに語る。「故人を送る会が2つに分裂しているのは、生前の千葉さんの行いによるところが大きい。映画や俳優養成学校への投資の失敗などで多額の借金を抱え、私生活では2度の離婚を経験。でも魅力的な人だから彼を支援したり、師事する人は少なくなかった。両方の会にJAC関係者の名前がありますが、“どちらが正当な千葉さんの後継者か”という対抗心のようなものを持っている人もいるのかもしれません。 おそらく真田さんや発起人の面々は、まさか姉弟が分断されかねない状況だとは思ってもいないことでしょう」姉弟間にある「小さくない溝」 樹里や真剣佑も巻き込まれたといえるのかもしれない。だが、彼らが開催日を変えるよう提案したり、名前を連ねることを拒否するなど、関係者やファンの混乱を招かない工夫ができたはず。姉弟間に「小さくない溝がある」という声も聞こえる。前出の千葉さんの知人が続ける。「母親は違いますが、3人は決して“不仲”というわけではなく、一緒に仲よく食事をすることもありました。しかし、4、5年ほど前から次第に“関係がギクシャクしている”という噂が耳に入ってくるようになったんです」 異母姉弟の間に軋轢を生んだのは、偉大なる父親との“距離感”だったという。「真剣佑さんは高校卒業まで千葉さんとともにアメリカで暮らしていましたが、卒業後は父親の後押しで日本の芸能界に入りました。千葉さんは彼を連れて一緒にバラエティー番組に出演したり、彼の才能を褒めたたえるコメントを出すなど、真剣佑さんを全面的にバックアップした。 弟が人気者になっていく姿を、樹里さんも最初は温かく見守っていました。ただ真剣佑さんの人気が出るにつれて違和感が強くなっていったようです。父親の名前ではなく自分の実力で勝負したいという真剣佑さんと、“もっと父親へしっかり感謝を表すべき”という樹里さんの考えはすれ違っていった」(前出・千葉さんの知人) 姉弟の確執を決定的にしたのが、10月8日に営まれた千葉さんの四十九日法要だという。海外での仕事のため真剣佑は葬儀に続いて、四十九日法要をやむなく欠席。いずれも取り仕切ったのは樹里だった。「真剣佑さんは緊急帰国したものの、当時は海外からの帰国者は2週間隔離が義務付けられており、結果的に四十九日も参加できず。これには樹里さんも落胆していました。関係者が樹里さんの手元にある千葉さんの遺骨を一時的に預かり、コロナ隔離されている彼のもとに届ける形で1日だけ“対面”を実現させる予定でした。しかし、その調整段階でもイザコザが生まれてしまった。 結局、真剣佑さんは遺骨に対面できないまま、納骨が行われました」(前出・千葉さんの知人) 2つの会が同日開催という異例の事態の背景には、関係者のさまざまな感情が入り乱れているようだ。千葉さんは草葉の陰で、どんな思いを抱いているのだろうか。※女性セブン2022年1月20・27日号
2022.01.06 07:00
女性セブン
真剣佑
千葉真一さん「お別れの会」が分裂トラブル 真剣佑が「発起人の名前」に困惑
 昭和の大スター・千葉真一さん(享年82)が新型コロナウイルスによる肺炎で急逝したのは、昨年8月のことだった。死の瞬間に家族は誰一人立ち会うことができず、コロナ禍ゆえに葬儀は密葬でひっそりと営まれた。あれから5か月。千葉さんを偲ぶ声に押され、彼の誕生日の1月22日に、“お別れの会”が催されることになった。だが、それが、ファンや関係者を困惑させている。 発端は、12月1日に発表された、「さらば! 千葉真一」と銘打った「お別れの会」だった。千葉さんが1970年に設立したJAC(ジャパン・アクション・クラブ)を継承するメンバーが発起人を務める。「東京の増上寺で行われる予定で、多くのファンや関係者の参列を見込んでいます。ところがこの会の発表から3週間後、同じ1月22日に『千葉真一“偲ぶ会”』が開かれることが明らかになった。名称は違いますが、どちらも故人を送る会です」(芸能関係者)「偲ぶ会」は千葉さんが一時期所属していた芸能事務所が取り仕切り、東京都内のホテルで催される予定だ。なかには「どちらの会に出席すれば、千葉さんが喜んでくれるのか」(60代女性)と悩む往年のファンもいる。なぜ同じ日に、別々の会が開かれることになったのか──。 千葉さんには3人の子供がいる。1973年に結婚した野際陽子さん(享年81)との間に生まれたのが、長女・真瀬樹里(47才)。離婚後、1996年に再婚した一般女性との間に長男・新田真剣佑(25才)と次男・眞栄田郷敦(21才)が誕生した。 樹里は1994年に女優デビューし、多くの時代劇や刑事ドラマなどに出演してきた。2004年にはハリウッド映画『キル・ビル』で千葉さんと共演している。真剣佑は映画『ちはやふる』シリーズなどで“国民的イケメン”としてブレーク。昨年4月からは拠点を海外に移し、Netflixが配信する実写版ドラマ『ONE PIECE』のメインキャストにも選ばれている。郷敦は『ノーサイド・ゲーム』『プロミス・シンデレラ』(ともにTBS系)などのヒットドラマに出演、いま最も注目を集める若手俳優である。 父の姿を追うように芸能界で活躍する姉弟が、いま、「お別れの会」と「偲ぶ会」をめぐって、完全に分裂状態にあるという。「実は、『お別れの会』は真剣佑さんと郷敦さんがかかわる会で、対抗する形となった『偲ぶ会』の喪主は樹里さんが務めているんです。『偲ぶ会』には真剣佑さんと郷敦さんも名を連ねていますが、当初2人は“正式に許可した覚えはない”と強く抗議。結果、現在、『偲ぶ会』の公式ホームページでは、2人の名前の横に“欠席”と書かれています」(真剣佑の知人)「偲ぶ会」の開催が発表された5日後、真剣佑と郷敦が連名で「お別れの会こそがぼくたち兄弟の弔意です」との異例のコメントを発表した。一方、「偲ぶ会」を取り仕切る芸能事務所の代表に聞くと、こう語気を強める。「詳しくは話せませんが、発起人を見ていただければ、どちらが正当な会かがわかると思います」「偲ぶ会」の発起人には、東映の手塚治社長、千葉さんの故郷である千葉県の熊谷俊人知事のほか、映画監督の三池崇史氏や深作健太氏、市川猿之助、谷隼人ら約20人もの錚々たる面々が名を連ねている。最も真剣佑サイドを驚かせたのは、真田広之(61才)の名前だった。「真田さんは1973年にJACに入り、千葉さんの愛弟子としてめきめきと頭角を現し、いまでは日本を代表するアクションスター。しかし、1989年のJAC独立後、師弟は疎遠になっていました。2019年に行われた千葉さんのデビュー60周年とJACの50周年を兼ねた会では、声をかけられたのに参加を断り、千葉さんも残念がっていました。 もう千葉さんにはかかわりたくない、そんなふうに思っていたのに『偲ぶ会』では発起人に名を連ねた。ハリウッドでも活躍する真田さんは、真剣佑さんにとっても憧れの存在ですが、今回の件で、“なぜ騒動を大きくするようなことを……”と困惑。発起人を含む『偲ぶ会』サイドに対して、憤慨しているようです」(前出・真剣佑の知人) 穏やかではないこの争いを、千葉さんはどんな思いで見つめているのか。※女性セブン2022年1月20・27日号
2022.01.05 07:00
女性セブン
追悼・千葉真一さん「飛び降りるぞ!」といきなり言われ…谷隼人が明かす秘話
追悼・千葉真一さん「飛び降りるぞ!」といきなり言われ…谷隼人が明かす秘話
 2021年は、著名人の訃報が相次いだ年でもあった。人々に私たちを励まし楽しませてくれた彼らは、どんな言葉を残したのか。在りし日をよく知る人に、思い出に残る秘話を語ってもらった。 走っているジープから華麗に飛び降りるなど、自ら体を張ってアクションに臨み、日本のアクション映画を切り開いた故・千葉真一さん(享年82)。後輩たちには「肉体は俳優の言葉である」と、常々語っていたという。 この言葉の真意について、ドラマ『キイハンター』(TBS系)で共演した谷隼人(75才)は次のように語る。「千葉さんは言葉で具体的にアドバイスをするというよりも、体で表現する人でした。元体操選手で、学生時代は五輪代表を目指していたような人でしたからね。『キイハンター』の撮影で、走っているジープに乗っているシーンでは『おい谷、飛び降りるぞ!』って、いきなり言われるんですよ。『えっ? 飛び降りる? 何も教わってないのに?』と焦っていると、千葉さんは体を丸めて鮮やかに飛び降りていく。ぼくはそのあとを見よう見まねでついていく感じで、必死でしたね」(谷・以下同) 千葉さんにとって、肉体はすべてだったと、振り返る。「千葉さんは体に気を使っていたと思います。酒もあまり飲まないし、劇中ではたばこをふかすシーンもありましたが、煙はなるべく吸わないようにしていたんじゃないかな。アクションもいま風にワイヤーを使うのではなく、ミニトランポリンを使って、人間本来の体の動きにこだわって見せていたというか……。80才でも若々しかったですし。 イベントなどでご一緒したときは、“また『キイハンター』をやりたいな”という話で盛り上がりました。 ぼくが千葉さんの動きを直接見ていろいろ覚えたように、真のアクションを、体を張ってもっともっと若手に伝えてほしかったですね」【プロフィール】谷隼人/俳優。東映映画『網走番外地シリーズ』などに出演。実力派俳優として映画、ドラマなどで幅広く活躍中。※女性セブン2022年1月6・13日号
2021.12.21 16:00
女性セブン
田中邦衛
追悼2021・男性編【1】 田中邦衛さん、田村正和さんなど忘れられない人たち
 この国がまだ若々しかった時代から、芸と技で私たちを元気づけてくれた。今なお輝きを放ち続ける男たちを、けっして忘れることはない。2021年にこの世を去った、芸能界やスポーツ界で活躍した人々を振り返る。●栃ノ海晃嘉さん 横綱 1月29日死去 享年82 177センチ、110キロの小兵力士ながらも大鵬、柏戸に次ぐ第49代横綱に。昭和39年の夏場所では、千秋楽に大鵬を下手投げで破って3回目の優勝。“魅せる力士”で技能賞を6回獲得した。●古賀稔彦さん 柔道家 3月24日死去 享年53“平成の三四郎”の異名を取った。1992年のバルセロナ五輪では、大会直前に吉田秀彦との練習中に左ヒザを負傷。出場を危ぶまれたが、71キロ級で金メダル獲得。日本中の涙を誘った。●田中邦衛さん 俳優 3月24日死去 享年88 映画『若大将』シリーズで加山雄三のライバル・青大将を演じて脚光を浴び、ドラマ『北の国から』(フジテレビ系)では寡黙で不器用な黒板五郎役が評判を呼んだ。紫綬褒章、旭日小綬章受章。「邦さんは日本の父親像の典型でしょう。そもそも、とても家族を大切にしていた人なんです。どこか懐かしみのある、人懐っこいところは『北の国から』の黒板五郎そのもの。4年ほど前にお宅に遊びに行った時、中原中也の詩を2編ほど読んでくれたんです。『頭の体操に、読んでいるんだ』とのことでしたが、その様子は、まさに五郎さんでした」演出家・杉田成道氏)●田村正和さん 俳優 4月3日死去 享年77 阪東妻三郎を父に持つ名優。1961年に映画『永遠の人』でデビュー。1970年代に『眠狂四郎』、1980年代に『うちの子にかぎって…』(TBS系)、1990年代に『古畑任三郎』(フジテレビ系)と年代ごとに代表作を生んだ。「今思うのは『兄貴、早すぎるよ』ということです。正和兄貴は完璧主義の俳優でした。台詞を覚える集中力もすごいし、役に自分を合わせるのではなく、役を自分に引っ張ってくるというような、希有な役作りをしていました。でも、共演したドラマ『乾いて候』(1984年)の時は睨み合う場面があって、兄弟で『照れくさいな』と笑い合ったのを覚えています」(俳優・田村亮)●チャーリー浜さん お笑いタレント 4月18日死去 享年78「~じゃあーりませんか」のギャグで1991年に「新語・流行語大賞」年間大賞を受賞。ほかに「ごめんくさい」「君たちがいて僕がいる」「あのさ、僕さ、どっこいさ」などのフレーズが人気を呼んだ。●神田川敏郎さん 料理研究家 4月25日死去 享年81 中学卒業後、老舗料亭「なだ万」などで修業し、1965年に大阪・北新地で「神田川」を開店。素材やジャンルに捉われない“新日本料理”を提唱し、『料理の鉄人』などテレビにも引っ張りだこだった。●小林亜星さん 作曲家 5月30日死去 享年88 レナウンや日立グループのCMソング、『狼少年ケン』『怪物くん』『魔法使いサリー』『キックの鬼』のアニメソング、西武ライオンズ球団歌から都はるみ『北の宿から』などの名曲を生み出した。●寺内タケシさん ギタリスト 6月18日死去 享年82 卓越した技術で“エレキギターの神様”と呼ばれた。「エレキを弾くと不良になる」という風評に反発し、1974年から42年間にわたって全国1500か所以上の高校でコンサートを開催。2008年緑綬褒章受章。●千葉真一さん 俳優 8月19日死去 享年82 スタントマンを使わないアクションスターとして、ドラマ『キイハンター』(TBS系)や映画『戦国自衛隊』などに出演。1970年「ジャパン・アクション・クラブ」を設立し、真田広之らを輩出した。「3か月前に「北海道で映画を撮る目処が立った」と電話で話したばかりです。自分の肉体は美しくなければならないという哲学をお持ちで、いつか母校の日体大にアクションスターを育成する学科を作ってほしいとおっしゃっていました。たくさんの夢を持ち、追い続けられる人だったからこそ、いつまでも若さを保っておられた。本当に残念です」(松浪健四郎・日本体育大学理事長)●すぎやまこういちさん 作曲家 9月30日死去 享年90 フジテレビで『新春かくし芸大会』などを制作する一方、作曲活動を開始。『恋のフーガ』『学生街の喫茶店』などのヒット曲をリリース、ゲーム『ドラゴンクエスト』シリーズでは500曲以上を創作した。●柳家小三治さん 落語家 10月7日死去 享年81 1969年に異例の17人抜きで真打ちに昇進。絶妙な人物描写で『小言念仏』『長屋の花見』などの滑稽ばなしを得意とし、2014年には5代目柳家小さん、桂米朝に次いで落語家3人目の人間国宝に。●古葉竹識さん 元プロ野球選手、監督 11月12日死去 享年85 現役時代、広島で盗塁王を2度、オールスターMVPを2度獲得。1975年、シーズン途中で広島カープの監督に就任。11年間でリーグ優勝4回、日本一には3回輝いた。「入団2年目に両打ちへの転向を古葉さんに進言され、野球人生が開けました。盗塁は自由に任され、失敗しても怒られないのですが、走らないと檄を飛ばされました。優しい顔のまま蹴られる時もありましたが、愛情を感じました。古葉さんが東京国際大学の監督になられた時、自ら車を運転して校内を案内していただきました。もっと野球の話を聞きたかったです」(野球解説者・山崎隆造氏)●中村吉右衛門さん 歌舞伎俳優 11月28日死去 享年77 絶妙な台詞回しと表現力で2011年に人間国宝、2017年に文化功労者に選出された。時代劇『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵役でもお馴染み。1948年に初舞台を踏み、最後の舞台は2021年3月だった。※週刊ポスト2021年12月24日号
2021.12.17 19:00
週刊ポスト
眞栄田
「超人役」に挑む眞栄田郷敦が明かす、父・千葉真一さんの超人的エピソード
 トップのトップにたどり着くことこそが、ぼくの人生の課題です──7月期のドラマ『プロミス・シンデレラ』(TBS系)で人気を博し、いま最も旬な俳優として活躍する眞栄田郷敦(21才)。アメリカ・ロサンゼルス出身で、今年8月に亡くなった俳優の千葉真一さんを父に持つ“サラブレッド俳優”だ。10月からはドキュメンタリードラマ『キン肉マン THE LOST LEGEND』(WOWOW)で、ウォーズマン役に挑戦中の眞栄田に6つの質問をぶつけてみた。Q1.役者を目指したきっかけは? 兄(新田真剣佑)の主演映画『OVER DRIVE』(2018年)の試写で、製作のかたにご挨拶させていただいた縁で『小さな恋のうた』(2019年)という映画のお話をいただきました。当時は、夢に挫折した時期だったこともあって、やってみようと思ったんです。Q2.演じるのは超人役。そのためのトレーニングは? 劇中にもあるんですけど、レジェンドと呼ばれるトレーナーさんに会って、いろいろ教えてもらいました。それ以外は、普段からガッツリ筋トレしてるので、あまり変わらなかったですね。トレーニング内容は内緒です(笑い)。Q3.自分の“超人ポイント”は? ぼく、ものすごく食べられるんですよ。だいたい「そんなに食べるの!?」ってびっくりされます(笑い)。それと、努力することにおいては、誰にも負けないかもしれない。努力することが苦じゃないんです。むしろ楽しい!Q4.周りの超人的な存在は? やっぱり父親(故・千葉真一さん)だと思うんですよね。肉体的な面もそうですし、考え方も何もかもがすごかったです。常に「まだまだ、これから!」という人で、持っている夢にしても、とても82才とは思えないスケール感でした。Q5.どんな“超人”になりたい? エンターテインメントにかかわることについては、超人並みになりたいですよね。芝居もそうですし、歌やダンス、すべてにおいてずば抜けた“エンターテインメントマン”になりたい。現状はまだまだ。これからですね。Q6.共演の綾野剛さんとのエピソードは? 今回は現場に入るとすぐにカメラが回り始めたので、普通の撮影のように待ち時間に何かするというよりかは、作品そのものが綾野さんとのエピソードです。ユニークな考え方だったり、こだわりを強く持っているところがすごいなと思いました。撮影/飯岡拓也 取材・文/小泉咲子※女性セブン2021年10月28日号
2021.10.16 16:00
女性セブン
石原さとみの人気は高い(時事通信フォト)
ヤクザに聞く「ヤクザ映画のヒロイン演じてほしい女優」石原さとみが大人気
 ヤクザ映画のファンは多いが、リアルを追求するなら“ホンモノ”に頼むのが一番。ヤクザが監督になったら、どんな俳優をキャスティングしたいのか? ライターの鈴木智彦氏が現役組員100人にアンケートを実施。鈴木氏が綴る。【Q1】「監督なら誰をヤクザの情婦にするか?」・1位 石原さとみ 23人・2位 米倉涼子 16人・3位 壇蜜 9人・4位 吉永小百合 8人・4位 橋本環奈 8人・6位 清原伽耶 7人・6位 川口春奈 7人・8位 梶芽衣子 3人・8位 沢尻エリカ 3人・同率10位 それぞれ2人 篠原涼子、内田有紀、永作博美、矢田亜希子、井川遥、松嶋菜々子、菅野美穂、深津絵里 石原さとみはダントツの圧倒的人気だった。「ヤクザは全員好きだと思う。総長の女っぽい感じがすごくする」そうである。米倉涼子が「なんでもしてくれそう。注射器の扱いがうまそう」というのは主役を演じた女医ドラマのせいだろう。 壇蜜は世代問わず人気で「長い懲役でも待っててくれそう」だが、ヤクザたちは最近の激やせを心配している。吉永小百合を推したのは年寄りだろうと決めつけないで欲しい。一番多かったのは40~50代だ。が、橋本環奈を挙げたのはみな若い。単に付き合いたいということらしいが、そうなったら「浮気騒動でヤバい事件が起きそう」と評した組長もいる。 清原伽耶は『おかえりモネ』の主役だし、川口春奈は昨年の大河のヒロインである。ちなみに最近は警察がうるさいので、NHKの受信料を支払っている組事務所が増えている。梶芽衣子は熱烈ファンがいまもいる。 沢尻エリカの「ドラッグとか好きそう」は冗談なのか本気なのか分からない。篠原涼子は「ヤクザの姐さんによくいるタイプ」で、内田有紀は「修羅場でもびびらなそう」で、永作博美は「度胸があって警察ともバチバチにやり合いそう」という理由だった。矢田亜希子の「不良の男が好きそう」はあまり笑えない。 井川遥は「美人なのに男を顔で選ばなそう」で、松嶋菜々子は「とにかく強い男が好きそう」、菅野美穂は「若い衆に気を配ってまとめてくれそう」、深津絵里は「堅気なのに騙されて竿師と結婚しそう」らしい。余計なお世話であろう。【Q2】「本物だと思うヤクザ俳優は?」・1位 高倉健 38人・2位 梅宮辰夫 9人・2位 小林旭 9人・4位 松方弘樹 8人・5位 千葉真一 7人・5位 ビートたけし 7人・7位 哀川翔 5人・8位 菅原文太 3人・9位 小沢仁志 2人・同率10位 それぞれ1人 成田三樹夫、若山富三郎、山口祥行、池部良、勝新太郎、鶴田浩二、白竜、的場浩司、中野英雄、本宮泰風、寺島進、安藤昇 1位の高倉健は、約4割の支持を集めて圧倒的である。「健さんに憧れてヤクザになった」と断言する人も10人程度いた。梅宮辰夫、小林旭、松方弘樹、千葉真一らは東映実録映画の常連で、ヤクザ映画全盛期のスターなので妥当な評価だ。そう映画マニアではないのにビートたけしは評価が高い。本物に伝わる凄味があるのだ。 哀川翔、菅原文太、小沢仁志と、それぞれヤクザ映画やVシネマの帝王も名前が挙がった。健さんに圧倒的大差を付けられ、文太が生きていれば憤ったかもしれない。【プロフィール】鈴木智彦(すずき・ともひこ)/1966年、北海道生まれ。日本大学芸術学部写真学科除籍。雑誌・広告カメラマンを経て、ヤクザ専門誌『実話時代』編集部に入社。『実話時代BULL』編集長を務めた後、フリーに。近著に『サカナとヤクザ 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』(小学館文庫)。※週刊ポスト2021年10月15・22日号
2021.10.13 16:00
週刊ポスト
故・千葉真一も絶賛 ブルース・リーがアクション俳優の源流たる所以
故・千葉真一も絶賛 ブルース・リーがアクション俳優の源流たる所以
 新型コロナウイルスによる肺炎を発症し、82歳で亡くなった俳優・千葉真一さん。国内外のメディアがその死を悼み、業績を称える記事が多数発表された。1960年に俳優デビュー、1970年代からアクション俳優として世界的に知られた存在だが、若き千葉真一さんと同時代にもう1人、世界を驚かせたスターがいた。千葉さんが生前に「あの人の武術は奥が深い。神業のようなものを持っていて、さらに哲学もあった。本物だった」(2013年のコメント)と称賛したブルース・リー(1940-1973)だ。映像業界に造詣の深い作家の榎本憲男氏が、その凄みについて解説する。 * * * 海外でも活躍したアクションスター千葉真一の死は、アクションスターが過去のものになりつつあることを強く印象づけた(いきなり話が逸れるが、千葉真一の出演作で個人的に一番印象深いのは、アクション映画ではなく、山田太一脚本のテレビドラマ『深夜にようこそ』での傷ついたエリート社員の芝居である。あれはよかった)。 いまでもアクションスターの称号が付く俳優は、1980年代から香港、中国、ハリウッドを股にかけて活躍するドニー・イェンくらいだろうか。日本ではまったく見かけなくなってしまった。そしてこのアクションスターの源流にブルース・リーがいる。 映画史を詳しく見ていけば、もちろん別の名を上げることはできるだろうが、僕ら世代、つまり『燃えよドラゴン』(1973)を中学生の頃に体験してしまった世代にとっては、やはりブルース・リーなのだ。僕らは『燃えよドラゴン』でブルース・リーに出会った。この時の衝撃はいまの若い人にはわからないだろう。スゴかった。とにかくスゴかった。熱にうかされたようになった。日本全国の中学校の教室では、『燃えよドラゴン』を見た男子の「アチョー!」という叫び声がこだましていたと断言できる。 当時少年だったボクらの目に、ブルース・リーのアクションはこれまで見たものと、まったくちがって映った。どうちがったのか。まずは速さである。とにかく、手と足のスピードが速い。これまですべてのアクションが鈍重に感じられるほどに、である。最近、総合格闘技の実況中継で「まばたき厳禁」というフレーズをときどき耳にするが、ブルース・リーのアクションはまさにそれだった。しかも、発掘されたデモンストレーションの映像はさらに速い。映画用にすこしスピードを落としているのではないかと疑われるほどだ。 もうひとつの魅力は高さである。頭部へのハイキックや、回転後ろ回し蹴りを僕らは映画で見たことがなかった。上段回し蹴りから回転しての後ろ回し蹴りにつなげる流れのよどみなさと、鮮やかさに見とれた。ブルース・リーはダンスも得意だったというが、彼の優雅なアクションはある意味では舞踏である。そして舞踏は映画を魅力的にする重要な要素であることは言うまでもない。  出会ったときに、もう死んでいた しかし、衝撃はもうひとつあった。ブルース・リーに出会ったときに、彼がもう死んでいたことだ。僕らは唖然とした。想像して欲しい、スクリーンに釘付けになり、衝撃を受けた映画の主人公を目撃したとき、そのスターはもう死んでいたのである。これはショックだった。 とにかく、こうなったら過去の作品を漁るしかない、と思った(そして配給会社も当然そう考えた)。残された作品はわずか3本。『ドラゴン危機一髪』(1971)、『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972)、『ドラゴンへの道』(1972)だけだった(死によって撮影が中断された『死亡遊戯』はのちに、代役を立てて『ブルース・リー 死亡遊戯』として完成する)。 残る主演作が3本しかないとなると、似たようなもので間に合わせてでも味わいたいと思うのが人情だ。配給会社もブルース・リー人気にあやかろうと、どんどんこの手のアクション映画を輸入した。そっくりさん俳優も続出した。そして僕らは見た。しかし、ちがう。ちがうのだ。 なぜ、ブルース・リーのアクションだけが輝いて見えたのか。パンチとキックを主体にアクションシーンを構成する香港映画は当時「空手映画」と呼ばれていた。また、ブルース・リーのアクションの源流は少林寺拳法だとも言われていた。しかし実は、ブルース・リーは独自の武術の始祖でもあった。その名はジークンドー(截拳道)という。 ブルース・リーのアクションが独自なのは、映画用に誇張してはいるが、彼が開発した武術によって構成され、撮られていたからだ、と僕は解釈している。特に『ドラゴンへの道』のチャック・ノリスとの戦いのシーンは、ジークンドーの技の見本市である、というようなことを後年、中村頼永の解説で知ることになる。 この中村頼永はダン・イノサント(ジークンドーの継承者。『死亡遊戯』でブルース・リーと激しいヌンチャクバトルを見せている)に直接学び、いまはブルース・リー財団日本支部最高顧問であると同時に、格闘技である修斗のファイターでもある。これを知った僕は、ブルース・リー映画のアクションが格闘技の現場に結びついていると密かに興奮した。   そしてインターネットが普及し、さまざまな人間がYouTubeなどで情報発信をする時代になった現代、ブルース・リーのアクションは本格的に総合格闘技の現場に流れ込もうとしている。ブルース・リーのスパーリングパートナーだったテッド・ウォンやその弟子のヒロ渡邉に学んだ石井東吾とMMA(総合格闘技)ファイターたちによるコラボレーション動画である。矢地祐介、朝倉未来、朝倉海ら一線級のファイターたちが、石井のもとを訪れてジークンドーの手ほどきを受け、その技に驚嘆している。 僕らが見て狂喜したブルース・リーのジークンドーは、半世紀が過ぎたいま、見せる技術から相手を倒す本格的な武術としてふたたび花開こうとしている。こんな映画スターはどこにもいない。(文中敬称略)【プロフィール】榎本憲男(えのもと・のりお)/1959年和歌山県生まれ。映画会社に勤務後、2010年退社。2011年『見えないほどの遠くの空を』で小説家デビュー。2015年『エアー2・0』を発表し、注目を集める。2018年異色の警察小説『巡査長 真行寺弘道』を刊行。シリーズ化されて、「ブルーロータス」「ワルキューレ」「エージェント」「インフォデミック」と続く。『DASPA 吉良大介』シリーズも注目を集めている。最新作『相棒はJK』は9月15日発売。  
2021.09.15 07:00
NEWSポストセブン
千葉真一さんが残した足跡 ファミリーの輝き続ける現在・過去・未来
千葉真一さんが残した足跡 ファミリーの輝き続ける現在・過去・未来
 日本のアクション俳優の第一人者として国際的に活躍した千葉真一さん(享年82)。その偉大な功績もさることながら、その子供たちの活躍も見逃せない。放送作家でコラムニストの山田美保子さんが千葉ファミリーの足跡をたどる。 * * *「どこかのプロダクションが絶対スカウトするに違いない」の声「忘れもしない。真剣佑は13才、郷敦は10才のときに『さんま御殿!!』に出ていただいて。(中略)千葉さんしかキャスティングされてなかったんですけども」とは、8月21日オンエアの『ヤングタウン土曜日』(MBSラジオ)での明石家さんまサン(66才)。 いわゆる“闇営業問題”以来、業界聴取率100%の同プログラムです。冒頭のエピソードも、しっかりネットニュースとなっていました。『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)の構成者の1人である私も、よ〜く覚えています。いや、本番に入ってしまって、“千葉さんいじり”に熱が入っていたさんまサンとは逆に、前室や廊下で所在なさげにしていたオーラ抜群の若きイケメン、後の新田真剣佑サン(24才)と眞栄田郷敦サン(21才)に、女性スタッフは大騒ぎでした。「千葉真一さんが息子さんを連れてきたんだって」「わ、イケメン! 野際陽子さんとのお子さん……じゃないわよね」 などから、「デビューしないの?」「今日、どこかのプロダクションが絶対スカウトするに違いないわね」 という“お節介”まで(苦笑)、大いに盛り上がったものです。 その後、千葉さんは何度か『~御殿!!』に出てくださり、私の記憶では、真剣佑サンが最初おひとりでみえて、次の回に郷敦サンがみえたのではないかと。いずれにせよ、さんまサンが言うように、番組に出演してくださったのは千葉さんだけで、息子さんたちは“見学”と、スタッフ陣への“お披露目”だけだったのです。『ヤングタウン~』では、当時、千葉さんが『浅井企画』さんに所属されていたことも明かされました。千葉さんのモノマネでおなじみの関根勤サン(68才)(と、そのモノマネをする娘さんの関根麻里サン・36才)が所属している“ご縁”だったんですよね。 その頃、千葉さんは、『グッド!モーニング』(テレビ朝日系)の前身『やじうまテレビ!』の金曜レギュラーでもいらっしゃいました。コメンテーターというよりは、「千葉真一の金曜ハンター」なるコーナーに出演されていて、ここでも“いじられキャラ”だったかと。「JJ Sonny Chiba」(サニー千葉)というお名前が、海外での千葉さんの真の活躍をご存じないかたにとっては、“おもしろネーム”のように受け取られていたからかもしれません。『ヤングタウン~』で、さんまサンは、真剣佑サンと郷敦サンを「いまや立派な役者さんになって」と称賛し、千葉さんを「サニー千葉という、世界に誇れる日本の役者さんの1人」と話を締めて、しのばれました。 いまから思えば、千葉さんは、息子さん2人を日本の芸能界に売り込むために、テレビ局に連れてきたり、プロデューサーに紹介したりしていらしたのではないかな、と。『浅井企画』さんや『~御殿!!』、さらには、生ワイドの『やじうま~』と、営業先がややズレていたようにも思いますが(笑い)、さんまサンがおっしゃるとおり、真剣佑サンと郷敦サンは、アッという間に主演級の俳優さんになられました。 真剣佑サンは世界に羽ばたくべく、日本での所属事務所を飛び出し、現在、米国の「アジアン・シネマ・エンターテインメント」に所属。お父様の旅立ちには会えませんでした。 郷敦サンは現在、『プロミス・シンデレラ』(TBS系)の二番手で、撮影中だったことと、お父様はコロナでお亡くなりになったことから、「一方的な約束をしてきました。それを守るだけです」とコメント。初七日法要まで立派に喪主を務めあげました。 納骨までは、長女で女優の真瀬樹里サン(46才)がご遺骨を預かると、3人の子供さんでしっかり話し合いをして決めたと事務所から発表されました。 樹里サンは、ドラマ『寺子屋ゆめ指南』(NHK)や、映画『キル・ビル』で、お父様と共演。かつて千葉さんが『有吉ゼミ』(日本テレビ系)にVTR出演された際、「日本の女優さんでいまできる人はいない。あの子は日本の財産」と樹里サンのアクションを絶賛されています。「しょうがない人」と苦笑しながら野際さんは千葉さんを語った 私は、2002年から、タイトルや番組のスタイルを変えつつ、約7年間、放送していた『旅の香り』(2002〜2009年・テレビ朝日系)で、千葉さんの元妻、野際陽子さん(享年81)とご一緒していました。NHKのアナウンサー出身で当時、知的な女性の代表格だった野際さんは、退局後、広告代理店、フリー司会者を経て、念願のパリへ留学。帰国時、ツイッギーばりのミニスカート姿でタラップを下りてきた野際さんの美しくもカッコイイお写真は何度も拝見しました。旅番組では樹里サンとの共演も多く、『キル・ビル』の映像もオンエアで何度、使わせていただいたことでしょうか。 ご自宅や行きつけの中華料理店などにお招きいただいた際、オフレコで、千葉真一さんのお話を聞いたこともありました。離婚なさっていたので当たり前なのですが、千葉さんの話をなさるときの野際さんは、いつも苦笑したり、やや呆れ気味で「しょうがない人」と短く、そのお人柄を説明されていたと記憶します。 千葉さんが主宰され、真田広之サン(60才)、志穂美悦子サン(65才)、堤真一サン(57才)らを輩出した『ジャパンアクションクラブ』(JAC)は、素人目には肉体労働のように見えたこともありますし、いわゆる“役者バカ”で、真っすぐさもおありだった千葉さんと、知的なクールビューティーの野際さんが、なぜご夫婦になったのか。私はずっと不思議に思っていたものです。『キイハンター』(1968~1973年・TBS系)のキャストで結婚するのは「坊や」=谷隼人サン(74才)と「ユミちゃん」=大川栄子サン(73才)だと信じていたことも理由です。 でも、共に、日本国内には留まらず、枠に収まりきらないスケールがおありになるのは、おふたりとも、同じ。野際さん歌唱の『キイハンター』のエンディングテーマ『非情のライセンス』は、あの『伊勢佐木町ブルース』(青江三奈さん・享年59 の大ヒット曲)を思わせる“ため息”から入る、お色気ソングでもありました。繰り返しになりますが、NHKのアナウンサーだった野際さんは冒険者といえます。 そして千葉さんも野際さんも、お亡くなりになる直前まで現役選手でいらして、お忙しいなかでも、スタッフやキャストへのこまやかな心遣いを忘れなかった。子供さんのことを思い、幼い頃、なかなかそばにいてさしあげられなかった分、同業に就かれた娘さん、そして息子さんたちの応援を全力でなさった千葉さんと野際さんは“似た者夫婦”だったのではないかと、いまになって思います。 野際さんと天国で再会されたら、どんなお話をなさるのでしょう。個人的な予想ですが、『キイハンター』での啓子(野際さん)と風間(千葉さん)のように、互いに“あしらい合う”のでは? 聞いてみたかったです。合掌。構成/山田美保子『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)などを手がける放送作家。コメンテーターとして『ドデスカ!』(メ~テレ)、『アップ!』(同)、『バイキングMORE』(フジテレビ系)、『サンデージャポン』(TBS系)に出演中。CM各賞の審査員も務める。※女性セブン2021年9月16日号 次男の真栄田郷敦 写真4枚
2021.09.03 19:00
女性セブン
千葉真一さんと若山騎一郎(左)
若山騎一郎が振り返る 千葉真一さんに「親父って呼べ」と言われた日
 千葉真一さん(享年82)を「親父」と慕う俳優が、若山騎一郎だ。父・若山富三郎と千葉は親交が深く、映画『魔界転生』(1981年)では宿敵役として共演。千葉は常々、「若山先生は僕の師匠」と公言してきた。千葉には新田真剣佑、眞栄田郷敦という2人の息子がいるが、富三郎の逝去後は騎一郎を“もう一人の息子”として可愛がった。若山が明かす。 * * * 中学、高校時代は喧嘩に明け暮れる不良でした。こいつをどうしようかと父親が悩んで、「芸能界に入れるか」という話になった。それで父親からの口添えもあって、高校中退後にJACの13期生として入りました。 当時、千葉真一といえば大スター。真田広之さんや志穂美悦子さんを育て、世間にもJACの名は浸透していた。俺は喧嘩が強かったし、バック転くらいはできたから、「JACでやっていることくらい簡単だろう」と考えていた。でも甘かった。周りは元自衛隊員、体操選手とか凄いのがたくさんいて、彼らが音を上げるほどトレーニングがきつい。当然、俺は落ちこぼれていきました。 結局、椎間板ヘルニアになってJACを辞めることになるんだけど、千葉さんから電話がかかってきて「ウチを辞めてもいいから、芸能界にはいろよ」と言ってくれた。そんなふうに優しく言ってくれた人は人生で一人もいなかった。それで劇団昴に入って芝居を勉強したんです。 父親が亡くなって三回忌だったかな。千葉さんが来て、「今日から俺のこと“親父”って呼んでいいぞ。若山先生がいないんだから、お前は俺にとって息子みたいなもんだろ」と言ってくれてね。俺が30歳になった頃で、そこから親父って呼ぶようになった。実の父親は“お父さん”か“先生”としか呼んだことがない。「親父」って呼べるのは千葉さんだけでした。 どんな時でも温かく見守ってくれました。俺が事件を起こした時、怒鳴り飛ばされて、物凄い剣幕で怒られました。でも以降はその話題に触れることはなかった。 仕事面でも、いまだに勉強させてもらっています。『魔界転生』のラスト、柳生十兵衛(千葉)と柳生宗矩(富三郎)の対決シーンなんて、何度見たか分からない。あの立ち回りはリハーサル1回しかやっていないからね。普通あれだけのシーンは最低でも2~3回はリハをやるけど、「真一、これ一発でいくぞ」と父親(富三郎)が言ってね。二人とも意地でもNGは出さない。半端じゃないプレッシャーがあった。そんな中で命を削るような名シーンが生まれた。 ああいう語り継がれる名作を俺もいつか作りたいと願っていたし、それを“二人の父”に見せたかった。※週刊ポスト2021年9月10日号
2021.09.02 11:00
週刊ポスト
千葉真一さんの本気度は凄まじかったという(時事通信フォト)
脚本家が語る千葉真一さんの凄さ「ガチンコ感が突き抜けていた」
 アクション俳優のトップスター、千葉真一さんが逝去した(享年82)。彼の姿は、なぜこんなにも観客の心を鷲づかみにしたのか。出世作『激突! 殺人拳』(1974年)にまつわる秘話を、脚本家・高田宏治氏が明かした。 * * * 千葉の代表作というと『仁義なき戦い』をはじめとする実録モノを挙げる人が多いけど、僕の中では『殺人拳』シリーズなんです。今でもあの作品は、千葉のための、千葉にしかできない映画だったと思っています。〈高田宏治氏が脚本を書いた映画『激突! 殺人拳』(1974年)は、千葉のアクション俳優としての才能が遺憾なく発揮された傑作として名高い。裏稼業のプロにして空手の達人。そんな千葉が、鍛え上げた肉体を武器に敵をなぎ倒していく。同シリーズは海外でも人気を博し、千葉が「サニー・チバ」として世界的な知名度を獲得するきっかけとなった〉 元々は東映の岡田茂社長(当時)がブルース・リーの映画を見て触発されてスタートした企画でした。空手や武道の形だけの所作じゃない、本当の“実技”ができるということで千葉に白羽の矢が立った。アメリカ映画とは違う、泥臭いアクションというのかな。娯楽映画中心の東映の中では驚くほどハードボイルドで、千葉という素材が作品に完璧にハマった。一緒に仕事をした作品はたくさんあるけど、一番印象に残っている。 その理由はいくつかあるんですが、ひとつは千葉のアクションに“血の滾(たぎ)り”があったこと。相手を本気で殴って、本気で殺してやろうというガチンコ感が突き抜けていた。例えば千葉が設立したJAC(ジャパンアクションクラブ)の教え子の真田広之にしたって、純粋なアクションではなくて、その中に“芸”が入っているでしょう。でも『殺人拳』シリーズの千葉は全シーン真剣勝負で臨んでいた。イマドキの生っちょろい俳優にはとても真似できませんよ。 撮影中は本人も役に入り込んでいたから大変だった。急に「エキストラ100人集めてくれ」とか無理なアイデアがどんどん出てきて、言い出したら聞かないから、スタッフは困っちゃってさ。言う通りにしていたら制作費がパンクしそうになって、えらいことになった。商売のことなんか一切忖度しない、役者バカの典型でした。 そうして作った『殺人拳』シリーズは、海外でもウケました。これは空手という武道の存在も大きかった。ブルース・リーはヌンチャクを持つけど、空手は武器を持たずに戦う「徒手空拳」が基本。これが新鮮だったんでしょう。〈千葉さんと高田氏の仕事は、『太閤記』(1987年、TBS系)を最後に重なることはなかったが、近年、二人の新作が動きだそうとしていたという〉 2014年に雑誌の対談で久々に会ったら、「一緒に何かやりたい」って熱く語ってくれてね。とりわけ剣豪モノを望んでいた。彼は映画『柳生一族の陰謀』(1978年)や『魔界転生』(1981年)に出演して以来、柳生十兵衛役に人一倍のこだわりを持っていたから、ならば十兵衛でひとつ作品を書こうと思ってね。十兵衛が放蕩のきらめきの中でどんな死に方をするのか、自分の武術を誰に伝授するのか、そこを描きたいと千葉に話したら、「いいですねぇ」と涙を流していた。僕がまず小説を書いて、それから映像にしようと思ってたんだけど、コロナ禍で立ち消えに。 晩年の千葉の代表作にしたかったし、僕自身、もう一度銀幕の千葉が見たかった。実現できなくて寂しい限りです。※週刊ポスト2021年9月10日号
2021.09.01 16:00
週刊ポスト
千葉真一さんの本気度は凄まじかったという(時事通信フォト)
谷隼人が語る千葉真一さんの思い出「爆薬の中で『おい、飛び降りるぞ』」
 日本のアクション映画を切り開いた第一人者、千葉真一さんが逝去した(享年82)。銀幕の彼の姿は、なぜこんなにも観客の心を鷲づかみにしたのか。出世作『キイハンター』(1968~1972年)にまつわる秘話を、俳優・谷隼人が明かした。 * * * 当時はまだ東映に入って3年目。ペーペーの僕は、『キイハンター』シリーズでは“坊や”みたいな存在でした。メインどころの丹波哲郎さん、野際陽子さん、千葉真一さんに付いていくだけで精一杯でね。でも、あれほど貴重な5年間はなかった。〈1968年に放送がスタートしたアクションドラマ『キイハンター』(TBS系)。東映が制作を担い、深作欣二、佐藤純彌といった名監督が演出を担当した同シリーズは、国際犯罪を題材に外国人キャストもふんだんに起用し、最盛期には視聴率30%超を連発。千葉を国民的スターに押し上げた。谷は新人諜報員役で出演し、ボス役の丹波、先輩の野際、千葉に可愛がられながら成長していく役どころだった〉 半年、1年たって徐々に自分も人気が出てきて、千葉さんと絡むシーンも増えてきました。千葉さんは日体大時代に体操でオリンピックを目指していたような人。かたや私は夜の街で黒服を着ていた不良。一緒にアクションするのは、それは大変でした。御殿場のロケでは、ジープに乗っていたら「おい谷、飛び降りるぞ!」って。走ってる車からですよ。爆薬が仕掛けられているなか、必死に身体を丸めて転がるように飛び降りました。まだスタントマンもいないし、俳優が全てやらなければならない時代。運動神経抜群の千葉さんはいいですけど、こちらはたまらない(笑)。 千葉さんは“身体での表現”に徹底的にこだわる人でした。しょっちゅうスタッフと演出のアイデアをぶつけ合っていて、爆発して吹っ飛ばされるシーンでトランポリンを使ったりね。今ならワイヤーを使って簡単に再現できるようなアクションを、試行錯誤しながら現場で試していた。 千葉さんは『キイハンター』で、アクションの立ち回りを改革した人でもありました。それまでのアクションは、例えば相手を捕まえて、はい、殴る……というように、ゆっくりしたテンポだったのが、襲い掛かってくる相手にいきなりカウンターを入れたり、“動きの速さ”を初めて見せた。細かい動作や相手との間合いの取り方まで、いろいろ教えてもらいました。〈本作で初共演した千葉と野際は1973年に結婚(1994年に離婚)。撮影中に仲を深めていた二人だが、谷は当時からその関係に気付いていた。〉 野際さんを親しみを込めて「お姉ちゃん」と呼んでいました。ある時、九州ロケの宿泊先のホテルで、「お姉ちゃん、飲み物ちょうだい」と部屋のドアを開けました。その瞬間、ソファを飛び越えてさっと隠れる人影があったんです。あの俊敏な身のこなしは千葉さんしかいない(笑)。出番がないはずの九州ロケになぜか千葉さんがいたので、二人が付き合っていることは分かりました。 意外な縁もあって、千葉さんとは一時期同じマンションに住んでいたこともあったんです。千葉さんが4階、私が6階。食事に連れて行ってくれたり、折に触れて良くしていただきました。テレビやラジオで共演すると、いつも「谷、『キイハンター』の続編やりたいな!」と話していました。いつか実現させたかった。それが唯一の心残りですね。※週刊ポスト2021年9月10日号
2021.08.31 07:00
週刊ポスト
【動画】千葉真一さんが語っていた野際陽子さんとの結婚生活
【動画】千葉真一さんが語っていた野際陽子さんとの結婚生活
 新型コロナウイルスによる肺炎のため亡くなった千葉真一さん。 生前、元妻で2017年に亡くなった野際陽子さんとの結婚生活について語っていました。『女性セブン』記者に対して千葉さんは「陽子はいつも僕の態度や目の色が変わると察知して『パパ、おいしいワインでも飲みますか?』なんて言ってくれる気遣いの人。僕は家で一度も怒ったことがないし、夫婦喧嘩もしたことないんです。彼女との結婚生活は本当に楽しい日々でした」と話していました。【↑ 上の写真クリックで動画へ】
2021.08.27 16:00
NEWSポストセブン

トピックス

謝罪をする田中聖(公式YouTubeチャンネル)
田中聖容疑者、覚醒剤所持でまた逮捕 芸能人が“やめられない”根本的な問題点
NEWSポストセブン
『ぴったんこ☆カンカン』スタート時の安住アナ(時事通信フォト)
泉ピン子が語る安住紳一郎アナ「とても負けず嫌い。すごい強さを秘めている」
週刊ポスト
結婚を発表し、お相手を「建築会社」とした滝沢。「一般男性」とは言っていない
滝沢カレン結婚!「テラハ」出演“肉食系”ハーフモデルのどこに惹かれたのか
NEWSポストセブン
盗難被害を告白した木下
TKO木下隆行がベトナムで270万円の盗難被害、防犯カメラにおさめられた悪質手口の一部始終
NEWSポストセブン
TBS・安住紳一郎アナウンサーの魅力の源は?(時事通信フォト)
TBS安住紳一郎アナ、恩師や先輩アナが明かす“天才的なしゃべり”“のスキル
週刊ポスト
眞子さまの箱根旅行のお姿。耳には目立つイヤリングも(2018年)
小室圭さんの妻・眞子さん 華やかだった4年前の「箱根・女子旅ファッション」
NEWSポストセブン
メディアの前に久しぶりに姿を現したブラザートム(撮影/黒石あみ)
ブラザートムが不倫騒動・事務所独立からの今を語る「娘にはよくハガキを書いてあげるんです」
NEWSポストセブン
日本は世界が憧れる国だと思っていたが……(イメージ)
在日経験のある外国人たちが「日本の没落」を口にし始めているという厳しい現実
NEWSポストセブン
小室圭さんと眞子さん
小室圭さん妻・眞子さんがNYで行きつけのスーパーから見えてきた“妻の気遣い”「日本でいえば『成城石井』」 
NEWSポストセブン
高橋真麻
高橋真麻「おでんの卵8個食べても太らない」女性が憧れる美スタイルの理由
NEWSポストセブン
SDGs(持続可能な開発目標)についてテレビが取り上げる機会が激増していた(イメージ、時事通信フォト)
テレビ局が一斉に発信していた「SDGs」、最近見かけなくなった理由
NEWSポストセブン
結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
NEWSポストセブン