十二月十二日になっていた。
時間の流れがやたらに早く感じられた。タイムリミットであるFOCUSの締め切り日が目前だった。逮捕原稿はすでに書き上がり、写真も用意してある。原稿が入ったフロッピーディスクを印刷所に送ればすべては終了である。
しかし、池袋は動かなかった。何度現場を訪れても、相変わらず捜査員がブラブラ歩き廻っているだけだ。いったい捜査本部はどうするつもりなのか。何を考えているのか。私にはまったく分からなかった。我々が彼らの姿を撮影してから以後も、Cは何度もマンションの出入りを繰り返していたが、捜査員達のあの張り込み方では姿を確認できるはずもない。
締め切り日を迎えて、私は厳しい選択を迫られることになった。「事件解決」か「スクープ」かを選ばなければならなくなったのだ。何度も編集長と話し合い、結局こう決めた。
この週、FOCUSは桶川の記事を掲載しない。
一週見送ったのだ。私は入稿を諦めた。それが記者にとってどれだけつらく、馬鹿馬鹿しいことか想像がつくだろうか。誌面にならない取材など、無駄以外のなにものでもない。
次の締め切りまでは六日間。締め切り直後にB達が逮捕されるようなことでもあれば、万事休すであった。
六日間もあれば何もかも発表され、報道もひと通り終わって世間の関心も薄れかねない。そんな頃になって、いくら事前にすばらしい写真を撮っていたと言い張っても証文の出し遅れである。
負けは負け。
あんたはお人よし、と言われておしまいだ。その危険は十分にあった。
それでもあと一週だけは待ってみようと我々は決めた。賭けだった。
どう転んでもそれ以上の延長戦はないよ、山本編集長は言った。私もそれは重々承知していた。というのも、この次の号は年内最後の発売になる合併号だったのだ。発売日は十二月二十一日。その後は一月六日まで雑誌は出ない。いくら何でもそれまで逮捕も出来ず、他誌も気が付かない状態が続くとは思えない。
つまり、次の締め切りに入稿できなければ、FOCUSにとってこの事件は写真も記事も年末大掃除のゴミ箱行きとなってしまうのである。
それだけは出来なかった。
好き勝手なことばかりやっているコントロール不能の不良記者だが、これでも雑誌に掲載するために取材をしているのである。私は捜査員ではない、記者なのだ。あの写真だって私一人のものではないのだ……。
私は再度、上尾署に通告しに行くことにした。きちんと説明をしておきたかった。記事が出た後で「あの時FOCUSが書くなんて捜査本部は知らなかった。Bは我々が独自に割って追い込んでいたのに、FOCUSがどこかでそれを聞きつけて勝手に書いた。だから犯人が逃げたのだ」などと言われるのはまっぴらだった。これだけは、記者クラブの壁があろうとあらかじめ通知しておかなければならなかった。
実は、私が猪野さんのお宅に伺って取材経過を説明したのも、警察に知らん顔されぬための保険という意味合いがあった。警察以外の中立的な第三者にあらかじめ伝えておかなければ、どう言い抜けされるか分からない。
月曜日を待って、私はまず埼玉県警本部の広報に出かけた。広報課員と直接会って、「これからFOCUSが取材に行きます」と上尾署に連絡を入れてもらうためである。どこの組織もそうだが本部の言うことに支部は弱い。いきなり私が飛び込んでいくよりはいいだろうと思ったのだ。それでも上尾署の状態は何も変わっていなかった。
上尾署の受付に名刺を出すのはもう三回目だ。普通の所轄であれば、「どうぞお入りください」と、まぁ副署長の隣の応接セットくらいには案内されて、お茶の一杯も出してくれたあとで「発表以外のことは話せないんですよねぇ」なんてことを言いながらも雑談の一つもしてくるものである。
しかしここは違うのだ。半端ではない。