事務所が複数、同居するマンションはたびたびニュースに登場してきた(時事通信フォト)
「親睦会があったからね」と元組長は、当時の赤坂のヤクザ事情を説明する。元組長によると、年に何度か赤坂界隈の暴力団事務所の組員らが集まって、親睦会が開かれていたというのだ。「町を歩いていれば、誰が同業者か匂いでわかる。通りで見かけるヤツ、いつも使う喫茶店が同じヤツ。飲み屋にいたヤツ。どこの組の者かはわからないがね。親睦会を開けば、お互い名刺交換をするだろう。そこでどこの組の者かわかるし、案外ご近所さんだったりするわけで。顔見知りになって、挨拶するようになれば、無用ないざこざは避けられる」(元組長)。
新宿の歌舞伎町には「ヤクザマンション」と呼ばれるマンションがある。「知っているだけで一時期は40近くの組が入っていたと思う。山口組に住吉会、稲川会の傘下組織からテキヤ組織までいくつもあった。数は減っただろうが、あそこは今でもヤクザマンションと呼ばれるだけあって、まだいくつもの事務所が入っている」という。
赤坂には細い路地や一方通行が多い。その路地を縫うように進んでいた元組長の車が、スピードを落とした。レトロな喫茶店の前をゆっくりと通過する。「懐かしいねぇ、まだ同じ名前でやってるよ」と目を細める元組長。「ここにはいつもヤクザや詐欺師がいた。いや、そんなヤツらしかいなかったな。ヤクザ御用達だね」と、”ザ業界”で有名だった組長や投資詐欺で逮捕された者らの名前をあげていく。「ここでは、どこで誰が何をやっているのか、耳を澄ませばヤバい話がいつも聞こえてきた。あの頃はヤクザにとって、いい時代だった」(元組長)。ここら辺にあったという事務所はすでにほとんどなく、やくざや詐欺師がいることもないという。
通りが変わり、街も変わった。自分たちがそこにいた時代を懐かしく思い出せるのは、この喫茶店ぐらいなのだろう。