小説では、史実とフィクションが巧みに混ぜ合わされている。
「ジゴマ」は明治時代に日本でも公開されたフランス映画で、人気が過熱し、影響を受けて犯罪も起きたことから、警視庁が上映禁止処分を出した。鳥取で上映される直前に禁止処分を受けたというのも史実だ。
小説では、その禁映がとけて、いよいよ鳥取で「ジゴマ」が上映される、というところで最初の殺人事件が起こる。スクリーンのジゴマが実際の舞台に現れ、観客の男を刺し殺す。映画館は火事になり、目撃者である古代子と千鳥もジゴマに命を狙われるが、間一髪で難を逃れる。
自宅に戻ってからも2人は何者かに付け狙われ、ある晩、ジゴマの第二の襲撃を受ける。どうやらこの家の近くに、都会から来たアナキストの集団が潜伏して村の乗っ取りを画策しているらしい。
「大正時代だからといって、いわゆる大正ロマンを書くつもりはなかったです。大正時代って、15年間で10人の首相が目まぐるしく交代する、落ち着かない時代で、いろんな主義主張が複雑に入り混じっていました。当時の人たちが何を考えていたのか。メディアの状況では、ラジオが登場する前の新聞と雑誌が中心だった時代に、情報をどう受け取ってどう消化し、自分の道を決めていくのか、ということも書いてみたいテーマとしてありました」
乱歩賞マニアと言っていいぐらい読み続けてきた
小説に出てくる、「木の葉の おちた かきの木に お月さまが なりました」といった美しい詩はすべて、実際に田中千鳥が書き残したものだ。千鳥の「きんぎょのダンス」の詩も、犯罪の重要な手がかりとして物語に生かされている。
7歳で亡くなった千鳥が、第六官(人間の五感を超える感覚)という言葉をふつうに使っていたという事実に驚かされる。聡明で、早熟な少女だったのだろう。
「人生のどうしようもなさというのがぼくのテーマで、人の弱さを書きたい。弱いんだけど、物語が進んでいくうちにその弱さが強さに変わる瞬間があって、その瞬間を描きたいですね」
現実の古代子は、千鳥が亡くなった後、自分の手で人生を終わらせている。小説の中の古代子は暴力に屈することなく果敢に兇賊に立ち向かっていき、東京で作家になりたいという夢を追っている。
『蒼天の鳥』で小説家デビューした三上さんは、キャリア30年の脚本家で、これまでに「名探偵コナン」シリーズや「特命係長 只野仁」などを手がけてきた。