歌舞伎座では様々な演目がある
歌舞伎公演の場合、清元連中ら演奏者は舞台に上がって唄や三味線を披露する。もちろん、主役は歌舞伎役者だが、唄や音楽がなければ舞台は成立しない。ところが、伝統演劇の中枢を担う清元連中の内部は、前述のようにガタガタの状態が続いているという。前出の演劇関係者が続ける。
「すべては、現在の家元が1989年に七代目延寿太夫を襲名したのが始まりでした。
演奏者の歌舞伎公演の出演料は、興行側から家元に対して一括して支払われ、それを家元が各演奏者に分配する仕組みになっています。
ところが、いまの家元がお金を取り仕切るようになってから、演奏者の収入がガクンと減った。楽屋に用意されるお弁当の質も下がったといいます。そのため、日々の生活に窮する演奏者が多数、出てきてしまったそうです」
延寿太夫は、3才の頃に本名の岡村清太郎の名で歌舞伎の初舞台を踏み、その後は俳優として活動。大河ドラマ『新・平家物語』(NHK)への出演経験もある。その後、父・六代目延寿太夫の急逝を受け、1989年11月、歌舞伎座顔見世興行で七代目を襲名した。
一派の弟子たち(演奏者)は、歌舞伎だけでなく、日本舞踊の発表会などでの演奏の仕事を個人で請け負うことで、糊口をしのいでいる状態だという。
「歌舞伎公演での演奏依頼は、興行主から一派に対して行われます。その依頼に対して、家元が誰を出演させるか決める。つまり、生殺与奪の権は家元が握っている。家元のやり方に異を唱えれば、仕事を削られかねないと危惧し、渋々従うしかないようです」(前出・演劇関係者)
そればかりか、ほかの歌舞伎音楽の一派や、歌舞伎役者との接触を禁じられているという。
「同じ座組になれば、楽屋に挨拶に行くのは礼儀として当たり前のこと。しかし、それすら許されなくなったのは、演奏者が自分たちの“奴隷労働”を、ほかの演奏者のグループと比べられないようにするためだったようにも見えます」(前出・演劇関係者)
芸能関係者が続ける。
「約1か月続く歌舞伎公演で、興行元は、演奏者1人あたり50万~100万円の出演料を予算として計上しているそうです。
全公演に出演する歌舞伎役者とは異なり、一般的に、演奏者は1日おきだったり、公演を前後半に分けて2人の演奏者で半分ずつ出演したりします。その出演日数をもとに出演料が個人に分配されるのですが、頻繁に出演しているにもかかわらず、月収にして10万円台しか受け取れない演奏者が、清元連中には何人もいるそうです。
これは、ほかの演奏者の一派と比べて著しく低い水準だといいます。そればかりか、歌舞伎チャンネルや衛星劇場の番組などの収録に出演した際の出演料も、支払われていないそうです」
清元連中そのものがジリ貧に陥っている事情もある。
「大物役者になると、自身が出演する演目の演奏者を“ご指名”することがある。あるとき、清元連中の弟子が指名を受けたが、家元が“都合がつかない”と断り、自分が出演したことがあったそうです。ところが本当は、指名された弟子にはほかの仕事なんて入ってなかった。
そんなことが続くから、清元連中そのものが役者や興行側から避けられるようになり、依頼が減ってしまった。仕事が少ない上、出演料が少ないんですから、弟子たちはもう限界だと嘆いています」(別の演劇関係者)