山口組一覧

【山口組】に関するニュースを集めたページです。

分裂抗争が最終局面に(六代目山口組の司忍組長/時事通信フォト)
「民間人の店も襲撃」 最終局面に突入した分裂抗争で六代目山口組が見せた意志
 2015年に神戸山口組が“分離独立”してから、もうすぐ7年を迎える山口組分裂抗争。ここにきて六代目山口組が敵対勢力のトップに襲撃を行なうなど抗争が激化している。緊張が続くなか、六代目山口組は次の襲撃を起こしたが、抗争のフェーズがさらに一段階上がったことを窺わせるものだった。 6月5日に神戸山口組・井上邦雄組長の自宅に銃撃、翌6日に絆會・織田絆誠代表宅に車両特攻と、これまで見られなかったトップへの襲撃事件を起こした六代目山口組。緊迫した状況が続く中、六代目側の組員が逮捕される事件が起きた。全国紙社会部記者が事件を語る。「6月18日夕方、徳島市内の繁華街にある飲食店に六代目山口組傘下組織の組員2人が訪れました。2人は入店するなり、店主の女性に『ケガするからどいておけ』と告げたのち、金属バットを振り回し、入口ドアなどを壊しました。店は開店前で、店主の通報で駆け付けた警察官が2人を現行犯逮捕しました。 疑問なのは、事件後、警察の事情聴取で店主は犯人2人との面識もなく、彼らが所属していた組織とのトラブルもなかったと語っていたこと。つまり、店主は襲撃時点では犯人の2人が六代目山口組の組員だとはわからなかったはず。しかし、通報を受けた警察は10台前後の覆面パトカーで現場に急行し、到着するや数十名の警察官が一斉に店内に雪崩れ込むという重大事件に匹敵する対応で、繁華街は騒然としました」 警察がこれほどまでに緊迫した様子だったのは、この店を以前から“警戒対象”としてマークしていたからだった。実話誌記者が語る。「この店は神戸山口組の最高幹部が行きつけにしていた店の1つだった。警察側も事前に知っていたから、こうした対応になったのだろう。今回の襲撃は開店前だったことと、あらかじめ女性店主に声をかけていることからあくまで脅しでしょう。しかし、幹部の家や事務所ならともかく、民間人が経営していて一般の市民が客として訪れる店です。にもかかわらず襲撃対象にしたのは、六代目山口組側が“神戸山口組が白旗を揚げるまでこうした襲撃を繰り返す”というメッセージに他なりません。そこには強い意志を感じます」 すでに六代目山口組は、今回の襲撃と同様の手口で殺人事件を起こしている。2019年11月、尼崎市の商店街にある飲食店に六代目山口組の組員が来店。店内にいた神戸山口組の幹部を店の前に呼び出すや、軍用自動小銃で射殺した。事件当時は夕方で繁華街は人で溢れていたこともあり、メディアは連日大々的に取り上げた。 再び繁華街で銃声が鳴り響くのか──。分裂抗争は風雲急を告げる。
2022.06.24 07:00
NEWSポストセブン
分裂から7年を迎えようとしているが…(神戸山口組の井上邦雄組長/時事通信フォト)
山口組の分裂抗争がついに終結へ【後編】情報戦の舞台はSNSやYouTubeに
 日本最大の暴力団・山口組が分裂してから7年を迎えようとするなか、突如、六代目山口組が敵対勢力である神戸山口組のトップ・井上邦雄組長への襲撃を始めた。抗争のフェーズが一段階上がり、民間人が恐怖に脅える事態を引き起こしてまで、彼らが狙うものはなにか。暴力団取材の第一人者が深層に迫った。【前後編の後編。前編から読む】 * * * 暴力団社会を見ても、終結に向かおうとする動きが見え隠れする。実話系週刊誌で報じられたように、福岡県久留米市に本部を置く道仁会の小林哲治会長が、井上組長と面談しているのだ。警察サイドの情報を詳細に書くと、すぐさま犯人探しが始まるので関係者としか書けないが、どうやら両者は2度、もしくは3度会談をしたらしい。 道仁会は山口組に対して、一歩も引かない暴力性を誇る武闘派団体である。山口組分裂の直後、組織を割って出た神戸側はもちろん、六代目側とも接触しないと宣言したこともあり、警察は反山口組の最右翼と考えている。その小林会長が神戸山口組のトップと会談しているのだから、茶飲み話であるはずがない。若い衆に道を付け、抗争終結を打診しているとみるのが妥当だ。 警察関係者も、密室で行なわれている両者の会談がどうなっているか、具体的な内容は分からないという。 もちろん神戸山口組が腹をくくり、乾坤一擲のヒットマンが六代目山口組の有力者を立て続けに殺害、局面をひっくり返す可能性もある。「これまで何度も大事な局面はあった。捨て身でトップ、ナンバー2、ナンバー3の命を取れば戦況は変わるかもしれない。しかし、もはや口でなにを言っても空々しい。第一、いまさらヤクザ同士が争っている時代ではない。これ以上抗争を続ければ、警察だけが得をし、ヤクザの終焉が早まるだけ」(前出の指定暴力団幹部) 暴力団社会では、冷淡な声が圧倒的だ。SNSで繰り広げられる情報戦 山口組分裂抗争は、六代目山口組VS神戸山口組の二極対立だけではない。 前述した絆會は神戸山口組から離脱した第三勢力である。また山口組分裂の首謀者である岡山の池田組・池田孝志組長も神戸山口組を離脱し、第四勢力を形成している。絆會と池田組は手を組んでおり、池田組長は織田代表を信頼しているという。池田組は若頭を殺害され、後任の若頭もまた銃撃されているが、いっこうに報復する気配がない。絆會は池田組の行動部隊なのかもしれない。 6月1日、六代目山口組が池田組に対する攻撃中止を通達したため、マスコミの一部は「池田組長が引退を決意」と報道した。よく考えればあり得ない情報だった。池田組長が身を引けば、絆會の立場が宙に浮く。そんな勝手をするはずがない。 絆會の織田代表とて、山口組に復帰する可能性はある。しかしマスコミを集めて記者会見を開催、親分の井上組長の秘密を暴露した織田代表はひどく警戒されている。復帰出来ても針のむしろで、ならばこのまま膠着状態を維持したいはずだ。 ただし、まるっきりのガセ情報だったとも思えない。六代目山口組が池田組への攻撃中止命令を出したのは事実だからだ。ならばその裏でなんらかの動きがあったのだろう。これまた密室でのやりとりを、状況から推理する他ないが、池田組長が引退を考える状況はひとつしかない。古巣の神戸山口組が解散した時だ。 池田組は神戸山口組から、円満に脱退している。井上組長への気持ちが冷めていても、水面下で神戸側の直参とは話をしているはずだ。もし本当に神戸山口組の井上組長が引退する話があったとする。そうなれば、さすがに池田組長も身の振り方を再考するのではないか。 神戸側の解散から抗争終結に繋げたいのは、六代目山口組に他ならない。池田組長の引退を報じた媒体は、六代目山口組の情報操作にまんまと乗せられたと考えていい。 実話系週刊誌は六代目側の思惑に乗らなかった。彼らは山口組から情報を取るため、それぞれパイプを持っているので、当然、一連の情報を掴んでいた。彼らは誌面を充実させるため、時と場合によって暴力団側と共同歩調を取る。具体的には彼らが望む記事を掲載する。私は暴力団専門誌の編集長として、長く蜜月の渦中にいた。その様子が手に取るように見える。 しかし、実話誌は暴力団側のいいなりにはならない。六代目山口組であっても、誌面を好き勝手に改変できない。ところが令和になって暴力団は新しい武器を手に入れた。それが暴力団情報を配信するYouTuberであり、Twitterを初めとするSNSだ。 最近では新しく知り合った暴力団員から「記事は読まないけど、配信は好きでよく観ます」と言われる。活字世代としては面食らうばかりだ。噂の拡散力は、もはや実話誌より上かもしれない。 自身に都合のいい噂を広めるため、または相手を誘導するため、暴力団はひどくデフォルメされた情報を配信者に提供する。彼らはまるで記者クラブメディアが警察情報を垂れ流すかのごとく、再生回数を稼ぐため暴力団からの情報を生のまま配信する。 暴力団の活動が法律で大きく規制されるようになった現在、山口組のようなマンモス暴力団はデメリットだけを増大させた。下部団体の抗争でトップが逮捕される危険を常にはらみ、かつてのように多勢に無勢で中小団体を蹂躙できない。昭和の体質のままでは結局ジリ貧で、内部抗争を続ければさらに求心力を失っていく。 抗争を総括する日はそう遠くない。(了。前編から読む)【プロフィール】鈴木智彦(すずき・ともひこ)/1966年、北海道生まれ。フリーライター。日本大学芸術学部写真学科除籍。ヤクザ専門誌『実話時代』編集部に入社。『実話時代BULL』編集長を務めた後、フリーに。主な著書に『サカナとヤクザ』『ヤクザときどきピアノ』など。※週刊ポスト2022年7月1日号
2022.06.21 15:59
週刊ポスト
分裂抗争が最終局面に(六代目山口組の司忍組長/時事通信フォト)
山口組の分裂抗争がついに終結へ【前編】白昼の住宅街に響いた銃声の意味
 日本最大の暴力団・山口組が分裂してから7年を迎えようとするなか、突如、六代目山口組が敵対勢力、それもトップへの襲撃を始めた。抗争のフェーズが一段階上がり、民間人が恐怖に脅える事態を引き起こしてまで、彼らが狙うものはなにか。暴力団取材の第一人者が深層に迫った。【前後編の前編】 * * * 神戸山口組のトップ・井上邦雄組長は激怒したという。 6月5日午後2時20分、神戸市内の自宅に銃弾が撃ち込まれたからだ。六代目山口組の中核組織・弘道会系のヒットマンは、近くに停まっていた警察車両にもかまわず、ワンボックスカーを玄関前に横付けし、車の屋根に登って住居内部を窺いつつ、合計17発の銃弾を放った。複数の拳銃がなければ短時間にこれだけの銃撃はできない。 実行犯が所持していたのは回転式拳銃だ。マガジンの交換で、立て続けに連射できるオートマチック式とは違い、数発撃ち終わる度に手作業で排莢し、弾丸を詰め直さねばならない。射撃場ならなんなく出来る作業でも、現場は神戸の住宅街である。目撃者もいるだろうし、連続して銃声が響けばすぐ警察が駆けつける。どうみても逮捕覚悟の犯行だった。実行犯はパトロールの警官を振り切り、近くの交番に出頭した。 こうした事件を暴力団たちは「ガラス割り」と呼ぶ。半端な暴力を揶揄する隠語だが、事務所や住居などの立ち回り先を銃撃する器物損壊事件は、後のマスコミ報道とセットになっており、広く報道されて初めて仕事として完結する。かつて人気のない早朝に発砲したため新聞報道されず、翌日、再び銃弾を撃ち込んだ組織もあった。ここまで大胆、かつ執拗に発砲し、大々的に報道されたのだから暴力団社会においては相応に見事な仕事だ。銃器を使った犯行は発射罪などが加重され刑期が重い。今回の場合、軽くみても10年以上の懲役になるだろう。 ガラス割りは単なる脅しに過ぎない。が、銃弾はガラスと同時に、暴力団のメンツにヒビを入れる。やられたら、やりかえさねばヤクザがすたる。報復せずに沈黙するなら、もはや暴力団とはいえないだろう。 六代目山口組の攻撃は立て続けに行なわれた。 翌日6月6日の午後9時50分ごろ、今度は神戸市内にある絆會・織田絆誠代表の自宅に軽乗用車が突っ込んだ。実行犯は六代目山口組関係者とみられている。この犯行もマスコミを利用した公開果たし状と考えれば十分な効果がある。実際、この事件もまたマスコミによって大々的に報道された。連日の犯行で過熱した報道陣は喧嘩を煽り立て、六代目山口組は最小の暴力で最大の効果をあげたことになる。 かつて織田代表は“第三の山口組”と呼ばれた任侠山口組を立ちあげた後、神戸山口組のヒットマンに襲撃され、自宅付近の路上でボディガードを撃ち殺されている。しかし六代目山口組が織田代表を狙って暴力を行使したのは、今回が初めてだった。狙うのは幹部の命 当事者たちはどう考えているのか? 旧知の指定暴力団幹部に2つの事件に関する見解を質問した。「(織田代表宅へ)車が突っ込んだのはともかく、井上組長宅への発砲は道具(拳銃)を使っている以上、誰かが命を落とす可能性はあった。六代目山口組内に事件容認の空気があるはず。それでもがっちりガードされると、なかなか必殺の仕事は実行出来ない。殺せないからガラス割りなのか、最後通告の趣旨だったのかは分からない。手榴弾を持って自爆テロでもすれば殺しも可能だろうが、ヤクザには親と子の建前がある。殺してこいと命令できても、死んでこいとは言えない。これが抗争の最終ラインだろう」 暴力団は上層部の逮捕を回避するため、直接の指示を仰がず、傘下団体が勝手に抗争事件を起こす建前を崩さない。しかし実際は上層部が黙認しており、その心情を忖度して若い衆が走る。子分たちは暴力事件の実行犯を担って体を懸ける(※襲撃して逃亡、もしくは服役すること。反撃を受け、負傷や命を落とすことの2つのケースを指す)が、親分は教唆での逮捕を覚悟し、腹を括れるかで我が身を懸ける。組織が武闘派たり得るかどうかは、ひとえに上層部の胆力に依存する。 これまでの経緯を考えれば、六代目山口組が抗争を終結させようと意図し、事件を頻発させているのは間違いない。なかでも弘道会は暴力事件を積み重ね、神戸山口組にプレッシャーをかけ続けている。が、もう丸7年間、身内同士の対立を続けている。これ以上威嚇のような警告を続けても、神戸山口組を追い込めないだろう。今後、抗争が激化する可能性は十分にある。幹部の命を狙った銃撃事件が立て続けに起きてもおかしくはない。鍵を握る井上組長の決断 実際、山口組の分裂抗争は最終局面に突入したようである。六代目山口組・司忍組長との親子盃を反故にして離脱、神戸山口組を結成した面々にとっては正念場だ。なにしろ六代目山口組は、井上組長宅への銃撃をはじめ、引退した組長たちをのぞき、分裂の首謀者すべてに暴力を行使している。 抗争事件は相手を殺し、その仕返しに報復が実行され、暴力的衝突が連鎖する状態を指す。しかし現実的には六代目山口組ばかり事件を起こしており、もう長らく抗争の体をなしていない。あまりに神戸側の報復がないので、六代目側の組員は抗争の渦中にある自覚を持てないだろう。 昨年末、関連施設を相次いで銃撃された神戸山口組の寺岡修若頭(侠友会会長)は、2月、再び六代目側の攻撃を受けた。 5月8日には大阪府豊中市にある宅見組・入江禎組長の自宅に車が突っ込んでいる。2人は神戸山口組の中心メンバーだが、旗揚げ以降、一貫して抗争事件に消極的だ。井上組長を担ぎ上げ、若い衆を巻き込んだ責任があるので、そう簡単に引退はできない。ただし、井上組長が幕引きを決意すれば話は別だ。最後まで組織の行く末を見届ければ、身を引けるだろう。 だから山口組の分裂抗争が終結するかどうかは、ひとえに井上組長の決断に懸かっている。井上組長が組織を解散し、六代目側に詫びれば、おそらく山口組の分裂抗争は終結する。 六代目山口組の司組長は80歳という年齢からは考えられないほどパワフルでも、ナンバー2の高山清司若頭には健康面での不安が拭えない。山口組は創設から100年の節目に分裂し、これまで積み重ねてきた暴力的威嚇力を毀損し続けてきた。彼らが戦っているのはかつての身内であり、分身を叩いているに等しい。ここまで勢力に差が出れば、もはや抗争を継続する意義も薄い。(後編に続く)【プロフィール】鈴木智彦(すずき・ともひこ)/1966年、北海道生まれ。フリーライター。日本大学芸術学部写真学科除籍。ヤクザ専門誌『実話時代』編集部に入社。『実話時代BULL』編集長を務めた後、フリーに。主な著書に『サカナとヤクザ』『ヤクザときどきピアノ』など。※週刊ポスト2022年7月1日号
2022.06.21 15:58
週刊ポスト
週刊ポスト 2022年7月1日号目次
週刊ポスト 2022年7月1日号目次
週刊ポスト 2022年7月1日号目次相続のプロ25人「これが損しない、もめない鉄則です」・行政書士 煩雑な書類作成と手続きは「身近な街の法律家」に任せられる・司法書士 不動産相続のエキスパートが「負動産」と「争族」問題を解決します・税理士 相続税申告の“特例”を活用し、生前贈与の“罠”を回避・弁護士 紛争解決のプロだからどこがトラブルの火種かわかります・社労士 身内の死後にもらえる年金は申請しないとゼロに特集◆生涯年収13億円の“物価マフィア”日銀・黒田総裁への「解任バズーカ」◆部落解放同盟が「差別助長」と抗議した維新参院幹部 石井章・両院議員総会長「橋下徹氏の出自」発言◆「18歳だと知らなかった」だと? パパ活飲酒·吉川議員の嘘を暴く◆出川哲朗が“嫌われ者”から「国民的お笑い芸人」になるまで◆短期集中連載 プーチンと習近平 世界でもっとも危険なふたり〈第1回〉峯村健司◆北朝鮮初の女性外相・崔善姫が推し進める盟友・金与正との「核報復外交」◆あぁ、巨人に坂本勇人の後釜がいない◆ヤクルト1000を飲むとなぜ「熟睡」できるのか?◆「がん」と遺伝 最新研究でここまでわかった◆山口組分裂抗争ついに終結へ そして生まれる「シン・山口組」の全貌◆「成人向け動画は日本の文化だ」新法可決で揺れるなか、知識人4人が立ち上がった◆白内障・緑内障よりも怖い黒内障 それは死に至る病ワイド◆浜名湖120人乱交 主催者女性を満足させるパートナー“交換”の「全国大会」◆NHK 和久田麻由子アナ◆TBS 日比麻音子アナ◆大谷翔平◆元大関・朝乃山◆中日・根尾昂投手◆RIZINグラビア◆勝者はどこだ! 回転寿司値上げ戦争◆コスパ最高でうまい! コンビニワイン選手権◆児島美ゆき 淑女の美身70年史◆踊る!球団マスコットガール◆3年ぶりの祭りだョ!◆吉澤遥奈 君こそスターだ!◆なをん。一乃あおい 無花果の庭で連載・コラム【小説】◆柳広司「南風に乗る」◆山崎ナオコーラ「あきらめる」【コラム】◆横山剣「昭和歌謡イイネ!」◆武正晴「今日の仕事は?」◆岡田晴恵「感染るんです」◆春日太一「ヒット作の名工」◆八名信夫「悪役の履歴書」◆蛯名正義「『エビショー厩舎』本命配信」◆大前研一「『ビジネス新大陸』の歩き方」◆高田文夫「笑刊ポスト」【ノンフィクション】◆井沢元彦「逆説の日本史」【コミック】◆やく・みつる「マナ板紳士録」◆永井豪「柳生裸真剣」【情報・娯楽】◆ポスト・ブック・レビュー◆医心伝身◆ポストパズル◆法律相談◆ビートたけし「21世紀毒談」◆[連載]升毅 居酒屋ますや
2022.06.20 07:00
週刊ポスト
分裂抗争が最終局面に(六代目山口組の司忍組長/時事通信フォト)
井上邦雄組長・織田絆誠代表を相次いで襲撃 六代目山口組が待ち望む反撃、そして抗争激化へ
 6月6日午後9時50分ごろ、神戸市内にある指定暴力団・絆會の織田絆誠代表の自宅に軽乗用車が後ろから突っ込んだ。絆會は六代目山口組から分裂した神戸山口組から再分裂した組織で、当初「任侠山口組」と称していたが、現在は「山口組」の看板を下ろし、分裂抗争からも距離を置いていた。なぜ事件は起きたのか、全国紙社会部記者が語る。「ここにきて六代目山口組が敵対勢力、しかも組長・幹部クラスへの襲撃事件を多発させています。5月8日、神戸山口組ナンバー2の入江禎・宅見組組長の自宅に車両特攻が行なわれ、事件前日の6月5日には、神戸山口組トップの井上邦雄組長宅への発砲事件が発生したばかりでした。井上組長宅には10発以上の銃弾が発射されたとみられています。今回の織田代表宅への車両特攻も30代の男が出頭していて、六代目山口組関係者と見て取り調べを進めています」 2017年9月、神戸側は織田代表の乗った車を襲撃し、白昼堂々ボディガードを射殺している。一方で、六代目側は絆會側と組員同士の抗争こそあれど、織田代表を狙った抗争事件は今回が初めてだった。暴力団に詳しいフリーライターの鈴木智彦氏が六代目側の行動を分析する。「暴力団組員は上層部の意思を忖度して動きます。裁判で教唆にならないよう明確な指示はしませんが、抗争になれば上が黙認しない暴力事件などあり得ません。六代目山口組の中に、絆會に制裁を加えよという空気があるから事件が起きた。それは間違いない。軽自動車をバックで突っ込ませた程度では、門扉が破損する程度の損害しかなく、実質的な制裁としての効果はほぼゼロです。 しかし、絆會が敵であり、神戸山口組と同様の裏切り者で、『山口組』の看板を下ろしても許すつもりはないという意思表示にはなる。彼らはこうしてマスコミが大々的に報道するのも計算し、事件を起こしています。六代目山口組は今年3月から神戸山口組から離脱した池田組への襲撃を再開していた。6月1日に六代目山口組側から『池田組には手を出すな』という緊急通達が出て、一時休戦になっています。六代目山口組は池田組を解散に追い込んで、抗争終結に繋げたいのでしょう。絆會はその池田組と共同戦線を張っている。絆會トップが攻撃されたのだから、池田組への圧力は続いているとみていい」 今年の8月で分裂抗争から丸7年が経つ。警察庁の調査によると、2021年末での構成員と準構成員の合計は六代目山口組が8500人、神戸山口組は1000人、絆會は230人。人数の差は大きいものの、いずれの組も資金力はあると見られている。依然、今回の六代目山口組の襲撃に対して、報復を起こす能力はあるだろう。「六代目山口組が挑発のような小競り合いを繰り返すのは、相手のメンツを潰すことで反撃を誘っているのかもしれません。六代目山口組としては、あえて反撃を受けることで、さらなる襲撃事件を起こしやすくなる。実行犯が逮捕されても、個人的な怨恨だったと主張できるからです。暴力団が恐れているのは警察の捜査が上層部に及ぶこと。六代目山口組もトップの司忍組長や高山清司若頭が逮捕されるような事態は絶対に回避したい。そのためには山口組のために動いたのではなく、個人的な恨みを晴らしたのだという建前が必要になる。今回の一連の襲撃事件で六代目山口組に抗争を継続する強い意思があるのがはっきりした以上、今後、銃撃事件が頻発する危険は高いと見ています」(前出・鈴木氏)
2022.06.08 11:00
NEWSポストセブン
当時の地元紙からも抗争の過激さが窺える
本土復帰50年『ちむどんどん』では描かれない沖縄ヤクザの裏面史【後編】
 本土復帰から50年の節目に、沖縄を舞台にしたNHK朝の連続テレビ小説『ちむどんどん』が放送されている。一方、沖縄では、朝ドラでは描かれない“裏面史”もある。フリーライターで『サカナとヤクザ』などの著書がある鈴木智彦氏がリポートする。(前後編の後編。前編から読む) * * * 那覇派の頭目は空手道場の天才少年で、スターと呼ばれた又吉世喜だ。彼も実弟にタクシー会社を経営させていた。会社は合併を繰り返し、那覇最大のタクシー会社に成長した。当時、沖縄のタクシーに乗車中は、ヤクザの悪口を言えないという笑い話もあった。 コザ派と那覇派は、沖縄で大ブームだったビンゴゲーム遊技場の利権で揉め、沖縄ヤクザの第一次抗争がスタートする。コザはスターを旧日本軍の飛行場に連れ出し暴行するが、スターは空手の達人なので押され、棍棒や石で殴りつけ重傷を負わせた。琉球警察は両派を大量検挙して、抗争を鎮静化させるほかなかった。『ちむどんどん』の第1話の舞台となる昭和39年には、コザ派から泡瀬派が脱会、コザ派はぎょろっとした目玉をトレードマークに、ミンタミー(目玉)と呼ばれた新城喜史を首領として山原派を立ち上げた。派閥名の通りミンタミーはやんばるの出身で、構成員もまたやんばる一帯の若者だった。 沖縄では警察官が退職し、ヒットマンになった例さえある。山原派にはおそらく比嘉家の親族、関係者、知り合いがいただろう。やんばるは産業がない。映画監督の布川徹郎がドキュメント映画で描いたように、モトシンカカランヌー……元手の不要な仕事の筆頭がヤクザと泥棒と売春婦だ。 一方の那覇派からも普天間派が離脱した。4組織がにらみ合う一触即発の中、前述した山口組の殺し屋が、那覇派のスターを狙って撃った。スターはまたも一命を取り留め、不死身と呼ばれるようになる。その後、土佐犬の散歩中に撃たれて死ぬが、強者の慢心があったはずだ。 銃器を使い始めると限度がなかった。米軍基地の不良兵が、拳銃やカービン銃、手榴弾を横流しするからだ。マシンガンさえ格安で手に入る。拳銃より日本刀の方が入手困難だった。日本刀の代わりとして車のサスペンションを加工して刃を付けた。サビだらけの模造刀は名刀・破傷風と称された。 度重なる抗争の中、普天間派のトップが銃殺されて解散すると、沖縄に新たな外敵が現れた。本土最大の暴力団、山口組が進出を狙っていた。 暢子が高校を卒業して上京するのは、沖縄が本土復帰した昭和47(1972)年である。その前年、山口組の小田秀臣が復帰前の沖縄を訪れている。当時、山口組は山口組時報という会報誌を発行していた。5月号の表紙は守礼門の前に置かれた山口組旗で、沖縄右翼の大物である宜保俊夫の談話が掲載された。宜保の肩書きは「三代目山口組内東亜友愛事業組合理事沖縄支部長」になっている。 また論功行賞の不公平を理由に独立した上原組も山口組を頼った。沖縄ヤクザはこれに対抗するため大同団結し、旭琉会を発足させた。 サトウキビの他、主要な産業のあまりなかった沖縄では、第三次産業が極端に発展した。当時、アルコールの消費量も日本一で、基地からは大量のヤミ煙草が持ち込まれた。パチンコやスロットの換金率もよく、本土では10秒回って止まるスロットが、沖縄では3秒でストップする。短時間で結果が分かり、より多く賭金を徴収できる。 モアイ(模合)という沖縄独自の互助システムは頼母子講の一種で、沖縄人を結びつける鎖の役割を果たす。飲み会とセットで絆を深めるのは効果的な仕組みだ。ここから所場代を取るヤクザはモアイもシノギにした。昭和52年に逮捕された旭琉会の中堅幹部は、モアイで21億8000万円を動かし、座料で3800万円の利益をあげていた。 盛り場の住人であるヤクザの利権は増大し続けた。本土復帰後も、風俗営業等取締法の本土並み適用は2度にわたって延期された。内地の暴力団はソープランドなどを経由し、覚醒剤汚染のなかった沖縄に、悪魔の白い粉を持ち込んだ。利権の増大に比例し、抗争は過激化する一方だった。 リンチによって亀頭をペンチで毟られた上原組の若い衆は、その報復に山原派のミンタミーを撃ち殺した。同行したもう一人のヒットマンはフィリピン人とのハーフで、佐木隆三の書いた『海燕ジョーの奇跡』のモデルだ。彼は2009年に海難事故で行方不明となったが、警察は死亡を装い、フィリピンで生活している可能性があるとみている。 ミンタミーを殺された山原派は、7名部隊で相手の組員3名を拉致し、地元であるやんばるの森に連れ込んで深さ1.4メートルの穴を掘らせた。相手の親分の居場所を問いただしても知らないと拒否されたため、穴の中で銃撃して埋めた。うち一人は土の中から這い出してきたので、腹や心臓をめった刺しにして、こめかみにトドメの銃弾を撃ち込んで埋め戻した。私がまっすぐやんばるに向かったのは、この現場を取材するためだ。 今なら確実に死刑判決となる凶行だが、無期懲役で結審した。犯人グループの一部は仮釈放されたが、実行犯たちのかなりが今も刑務所にいる。教唆で逮捕され、同じく無期懲役となった旭琉会のトップ仲本善忠は、コロナ禍の直前、仮釈放を間近に控えながら風邪をこじらせ亡くなった。90歳を超えていただろう。 沖縄の抗争は山口組が撤退してからも続いた。旭琉会から富永清理事長が絶縁となり、一派が沖縄旭琉会を結成、第五次抗争に突入したのである。沖縄県警はアジトに張り付き警戒を始めた。銃器を手にした組員は警官に向かって「イッター・カラサチニ・クルサイヤー」(お前から先に殺してやる)と叫んで発砲、その隙に手榴弾を投げ込み、警察と激しい銃撃戦を演じた。この事件で沖縄県警は、「発砲もやむなし」と通達を下した。 それでも抗争は鎮静化せず、台風の夜に襲撃し、警戒中の警官2人を射殺し、定時制に通う高校生が巻き添えで殺され、主婦も巻き添えで撃たれた。沖縄ヤクザは抗争を「いくさ」と呼ぶ。抗争期間中は「いくさ世」だ。決して大げさとは言えない。平成3(1992)年に暴対法が施行されたが、これは沖縄の抗争が激しすぎたからだ。史上最大の抗争事件 東京で兄のボクシングジムを訪問した暢子は、彼が周囲に借金をして行方不明になっていると聞き、横浜鶴見を訪問する。そこで出会った沖縄二世の家に宿泊し、銀座のレストランに紹介状を書いてもらう。鶴見の沖縄県人会は京浜工業地帯が浅野埋め立てによって誕生し、その労働者の街として急速に発展する。沖縄の人たちが集まっていたのは鶴見橋を渡った潮田で、他に朝鮮人も多かった。 鶴見ではヤクザ史上最大の抗争事件が起きている。大正14(1925)年に起きた鶴見騒擾事件だ。 発端は東京電力が川崎市白石に建設しようとした火力発電所の工事だった。清水組(現清水建設)や間組の下請け業者が対立し、大阪の博徒も巻き込んだ市街戦では500人が検挙された。 片岡鶴太郎が演じる沖縄二世のような顔役もいた。宮城勇三は鶴見の親分と慕われ最期まで沢田住宅という十軒長屋に住み、鶴見を来訪する沖縄人に住居や仕事を世話した。 分裂から21年後の2011年、旭琉会と沖縄旭琉会が合併し、旭琉會が誕生した。彼らは平和のありがたみを骨身に染みて分かっている。もう二度と殺し合わず、『ちむどんどん』しないよう切に願う。(了。前編から読む/文中敬称略)【プロフィール】鈴木智彦(すずき・ともひこ)/フリーライター。1966年、北海道生まれ。日本大学芸術学部写真学科除籍。ヤクザ専門誌『実話時代』編集部に入社。『実話時代BULL』編集長を務めた後、フリーに。主な著書に『サカナとヤクザ』『ヤクザときどきピアノ』など。※週刊ポスト2022年6月3日号
2022.05.29 06:59
週刊ポスト
分裂抗争が最終局面に(六代目山口組の司忍組長/時事通信フォト)
病院発砲事件は「ケーキ片手に発砲事件」の報復か 過激化する山口組分裂抗争
 5月10日午前11時過ぎ、三重県伊賀市内の病院の駐車場で複数発の銃声が鳴り、指定暴力団・絆會の直系組織の谷奥由浩組長が右上腕を粉砕骨折する重傷を負った。絆會は六代目山口組から分裂した神戸山口組から再分裂する形で結成された組織である。2015年の山口組分裂からこれまでも抗争事件は多数発生してきたが、今回の事件は「分裂抗争のステージが変わった」とみられ、不穏な空気が漂っている。 今回の事件の詳細を全国紙社会部記者が語る。「谷奥組長は女性を車で病院に送り届けたあと、車中に1人でいたところを銃撃されています。この病院の周辺には民家が建ち並び、駐車場にも複数の防犯カメラはあったものの、犯人は白昼堂々犯行に及び、現場から途中まで徒歩で逃げている。犯行の一部始終がカメラに映るリスクを顧みないところから強い殺意がうかがえます」 事件から4日後、六代目山口組傘下組織の組員・清水勇介容疑者が千葉県内の警察に出頭し、銃刀法違反の疑いで逮捕された。清水容疑者の逮捕を受け、今回の事件は六代目側からの“報復”だった可能性が指摘されている。「今年1月、茨城県水戸市で六代目山口組の傘下組織の神戸達也若頭が事務所で射殺される事件が起きました。犯人は近くの洋菓子店で購入したケーキを片手に事務所を訪れ、玄関で応対した神戸若頭と揉み合いになった末、射殺しています。犯人はいまだ捕まらず、有力な情報もありませんが、事件前に神戸若頭が所属していた組と絆會との間で組員の引き抜きを巡るトラブルが起きていました。六代目山口組側は神戸若頭射殺を絆會の犯行と考え、報復に出たと見られています」(同前) 絆會は当初、「任侠山口組」と称していたが、「山口組」の看板を下ろしたことで、現在は分裂抗争から一定の距離をとっていると見られていた。「以降、六代目側は神戸山口組側に絞って抗争事件を繰り返してきたが、ここにきて変化が起きています。六代目側は絆會だけでなく、神戸山口組から離脱した池田組にも3月から立て続けに3件の抗争事件を起こしている。両組織に対して、離脱してもターゲットであるという意思表示でしょう。 当然、神戸側に対してはより危険度が高い抗争を起こしている。5月8日、神戸側ナンバー2の入江禎・宅見組長の自宅に車両特攻が行なわれましたが、入江組長を狙った抗争は初めてです。今年の8月で分裂から7年が経ち、司忍組長は80歳、高山清司若頭も今年で75歳になる。抗争終結を急ぐ六代目側が本格的に全方位抗争をしかけたといえるでしょう」(同前) 一方で、六代目側も中核組織である弘道会の傘下組織組長が5月13日、大阪市繁華街のビルとビルの隙間で遺体として発見され、大阪府警は殺人事件として捜査を始めている。犯人はまだ分かっていないが、予断を許さない状況が続いている。 
2022.05.19 16:00
NEWSポストセブン
分裂抗争が最終局面に(六代目山口組の司忍組長/時事通信フォト)
神戸山口組幹部自宅に車両突っ込み事件 分裂抗争再燃か、変化する六代目山口組の動き
 山口組分裂から7年が経とうとしているなか、六代目山口組による神戸山口組を狙った抗争事件が多発している。 5月8日未明、大阪府豊中市にある神戸山口組の“ナンバー2”入江禎・宅見組組長自宅に車両が突っ込む事件が発生した。「事件当時、入江組長は在宅していました。深夜だったとはいえ、入江組長宅は高級住宅街にあり、近隣住民が巻き込まれる可能性もあった。警察は逮捕した男を六代目山口組と関係があるとみて捜査しています」(全国紙社会部記者) 照準は神戸山口組の中心組織だった池田組にも向けられている。3月4日に、愛媛県四国中央市の傘下組織事務所に車両特攻、4月22日には宮崎市の傘下組織事務所を襲撃、5月3日には岡山市にある関連施設に車両特攻と、立て続けに3件もの事件が起きた。いずれも六代目山口組側の組員が逮捕されている。フリーライターの鈴木智彦氏が語る。「池田組は2020年7月に神戸山口組から離脱し、独立組織となっています。しかし、7年前の分裂時に六代目側は、池田組の池田孝志組長を分裂の首謀者として『絶縁』処分にしています。六代目側からすれば、離脱したとしてもターゲットであることは変わりないという意思表示でしょう。 抗争とは距離を置いてきた宅見組に対しても、これまでは組員同士の突発的な衝突こそあったものの、六代目側は大がかりな抗争事件を起こしてこなかった。ここにきて分裂抗争に変化が起きていると言えます」 これまでも山口組の分裂抗争で市民は幾度となく恐怖に脅えてきた。2019年11月には兵庫県尼崎市の商店街で、神戸山口組の最高幹部が自動小銃で射殺されたが、事件は人通りの多い夕方に起きた。今回もわずか2か月の間に全国で4件もの抗争事件が起き、予断を許さない状況が続いている。「六代目側は神戸側の組員を復帰させる“切り崩し”による弱体化を狙っていましたが、神戸山口組の井上邦雄組長は持久戦の構えを崩さず、膠着状態が続いていた。今年、六代目山口組の司忍組長は80歳になり、高山清司若頭も75歳になる。時間的猶予もなく、これまで以上に神戸側へ抗争をしかけていくのではないか」(鈴木氏)※週刊ポスト2022年5月27日号
2022.05.16 07:00
週刊ポスト
写真/AFLO
暴力団事務所襲撃 入念なシミュレーションでも場所を間違える理由
 警察や軍関係、暴力団組織などの内部事情に詳しい人物、通称・ブラックテリア氏が、関係者の証言から得た驚くべき真実を明かすシリーズ。今回は、暴力団事務所襲撃の際、実行犯はいかにして“リスク”を回避するのか、暴力団関係者らが語る。 * * * 5月3日、岡山市北区にある指定暴力団・池田組の関連施設に、軽ワゴン車が突っ込み、建物の壁面や窓ガラスなどを損壊するという事件が起きた。犯人は特定抗争指定暴力団、六代目山口組傘下の51才の組員。事件の後、約30分後に岡山中央署に自首し、建造物損壊の疑いで緊急逮捕された。警察の取り調べで容疑者は「自分の車を運転してバックで突っ込んだ」と供述しているという。 ある暴力団関係者からLINEで情報が送られてきたのは事件の日の夜。ビルに突っ込んだままの軽ワゴン車の前で、警察の鑑識捜査が行われている現場写真や、窓ガラスが割れたビルの写真があった。暴力団関係者にとっても、LINEは便利な情報ツールだ。暴力団というキーワードが付く事件が起こる度、彼らからのLINEには、事件概要だけでなく現場の写真や動画が飛び交う。事件の一部始終が撮られていることもあれば、血だらけになって横たわる被害者や犯人らしき人物が映っていることさえある。そしてその映像は、メディアのニュースソースとして流れることも多い。 池田組は、神戸山口組から離脱して独立組織になっており、容疑者は六代目山口組傘下の五代目山健組系組員だ。五代目山健組は六代目山口組から一度脱退し、その後、脱退した他の組とともに神戸山口組を結成したが、2020年に組を離脱。2021年に再び六代目山口組に復帰している。池田組も五代目山健組も同じ組織の傘下だった組同士なのだ。情報をくれた暴力団関係者が「面白いですよね」とコメントするぐらい、山口組が分裂して以降、離脱に脱退、破門に復帰が繰り返され、傍目には誰が身内で敵なのか分かりにくくなっていた。 警察は暴力団抗争の可能性も視野に入れているというこの事件、LINEにはこんな内容も送られてきた。「バットを持って事務所に行ったが、誰も出てこないのでガラスを全部割ったそうだ」 突っ込んだ施設には普段、組員が出入りしていたというが、事件当時、人がいたかどうかは分かっておらず、警察が捜査中だ。容疑者の動機は不明だが、相手がその場にいるかいないか分からないというのは、このような場合リスクでしかないはずだ。 ある暴力団組織幹部・A氏は、抗争などで相手の事務所や関連施設を襲撃したり、拳銃を撃ち込んだりする場合、「決行するにあたって、そこに人がいないことが前提になる」と話す。 凶器をもって事務所に乗り込むだけでも、実行犯にとっては命がけで、「自分に振りかかるリスクはなるべく避けたいのが本音」(A氏・以下同)。襲撃に行く組員は相手をやることより、できるだけ早くその場から逃げることを考える」というのだ。 リスクを避けたいはずのヤクザだが、狙ったビルが暴力団組織とは何の関係もない建物だった、襲撃する事務所を間違えたという事件が、結構な頻度で起きている。それはなぜなのか、A氏にその理由を尋ねると、「撃ち込みなどを実行する者と事前に場所などを下調べする者は別だからだ」と答えた。「周りに同じような建物があっても、今はどこの組も何台もの監視カメラを付けているので、実行者はその建物かどうかゆっくり確認することができない。建物の前を何度も行ったり来たりすれば、その時点で危なくなる」 通り沿いに似たような建物があっても1つ1つ確認することはできない。これだと当たりを付けて狙うため、間違いが起きるというのだ。ヤクザなりのリスク回避に巻き込まれた結果ということだろうが、被害者にとってはひどい話だ。「人がいても、行ってしまえばやるしかない。バイクだと現場に行きやすく逃げやすいが、コケて横転する危険もあるから逃走時は要注意だ。誰もいなくても、イザ!という時に拳銃が不発で弾が出ず、大慌てで逃げ帰るようなことも起こる」 暴力団事務所等への襲撃では、今回のように車が突っ込むことも多いが、ドアやシャッターに拳銃が撃ち込まれることもある。そのような時、実行犯は前もって襲撃から逃走するまでを何度もシミュレーションをすることになる。シミュレーション通りに実行し逃走するには、襲撃現場に人がいない方が安全で確実になのだ。「あるヤクザ映画で、最後に投げようとした手榴弾が湿気で爆発せず、組長が撃たれて死ぬというのがあった。誰もあんなことにはなりたくないんでね」とA氏は話す。 敵対する事務所に勢いに任せてむやみに突撃するのは、今や映画やドラマの世界でのことらしい。ヤクザの襲撃も、彼らにとってできるだけリスクが低い方法が考えられているということらしい。
2022.05.12 07:00
NEWSポストセブン
アイチ・森下安道伝 戦後最大の経済事件「イトマン事件」のオールキャスト登場
アイチ・森下安道伝 戦後最大の経済事件「イトマン事件」のオールキャスト登場
【連載『バブルの王様』第二部最終回】貸付総額1兆円のノンバンク・アイチを率いた森下安道の元には、バブル紳士をはじめ怪人物たちが群がった。それが“戦後最大の経済事件”と呼ばれるイトマン事件に繋がっていく。『バブルの王様 アイチ森下安道伝』の第二部第最終回、ノンフィクション作家・森功氏がレポートする。(文中敬称略)。【写真】戦後最大のフィクサー”とも呼ばれた許永中 * * * バブル紳士はもとより反社会勢力の住人、さらには日本の政官界や欧米の社交界にいたるまで、森下安道の交友は果てしなく広がった。そのネットワークには、一般にあまり知られていない接点もある。前号で紹介した山口組の瀧澤孝を森下に引き合わせたのは、須江満実なる人物なのだという。森下と同年代だった不動産・金融ブローカーである。  アンダーグラウンドの人脈に通じる須江は、「ノマツ興産」という不動産会社を経営してきた。斯界では、あの「最上興産」の偽造手形を駆使して地上げの帝王、早坂太吉から41億円も騙し取った男だと語られる。ニセの土地権利証づくりなどはお手のもので、いわゆる地面師詐欺などを働いて前科6犯。詐欺師を騙すクロサギ師と称されたツワモノである。  森下本人によれば、「池田保次を連れてきた」のが、アイチに出入りしていた須江だったという。山口組系組長から地上げ屋に“宗旨替え”し、コスモポリタンを立ち上げた池田は1980年代後半、東証一部上場の中堅ゼネコン「東海興業」株を買い占め、最強の仕手集団と恐れられた。その金主である森下と池田は、しばしばセットで取り沙汰されてきた。コスモポリタンが京都銀行などの地方銀行株を買い漁ると、アイチはそれら地銀の大株主となった。ごみ焼却炉メーカー「タクマ」をはじめ、池田の手掛けた仕手戦のバックが森下だと囁かれたのも無理はなかった。 その池田が勇名を轟かせた走りが、東海興業株の買い占めだといえる。コスモポリタンによる株争奪戦は、証券界のみならず、政財官界にも波紋を呼んだ。折しもリクルートグループの不動産会社「リクルートコスモス」の未公開株がばら撒かれた1986年6月から翌1987年春にかけての時期にあたる。リクルート疑獄そのものは、〈川崎市助役へ一億円利益供与疑惑〉と題した1988年6月18日付の朝日新聞朝刊によって明るみに出たが、未公開株の譲渡と同じ頃、池田は東海興業の株取引に血道をあげていた。  森下に資金繰りを頼んで東海興業株を購入した池田は、そこから準大手ゼネコン「青木建設」に東海興業との合併を持ち掛けた。株の買い取りを打診された青木建設は前のめりになる。 実際、池田は1987年3月、買い集めた東海興業の2000万株を一株あたり1800円で青木建設に売り抜けた。売却額は実に約350億円にのぼり、池田はこの仕手戦で100億以上を荒稼ぎしたと伝えられる。むろんこの間、金主の森下も相当な利益を得ているが、見方を変えれば、森下と池田は、青木建設の東海興業合併計画にひと役買ったことになる。  青木建設といえば、竹下登銘柄と呼ばれた政界のスポンサー企業であり、おまけにリクルート疑惑が囁かれるさなかのことだ。竹下自身、コスモスの未公開株譲渡が浮上していただけに、青木建設の株取引は、兜町や北浜の話題をさらった。 青木建設の合併計画はその後、東海興業側の反発を食らい、とん挫する。6月には、東海側が500万株を買い戻し、青木側が大株主に留まり、東海を支えることで折り合った。むろん森下や池田は痛くも痒くもない。それどころか、池田はこの間も、双方のトラブル処理に首を突っ込んで存在感を示した。  この東海興業を巡る一連の株取引では、現役国会議員の名前が何人も浮かんだ。池田の相談相手となった一人が、亀井静香である。おまけに亀井はこのあと、池田の薦める自動車内装部品メーカー「シロキ工業」20万株や紡績会社「オーミケンシ」18万株を池田とともに買いあげた。挙げ句、当時の相場で3億4000万円だったそれらの株を5億円で池田に買い取らせていた事実まで判明する。  シロキ株やオーミケンシ株の売買について、亀井事務所は「他の政治家に頼まれて窓口になっただけで、利益は得ていない」と言い訳をした。それでいて、コスモポリタンからの5000万円授受疑惑まで浮上した。 もっともこうした池田と亀井の関係が評判になったのは、実際のやりとりの2年ほどあとのことだ。東京・目黒の雅叙園観光ホテル株を買い占めて経営に乗り出した池田は1988年8月、忽然と姿を消す。そしてあの許永中グループが池田のあとの雅叙園観光の経営を引き継いだのである。のちに戦後最大の経済事件と呼ばれたイトマン事件を引き起こした許は、大阪地検特捜部に逮捕されたあと、取り調べ検事に次のように供述した。 〈私は、昭和六十三(1988)年二月ごろから、債権者仲間から推されて、雅叙園観光(ホテル)株式会社の経営に関与するようになりました〉(1991年8月8日取り調べの検察官面前調書より抜粋) 前に書いてきたように雅叙園観光ホテルは、芸能興行師の松尾国三が戦前の中華料理店を戦後モダンなシティホテルに改め、繁盛してきた。遊園地などを運営する日本ドリーム観光の兄弟会社で、1980年代後半、ここが池田に乗っ取られたのである。  その池田が姿をくらまし、許グループがその経営を引き継いだのは間違いない。半面、前述したように池田の失踪は1988年8月なので、供述通りだとすれば、許は池田の失踪より半年前に雅叙園観光ホテルの経営にかかわっていたことになる。いったい、どういうことだろうか。 池田の失踪はその前年の1987年10月に起きた世界同時株安、ブラックマンデーにより、タクマをはじめとした仕手株が軒並み暴落したせいだとされる。池田は資金繰りのため、雅叙園観光ホテルの手形を乱発した。すると、株価はさらに下がり、ますます窮地に陥っていった。  仕手筋にとってブラックマンデーによる株価の暴落はたしかに痛手であったろう。明くる1988年には、「北浜の御三家」と呼ばれた大阪の大物相場師が証券界から消えた。順を追っていえば、1月に「コスモ・リサーチ」の見学和雄が殺害され後にコンクリート詰めの遺体になって貸倉庫で発見、8月がコスモポリタンの池田の失踪、10月になると木本一馬の経営する「日本土地」が倒産し、当の木本は3年後に豊中市の自宅で自殺した。 ただし「一人で東京に行く」と秘書に言い残して新大阪駅から新幹線に乗り込んだ池田の失踪は、株価の暴落だけが理由だとも思えない。他の仕手筋やバブル紳士たちもブラックマンデーで同じように痛手を負った。だが、むしろ多くはここからバブル景気を謳歌し、絶頂期を迎えていく。それだけに池田の失踪については、いまだ謎めいた語らい草となっている。アイチの大阪支店でコスモポリタンを担当していた森下の元秘書、大野晃は、池田の失踪について終始首を傾げてきた。 「池田会長の失踪情報を聞いた翌日の朝、大阪・御堂筋にあったコスモポリタン事務所に駆け付けました。すると、入り口のドアに、『新日本建設の管理物件』と張り紙がしてあって立ち入れない。驚いたことに、事務所は永中さんの側近グループが占拠していた。どこから失踪を知ったのか知らないけど、ひと足先にコスモポリタンの株やら不動産やらの資産を差押えていたのです」  張り紙の「新日本建設」は許のグループ企業である。先の供述と突き合わせて考えれば、許は池田の失踪前から雅叙園観光ホテルの経営を引き継ぐ準備をしていたのであろう。「新たに1億円ばかりファイナンスしてくれまへんか」 許永中が絵画ビジネスで森下たちといっしょに欧州旅行をしてきた件は、前に書いた。当の許は絵画だけでなく、株や不動産の取引でもアイチから融資を受けてきた。森下が許に融通した資金は、トータルで数千億円といわれる。森下はどうやって許と知り合ったのか、90年代初めに森下本人に尋ねたことがある。 「もう25年くらい前でしたかな。永中とはじめて会ったのは。まだ30歳そこそこだったけど、それ以来風貌はほとんど変わっていません」 アイチとの取引は飛び込み同然だった、と森下は言った。 「うち(アイチ)の八重洲支店が永中に金を貸していましてね。それが焦げ付いていたんです。焦げ付いたのは、あの頃ですから、3000万円程度だったと思います。それで、八重洲の支店長へ『いっぺんそいつを連れて来いや』と命じた。そうして永中本人がここ(アイチ本社)へやって来た。まだ藤田栄中と名乗っていました」 当時の許は、「東邦エンタープライズ」という旧東邦生命の保険代理店を設立し、その東京支店を開設したばかりだった。支店は大手町の皇居前にあるパレスホテルの一室を借り、事務所にしていた。 「この場で焦げ付きをきれいにしろ」  森下はアイチ本社に許を呼びつけ、そう迫った。一方の許はこう切り返した。 「わかりました。ついては新たに1億円ばかりファイナンスしてくれまへんか」  森下はあまりの図々しさになかばあきれながら、半分はその並外れた人懐っこさに魅力を感じたという。「おまえは頭がおかしいのと違うか。なんで3000万円も焦げ付いている相手に追加で金を貸さなければならんのか」  そう言いながら、森下はまずは3000万円を返済させた。 「まあ、そうだな、ほかに担保があれば、改めて新規で融資せんでもないよ」  森下は許の持っている不動産を担保に1億円を新たに貸し付けた。ここから許はひと月に1度のペースで四谷のアイチ本社を訪ね、森下と親しくなっていく。 やがて許に欧州の絵画を売るようになった森下は、許を京都銀行の株取引に巻き込んだ。既述したように、1980年代末期の森下は、全国の地銀や第二地銀の株を買い漁った。あわよくば銀行を手に入れたいという願望があったからだが、なかでも最も熱をあげたのが、京都銀行株の取得だった。アイチでコスモポリタンに仕手戦の資金を用立てながら、一方で森下は京都銀行の第三者割当増資を引き受け、自らの持ち株を増やした。そのうえで森下は、所有している京都銀行株の何分の一かを許に譲渡した。  株の譲渡は許の希望でもあった。それは、京都銀行株の売り先を想定していたからにほかならない。このとき許は西武セゾングループの代表である堤清二が京都銀行を手に入れたがっていると聞きつけた。情報源は画廊「フジ・インターナショナル・アート」を経営する福本邦雄だとされる。福本は竹下の「登会」をはじめ、中曽根康弘の「南山会」や大平正芳の「大雄会」といった後援組織を主宰する政界の黒幕といわれた。日本共産党の指導者だった福本和夫の長男であり、東大時代に共産党細胞だったセゾンの堤との関係から、京都銀行の件を知ったという。 許は堤に売るため、京都銀行株を買い集めた。森下から譲渡された株を足がかりに、市場で100万株、200万株と買い増していった。購入する株式を担保に金を借り、株を買い増していくやり方だ。仕手筋の常套手段でもあり、いわばコスモポリタンの池田と同じ発想だ。許はコスモポリタンの池田のことを「池ちゃん」と呼んで、二人は親しくしていた。  許は、アイチの森下やコスモポリタンの池田が進めてきた京都銀行株の買い占めに相乗りしたようなものだといえる。許の持ち株はあっという間に2300万株に達し、実に京都銀行の発行済み株式の7%を占めた。株価の時価評価額にすると230億円。株を買う資金の出どころの大半がアイチだったのは、いうまでもない。「こんなに株を買ってどうするつもりなのか。金利は払えるのか」  森下は慌ただしく京都銀行株を買い集める許に対し、そう問いかけた。が、堤に株を売る腹積もりの許は平然としていたという。 もっともこの京都銀行株仕手戦の参戦は、失敗に終わった。肝心の堤が土壇場で買い取りを拒否したからだ。ただし、株を担保にとっている森下は、いざとなれば抵当権を行使して許の株を手に入れればいい。そこは池田に対しても同じだが、京都銀行株の買い占めは、そうした異なった思惑が絡み合い、進んでいったのである。  この京都銀行株の仕手戦は1988年7月頃までのこと。つまり池田が姿を消すひと月前である。池田の失踪はもっぱら雅叙園観光ホテルの経営問題がらみで語られることが多いが、京都銀行株とも無縁ではないように感じる。手提げの紙袋で渡された現金を新聞紙で覆い隠して持ち運んだ〈雅叙園(観光ホテル)は、コスモポリタンの池田保次が経営権を握り、手形を乱発したことから、経営危機に陥り、池田に対する債権者ら、つまり、私やアイチの森下安道、丸益産業の種子田益夫、大阪府民信組の南野洋らが相談し、その経営を見ることになって、まず、私が右債権者仲間から推されて、雅叙園に送り込まれたのです〉  大阪地検に対する許の供述は、次のように続く。 〈何もやりたくて自ら進んで雅叙園の経営に乗り出したわけでもなく、(中略)右南野が、協和綜合開発の伊藤(寿永光)に雅叙園を任せたらと勧めてくれ、伊藤に雅叙園の経営をバトンタッチすることになったのです〉  こうして許や伊藤、南野らが、池田による雅叙園観光ホテル株買い占め劇のあと処理を手掛けていった。それはのちのイトマン事件に登場する役者たちのオールキャストでもある。 なお許の供述にある丸益産業の種子田もまた、アイチの取引相手だった。出身地の宮崎県で養豚事業を始め、金融業やゴルフ場開発で財を築いた。演歌歌手の石川さゆりのパトロンと騒がれた時期もある。ゴルフ場経営会社「アイワグループ」を率い、関東や関西で病院を経営してきた。種子田はのちに小佐野賢治がオーナーだった国民銀行の不正融資事件を引き起こす一方、森下だけでなく、許や南野とも付き合いがあった。種子田を担当していたアイチの元幹部社員が回想した。 「種子田会長はふだん大阪にいたから、そこへヘリで行ったことがあります。(森下)会長に『この絵を売るから、急いで持っていけ』と命じられましてね。絵のことなんてぜんぜんわかりませんし、包装されているので中身も知りません。会長に言われるがまま、大きな額の絵を抱えて向こうに持っていきました」 絵画の売却代金は1億3000万円だったという。売却代金を受け取って会社に戻れ、という指示だったようだ。再び幹部社員がその状況を説明する。 「ところが、帰りはヘリを使えなかった。あの頃の会長は1億3000万円ぐらいなら、いつどうにでもなっていたので、急いでいたのは種子田会長のほうだったのでしょうね。絵を別の取引に使おうとしたのかもしれません。私は届けたあと、現金を持って新幹線で帰京しました」 売却代金の1億円あまりはデパートにあるような手提げの紙袋で渡され、その上から新聞紙で覆い現金を隠して持ち運んだという。 「だから怖くて、帰りの新幹線ではトイレにも行けませんでした。で、会社に戻っても森下会長はもういないし、役員の営業部長にそれを渡し、ようやくホッと安心した覚えがあります」(同社員) 帰京の際に新幹線を使ったのは、ヘリコプターがアイチのそれではなく、種子田のものだったからのようだ。森下は当初ブラックホークメーカーとして名高い米「シコルスキー・エアークラフト」製のヘリを使っていたが、その後イタリアの「アグスタ」製に換え、それを輸入してアイチの取引先に販売した。アグスタ製はノーマル仕様が3億2000万円で、VIP仕様で4億2000万円、許はヘリのボディに虎のマークを入れたという。それらは江東区木場のヘリポートで整備されていたため、東京に置かれていたのである。  アイチの森下安道のまわりでは、池田保次の失踪と相前後し、バブル経済を象徴するような大きな事件が同時多発的に起きた。1989年8月、ワイヤーロープメーカー「東京製綱」株の仕手戦を演じた韓義孝率いるキャングループが1000億円の負債を抱えて倒産。森下が債権者委員会を取り仕切った。さらにアイチが繊維商社「立川」の筆頭株主に躍り出て、立川のメインバンクで大株主の住友銀行グループが大慌てする。住銀グループは第三者割当増資で株数を増やし、森下の持ち株比率を下げようとして揉めていった。 これに対処したのが、住銀グループ系商社イトマンの社長だった河村良彦だ。アイチ側と直談判して事態を収拾するのだが、その裏で河村は雅叙園観光ホテルの経営にも首を突っ込んだ。そこから、ついにイトマン事件の幕が開く。  事件はバブルという泡沫の夢を吹き飛ばした。しかし、バブルの王様は生き残った。(『バブルの王様』了)【プロフィール】森功(もり・いさお)/ノンフィクション作家。1961年福岡県生まれ。岡山大学文学部卒。新潮社勤務などを経て2003年よりフリーに。2018年、『悪だくみ―「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。近著に『菅義偉の正体』『墜落「官邸一強支配」はなぜ崩れたのか』など。■『バブルの王様 アイチ森下安道伝』は書き下ろしを加えて小学館から刊行予定。※週刊ポスト2022年4月29日号
2022.04.30 19:15
マネーポストWEB
アイチ・森下安道伝 山口組最高幹部との絵画取引とオークション会社の買収
アイチ・森下安道伝 山口組最高幹部との絵画取引とオークション会社の買収
【連載『バブルの王様』第二部第6回】貸付総額1兆円超のノンバンク・アイチを率いた森下安道の交流範囲はバブル紳士にとどまらず、闇社会にも及んだ。その人脈の中核にいたのが、日本最大の暴力団、山口組の最高幹部だ。『バブルの王様 アイチ森下安道伝』の第二部第6回、ノンフィクション作家・森功氏がレポートする。(文中敬称略)【写真】取り立ての厳しさから「マムシ」と呼ばれた森下安道氏 * * *「瀧澤さんは絵が好きでね、うちのアスカ(インターナショナル)にもよく来てもらったけど、あるときオークションに行きたいというので、連れて行ったんですよ」  生前の森下安道が、そう話したことがある。瀧澤とは、元山口組最高幹部の瀧澤孝のことだ。江戸時代から続いた「國領屋下垂一家」の八代目総長である瀧澤仁志が、田岡一雄三代目組長に取り立てられ、組織は山口組直系二次団体となる。そのあとを継いだのが、実弟の孝だ。瀧澤は竹中正久四代目組長体制に反旗を翻した一和会との「山一抗争」の実績を買われ、五代目の渡辺芳則組長体制で若頭補佐に就く。文字通り若頭補佐は、山口組ナンバーツーの若頭を支える執行部の一員である。瀧澤は國領屋下垂一家を「芳菱会」と改め、関東ブロック長を務める山口組大幹部の一人として、斯界にその名を轟かせてきた。 六代目山口組組長の司忍とともに1997(平成9)年に起きた組員の拳銃所持事件で共謀共同正犯に問われ、逮捕されたこともある。その保釈保証金が司の10億円を上回る12億円だった。ちなみに保釈金の史上最高額は、牛肉偽装事件で身柄を拘束されたハンナングループの浅田満の20億円で、2番目が日産自動車特別背任事件のカルロス・ゴーンの15億円である。  美術品コレクションが趣味だった山口組の瀧澤は、やがて森下と親しくなった。その瀧澤本人が山口組五代目組長体制の発足する少し前、組長を確実視された渡辺に絵画をプレゼントしようとしたという。冒頭の森下の話は、瀧澤からプレゼント用の絵画選びを相談されたという意味である。 渡辺はもともと瀧澤と同じ若頭補佐として、四代目組長の竹中に仕えてきた。1985(昭和60)年1月、組長の竹中とナンバーツーの若頭中山勝正が暗殺された。世にいう「山一抗争」が勃発する。  山口組では暫定執行部体制を敷いて渡辺が若頭に就任し、抗争の陣頭指揮をとった。当初、優勢なのは一和会だったが、次第に山口組という暴力団社会の金看板に押されて形勢が逆転し、1989年3月には白旗をあげた。  そしてこの山一抗争で一和会を壊滅に追い込んだ若頭の渡辺が、次の山口組五代目組長の座を約束される。事実、渡辺は抗争終結の翌4月、五代目組長に昇りつめた。瀧澤の絵画プレゼントは、この間の出来事である。  上司や得意先に対する付け届けやプレゼント攻勢は世の常といえる。そこに一般社会と暴力団の世界との違いなどない。渡辺は夫人にブティックを経営させてきたが、山口組幹部の夫人たちはその店に通い、高級ブランド品を競って買った。 その渡辺自身もまた、絵画が好きだったのであろう。少なくとも瀧澤はそう考え、青い目の描かれた加山又造のシャム猫の原画を贈ろうとしたという。億単位の高価な絵画で、なかなか手に入らない貴重な人気作品だ。  瀧澤は絵画選びを兼ね、渡辺を東京に招待して接待を繰り返した。その接待場所が、アイチの開発した千葉県君津市の上総カントリークラブだった。1984年11月のオープンセレモニーにジャック・ニクラウスが来日し、話題を呼んだゴルフ場である。 森下自身、ゴルフに目がなく、バブル紳士たちと賭けゴルフを楽しんできた。山口組の渡辺ともいっしょにラウンドしたのか、そう尋ねてみた。が、さすがにそれは控えていたようだ。森下は言った。 「瀧澤さんとはたしかに親しかったけど、さすがに世間がうるさいからね、そんなことはできませんよ。うちのヘリは使ってもらっていたけどね」 これまで書いてきたように、1980年代半ばは森下に対するマスコミの関心が集まった時期にあたる。音響機器のアイデン倒産をはじめ、中江滋樹の投資ジャーナル詐欺やコスモポリタンによる株買い占めなど、森下の周囲では立て続けに事件が起きた。  今でこそ、反社会勢力と認定されればゴルフ場に立ち入れないが、当時は暴力団組長が子分たちを引き連れ、平気でラウンドした。といっても、さすがに山口組組長といっしょにゴルフをしているところをマスコミに報じられたら、大騒ぎになる。 おまけに血なまぐさい山一抗争の真っただ中だ。前述したように、四代目組長の竹中が愛人のマンションロビーで暗殺されたのが、上総CCオープン3カ月後の1985年1月だ。日本の暴力団史上最大といわれた抗争は、そこから1989年3月までおよそ4年にわたった。渡辺の五代目組長就任は、山口組が圧倒した抗争終盤に確実視されていたから、アイチの上総CCを行きはそのあたりの出来事だろう。  ちなみに1987年8月には、田園調布の森下邸に銃弾が3発撃ち込まれた。原因はアイチが融資していた東村山市の特別養護老人ホーム「松寿園」とのトラブルだとされ、山一抗争とは無関係だろうが、ただでさえ暴力団との関係が取り沙汰されてきたアイチにとって、山口組との接点が明るみに出てはいかにもまずい。森下自身が上総CCで彼らに付き合わなかったのは、そうした事情があったに違いない。森下に代わり、アイチの社員たちが彼らの世話を命じられた。 静岡県浜松市を根城にしてきた芳菱会総長の瀧澤は、東京にもプライベート事務所を置いていた。事務所は赤坂にあるANAインターコンチネンタル東京の裏にあり、本人は上京すると、内幸町にある帝国ホテルのスイートルームに宿泊した。 「森下会長、(若)頭が東京に来るので、悪いけどヘリを用意しといてんか」  瀧澤は森下にそう伝え、森下はアイチの社員にゴルフ接待のアテンドを命じた。ラウンドするメンバーは渡辺と瀧澤、そこにたいてい組幹部ではない紳士が加わったという。3人はボディガード兼運転手の組員たちとともに早朝6時に帝国ホテルを出て、ヘリポートのある木場に向かった。アテンド役のアイチの社員が、ヘリポートで山口組一行の乗ったベンツ3台を出迎え、いっしょにゴルフ場へ飛んだ。ヘリの飛行時間はせいぜい40分ほどしかないが、アイチの社員たちはさすがに緊張した。「お風呂になさいますか」  初めてのラウンド後、支配人がそう尋ねたこともあったという。気をきかせたつもりなのだろう。すると瀧澤が笑い飛ばした。 「ばか、俺たちは風呂に入らないんだよ」  ゴルフ場はとうぜん貸し切りなのだが、やはり同伴の紳士に背中の刺青を見られることを気にしていたのだろう。山口組一行はゴルフを終えると、すぐにヘリで木場まで戻ってきた。そこで組員たちが出迎え、ホテルに帰った。山一抗争の終盤、そんな光景が何度か繰り返されたのだという。他のバブル紳士にない独特な人的コネクション もっとも瀧澤が五代目山口組組長を目前にした渡辺のために探し求めていた肝心の加山又造の原画は、なかなか見つからなかったようだ。アイチの幹部社員が明かした。 「たしか日本洋画商協同組合主催のオークションの下見会が、麹町のダイヤモンドホテルで開かれるというので、そこに瀧澤総長をお連れした覚えがあります。ヤクザの名前ではオークションで絵を競り落とせません。なので、アイチで買って手数料をもらって渡そうとしたわけです。それでホテルの会場前で待ち合わせしていると、瀧澤総長が白いマスクに真っ黒いサングラスをかけてベンツから降りてきた。子分衆に『おまえらはここで待ってろ』と言い、車の中で待機させていました。だけど、本人がいかにも怪しい。だからサングラスとマスクを外し、帽子だけをかぶってもらって下見会場に入りました」 結成65年の歴史ある日本洋画商協同組合は銀座にギャラリーを構え、洋画の出版・編纂のほか、オークションも主催してきた。だが、暴力団組長は本番のオークションに参加できない。そのため、あらかじめ会員の画廊向けに催される下見会で目当ての加山の絵画を探そうとしたわけだ。瀧澤を案内したアイチの幹部社員が、その光景を思い起こしてくれた。 「下見会にお連れしたとき、そのなかにたしかに加山又造の絵が20点近くありました。絵のサイズが小さすぎたり、大きすぎたり、雑な描き方だったり、いろいろありました。ほれぼれする加山作品もあった。だけど、シャム猫の原画とは違ったようでした。だから、結局あきらめたのではないでしょうか」 瀧澤が渡辺に絵画をプレゼントできたかどうか、それは森下に聞いても、わからないという。  貸金業からスタートし、ゴルフ場開発、さらには絵画ビジネスまで手を広げた森下の交友相手は、むろん暴力団だけではない。森下はむしろ絵画ビジネスのおかげで、他のバブル紳士にない独特な人的コネクションを築いた。  森下は1989(平成元)年9月、美術界における2大オークションの一角である英「クリスティーズ」の大株主として登場し、世界を驚かせた。豪州の富豪、ロバート・ホームズアコートの株を3300万ポンド(76億円)で買い、総株式の7.3%を占める第2位の株主に躍り出る。事実上、個人の筆頭株主といわれた。 クリスティーズは1766年12月、美術商ジェームズ・クリスティーがロンドンに設立したオークション会社だ。18世紀のフランス革命の結果、パリに代わりロンドンが世界の美術品貿易の中心となり、英サザビーズとともに世界中の美術品の競売を手掛けるようになる。1973年にロンドン証券取引所に株式を上場し、その後、オーナーがたびたび入れ替わった。その一人が日本の森下だったのである。  ちなみにもう一つの大手サザビーズはクリスティーズに先立って1744年3月11日、ロンドンで創業した。もとは英ジョン・スタンリー卿の蔵書を売却するためのオークションだ。 世界の2大オークション会社の買収に乗り出すまでになった森下は、ますます美術品の売買にのめり込んだ。そのために日本の大学を卒業したばかりの三女の雅美(仮名)をパリのクリスティーズに“留学”させたことまである。彼女をニューヨークの社交界「インターナショナル・デビュタント・ボール(舞踏会)」にデビューさせた前後のことだ。森下自身がこう話した。 「娘に美術品の取引を覚えさせようと思ってね。やっぱり海外に住んでないとそれがわからないから、しばらく雅美をクリスティーズに預けたんですがね」  雅美はスタジエという立場で、1年半ほどクリスティーズに勤めた。いわばオークションの見習いである。折しも、東京・青山でアスカインターナショナルを設立した頃だ。森下はクリスティーズやサザビーズに頻繁に通い、美術品を手当たり次第に買い漁り、雅美に対しあわよくばフランス人との結婚を望んだ。青山に設立したアスカインターナショナルは、瞬く間に日動画廊を抜き去り、美術品取扱高が日本一になった。年4回のオークションで160億円の買い物 クリスティーズとサザビーズは春と秋にローテーションを設定し、ロンドンとニューヨークでそれぞれ2~3週間かけてオークションを実施する。夏は画商やそのスポンサーが休暇をとるため、オークションも休む。それ以外の季節には、たまにエキストラと称した特別なオークションがおこなわれる。画商たちは、まず春と夏のそれぞれのオークション期間、ロンドンとニューヨークにひと月半以上張り付き、会場に通う。森下はそのための拠点としてニューヨークのトランプタワーを購入した。 世界の名だたる画商のなかでも、クリスティーズのオーナーの一人になった森下は、特別待遇を受けた。やがてクリスティーズのオークション会場に専用の電話回線を引きこみ、日本から向かった幹部社員に指示を出した。派遣されたアイチ社員の一人が、秘書室長からアスカインターナショナルの社長になった郡清隆だ。 「1980年代の終わり頃は、クリスティーズとサザビーズでおこなわれる春と秋のローテーションのオークションはもちろん、エキストラのときも必ずニューヨークとロンドンに行っていました。飛行機代が何百万円かかろうが、絵の値段に比べると安いものですから。コンコルドで欧州から米国に飛んだこともあります」 郡がバブル全盛期のアスカインターナショナルについて語った。 「オークションの会場に専用の電話線を引いていたのなんて、うちだけでした。オークションは昼と夜の2部制で、昼間は10時から6時くらいまで8時間、夜はそのあと7時前から始まり、2時間ほど続きます。とくに長い昼のオークションでは、他の画商たちは会場に張り付いていなければならないので大変なんですが、私たちは日本にいる森下会長からホットラインで指示されるから楽でした。『5番目に出てくるルノワールを狙え』とか『7番目のシャガールだ』と命じられ、その順番が来るまで席を外せる。なので、合間に外でサンドイッチを食べたり、コーヒーを飲んでいました」 オークションに臨む画商の後ろには、通常、それぞれ買い手となるスポンサーがついている。だが、オークション会場へ電話できるようなホットラインなどない。スポンサーの指示を受けられないため、会場を離れられない。一方、アイチの郡たちは日本の森下と電話でつながっている。適当にオークション会場を離れ、狙い目の絵画が出る頃合いを見計らって戻り、札を入れた。郡が続ける。 「クリスティーズの会場には、職員が『〇××が札を入れている』などと競売のコンディションについて状況を説明する電話が備えてありました。その会話はもちろん英語で、職員でもない私たちだけが日本語で森下会長とやりとりしていたので奇異に感じたのでしょうね。それで、『なぜお前たちだけ専用回線の電話をつなげてもらっているのか、不公平じゃないか』と他の画商からクレームがついたことがありました。でも、クリスティーズから『あの人たちは株主さんですから』と説明をしてもらい、納得していました。なにしろ私たちが1回オークションに行けば、40億円前後の買い物をするわけです。特別扱いなのは当然だったかもしれません」 郡たちはアスカインターナショナル指定席の専用回線から電話をかけながら、欧米の名画を大量に落札した。おまけに、そんな特別待遇は大株主となったクリスティーズだけではない。森下たちはやがてサザビーズでも、同じことをやり始めたという。 「クリスティーズとサザビーズで春秋2回ずつ、最低でも年に4回のオークションがあります。われわれは1回40億円として、160億円の買い物をするわけです。トータルでいえば、2つのオークションで2000億円以上になる。なにしろルノワールの絵だけで169枚も落札しました。で、サザビーズでも、やたら大きな買い物をする森下会長がクリスティーズの大株主だと知り、電話回線を引かせてくれたわけです。そのくらいのインパクトはあったと思います」(同前・郡) サザビーズでいえば、1989年10月18日、アスカインターナショナルによる35億5000万円分の落札が日本で評判になった。マッシュルームスープ缶で有名なキャンベルスープ元会長のドーランコレクション44点のうち、7点。830万ドルでピカソの「オー・ムーラン・ルージュ」他1点、715万ドルでゴッホの「海の男」、374万ドルでモネの「セーヌ川岸」などを落札した。  森下はとりわけイブニングセールと呼ばれた夕方の出ものを好んだ。10億円から100億円までの一級品絵画が30点前後出品される。日本は真夜中だが、アイチ社員が電話で起こすと森下が即決した。もちろんすべてを買うわけではないが、イブニングセールの扱い高は1500億円ほどに上る。「それを大量に買うアスカ1社の送金額は、日本でおこなわれる全てのオークション1年分の扱い高をはるかに超えていました。日本のオークションはせいぜい年180億円ほどの取り扱いですから、足元にもおよびません」(郡)  バブル全盛期の1990年5月、日本人が125億円でゴッホの「医師ガシェの肖像」、119億円でルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」を落札して話題になった。これは大昭和製紙名誉会長の齊藤了英の命を受けた銀座の小林画廊による落札だった。ZOZOTOWN創業者のバスキアの絵の購入額が123億円だから、それが日常的におこなわれているようなものだ。森下はこうして買い集めた絵画をバブル紳士たちに売りさばいていった。(第二部第7回へつづく)【プロフィール】森功(もり・いさお)/ノンフィクション作家。1961年福岡県生まれ。岡山大学文学部卒。新潮社勤務などを経て2003年よりフリーに。2018年、『悪だくみ―「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。近著に『菅義偉の正体』『墜落「官邸一強支配」はなぜ崩れたのか』など。※週刊ポスト2022年4月22日号
2022.04.19 19:15
マネーポストWEB
アイチ・森下安道伝 ミラノ検察庁が捜査した「ダ・ヴィンチ日本流出事件」
アイチ・森下安道伝 ミラノ検察庁が捜査した「ダ・ヴィンチ日本流出事件」
【連載『バブルの王様』第二部第5回】貸付総額1兆円超のノンバンク・アイチを率いた森下安道は、いち早く絵画ビジネスにも乗り出した。そんななか、森下が金主として支えた銀座の画廊・月光荘は、海外の捜査機関まで巻き込んだ大事件を起こす。『バブルの王様 アイチ森下安道伝』の第二部第5回、ノンフィクション作家・森功氏がレポートする。(文中敬称略)。【写真】取り立ての厳しさから「マムシ」と呼ばれた森下安道氏 * * * 芸術の国イタリアでは、歴史的芸術品保護法の第66条により、制作後50年を経た一定の作品に対し、国外への持ち出しを固く禁じている。巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画は、まさにこれにあたる。むろんデッサンであっても扱いは変わらない。  ところが1985年11月4日、オランダ人画商のファン・リーンがミラノ州にあったそのダ・ヴィンチ作「岩窟の聖母」の習作用デッサンを盗み出した。1週間後、日本からやって来た月光荘にそれを渡したという。  知ってか知らずか、ダ・ヴィンチのデッサンを手にした月光荘は、日本にそれを持ち帰り、静岡県熱海市に本部のある宗教団体「世界救世教」に19億円で転売した。そこから2年経った1986年3月、ミラノ検察庁の捜査によって事件が明るみに出る。名画の不法持ち出し事件は、日伊の国際芸術問題に発展するのではないか、と大騒ぎになったのである。 この事件の背景として、月光荘の橋本百蔵と中村曜子という社長、会長コンビによる放漫経営が取り沙汰された。前回報じた280億円の巨額借り入れがそれだ。 「月光荘は資金繰りのため、ついに盗難に手を染めた」  莫大な借金による経営危機が囁かれ始めた頃と期を同じくし、ダ・ヴィンチのデッサン盗難事件が発覚したのである。おまけに事件のさなか、月光荘会長の中村曜子と懇意の中曽根康弘元首相が、売り先の世界救世教・MOA美術館を訪ねていたことまで浮上、元首相の口利き疑惑まで噂され、話題が尽きなかった。 橋本や中村は伊捜査当局に身柄を拘束され、厳しい取り調べを受けた。実は、このとき救いの手を差し延べたのが、アイチの森下安道だったのである。アイチの元幹部社員が明かしてくれた。 「中村曜子さんがイタリアの検察に捕まってしまい、ミラノから『森下会長、助けてください』と連絡が来たんです。なにしろ金はオランダ人の画商に持っていかれたままだし、絵も向こうに返さなければならなくなった。そのうえ逮捕までされて最悪な状況でした。そのとき頼りにできたのが、会長だったということでしょうね。それで、うちの顧問をしていた国際弁護士の松尾翼先生に相談した。松尾先生が直接イタリアに行った記憶はありませんけど、曜子さんを釈放してもらえました」 松尾は、森下が米国のゴルフ場開発で地主と揉めた際や、社員がセクハラ訴訟を起こされたときに活躍したアイチの顧問弁護士だ。松尾は月光荘の顧問弁護士となり、その後の倒産処理にも携わっていく。  事件で橋本と中村は窃盗を働いたオランダ人画商や世界救世教関係者らとともに1988年6月、ミラノ検察庁に起訴された。挙げ句、月光荘は倒産危機に陥り、さらなる事件を呼び込む結果となる。  月光荘に美術品の輸入資金を用立てて日本の顧客に売却させ、高金利を上乗せして融資を回収する──。既述したように、借入の大半を占める短期借入の大きな金主が、アイチの森下安道だ。森下は絵画の買い付けのために月光荘の橋本や中村とともに欧州に行き、現地の画商と交渉した。それにより、森下自身が、欧州の画商たちとパイプをつくり、絵画ビジネスを展開する下地ができた。前号で紹介した許永中のスイス行きには月光荘の中村たちは同行していないが、月光荘向けの絵画の買い付けの一環でもあったのである。許の欲しがった絵を月光荘名で輸入し、それを売ろうとした。「今度会ったら東京湾に沈めてやる」 月光荘の1987年末の借入明細の短期借入先によれば、森下はファクタリングアイチなどアイチグループで月光荘に22億円を貸し付けていたが、その他、「イ・アイ・イ」3億9000万円、「北見」7300万円という短期借入先の記載もある。イ・アイ・イはのちに「長銀(日本長期信用銀行)をつぶした男」と伝説になる高橋治則の会社であり、北見は小谷光浩が率いた仕手集団「光進」の軍師役を務めた北見事務所代表の会計士、北見義郎を指す。森下は高橋や北見にも融資をし、私自身、アイチで彼らを何度も目撃した。まるでアイチの融資が彼らを通じて月光荘に流れているようにも見える。  またアイチ関連以外の大口借入先として、「浅田満利」の13億2500万円も目を引く。満利は満の別名であり、大阪の畜産業者「ハンナングループ」総帥のことだ。融資額こそアイチより少ないが、曰く付きの借入先といえる。 そして資金繰りに窮した月光荘は案の定、日本国内でも詐欺・横領事件を引き起こす羽目になる。1988年9月のことだ。事件当時、新聞でも橋本の逮捕を報じている。 〈東京・銀座の老舗画廊で、政財界人も出入りしていた絵画、画材販売の「月光荘」社長が二年前、都内の美術品販売会社社長から、藤田嗣治作の絵画買い付け資金としてスイスの銀行に送金させた二十八万ドル(当時の円レートで約三千七百万円)を着服したとして、東京地検特捜部は六日、社長の橋本百蔵容疑者(49)=港区芝大門二=を業務上横領の疑いで逮捕、月光荘など数カ所を家宅捜索した〉(1990年3月7日付毎日新聞朝刊) 東京地検が摘発する少し前、月光荘では顧客から預かったルノワールの名画「花束」を無断で売り飛ばしていた。橋本、中村の社長会長コンビがその売却代金の1億2000万円を着服したとして、警視庁捜査2課と築地署が地検に書類送検していた。それを受けた地検特捜部の橋本逮捕だ。記事は事件を次のように詳報している。 〈橋本容疑者は昭和六十三年九月十九日ごろ、藤田嗣治作の絵画「四人の踊り子」の買い付け交渉を依頼されていた美術品販売会社「日本トライトラスト」(中央区銀座)の鶴巻智徳社長(47)から購入資金として、スイス・ジュネーブにある橋本容疑者名義の預金口座に五十万ドルの送金を受けた。しかし翌日、うち二十八万ドルを東京都荒川区の銀行にある月光荘の債権者名義の口座に移し引き出した疑い。橋本容疑者はこの金を月光荘の負債返済に充てていた。残りの二十二万ドルについても、勝手に引き出した疑いが出ている〉 ここに出てくる日本トライトラストの鶴巻もまた、アイチの融資先であり、森下が絵画取引を指南した一人だ。あのパブロ・ピカソの「ピエレットの婚礼」を71億7000万円で購入して話題をさらった。その鶴巻もまた、月光荘事件の被害者にほかならない。 「あの橋本のやろう、今度会ったら東京湾に沈めてやる」  鶴巻はアイチの社員たちにそう怒りをぶつけた。 ピーク時の1988年3月期に94億円の年商を誇った月光荘は、その実、台所事情が火の車だった。そうして明くる1989年3月、会社更生法の適用を東京地裁に申請して倒産した。負債総額は1987年末の280億円からやや減ったものの、188億円にのぼった。1990年4月18日の朝日新聞朝刊にはこう書かれている。 〈東京・銀座のしにせ画廊「月光荘」社長、橋本百蔵被告(49)=3月27日に起訴=にからむ詐欺・横領事件を捜査している東京地検特捜部は17日午後、同被告を業務上横領の罪で追起訴した。今回の追起訴で、橋本被告が横領した現金や絵画は、あわせて約5億5000万円相当になった〉 むろん月光荘事件では、森下自身も被害者だ。森下は月光荘を通じてルノワールをはじめ印象派の絵画を購入してきた。その絵画代金として小切手を渡したが、二人にまんまと流用されている。 〈橋本被告は1988年9月、スイス・ジュネーブ市内のホテルで、金融業「アイチ」の関連会社「ファクタリングアイチ」(東京・四谷)の実質経営者、森下安道氏(57)から、絵画代金支払いのための小切手7通(額面450万ドル=当時約6億円)を預かった。5通は絵画代金支払いにあてたが、2通(21万8050ドル=約3000万円)は、自分の借金返済にあてるために横領した〉 朝日新聞はこう続く。 〈また、同年10月から12月にかけて、森下氏から預かっていた藤田嗣治作「猫を抱く少女」などの絵画7点(時価約3億3576万円相当)を、勝手に大阪府羽曳野市内の会社役員に借入金の担保として提供した、とされる〉 森下の被害額は優に10億円を超えた。なお、ここに出てくる藤田の「猫を抱く少女」は、かつて森下がつかまされたレオナール藤田の贋作「猫」とは別の本物だ。それらが勝手に他の借入担保として横流しされていたという。アイチのある元幹部社員が冗談交じりに振り返った。 「森下会長が月光荘に預けていた絵のなかには、永中さんに売る予定だったものもありました。その額縁を補修してもらうため、月光荘に預けたわけです。本来なら向こうに額だけを渡せばいいようなもので、今から思えばおかしな話です。でも、月光荘の曜子さんや橋本は森下会長にべったりで、朝な夕な毎日やって来て、『額縁をきれいにしましょう』と絵を持ち去っていった。森下会長が『面倒だからいっしょに持っていけ』と言い、中身の絵も向うに行ったままでした」 それが事件の発覚する直前の1988年9月のことだという。新聞報道にある絵の流出先、羽曳野市の会社役員が、ハンナングループの総帥、浅田である。元アイチ幹部がこう続けた。 「橋本は大地堂という日本で一番高い洋額屋で額縁を修理させていました。他の1.5倍くらいするけど、事件までは橋本の顔を立て、月光荘から請求書が来たらそのまま支払っていました。ただ、あのときは『もう少し時間がかかる』とか、『金箔の仕上げをやっている』と言い訳し、なかなか戻ってこなかった。で、会長から『おかしいから、見てこいやっ』と命じられ、夜の8時に月光荘に見に行きました。そしたら、絵の中身が抜かれて額しか残っていない。その日のうちに橋本を捜し出して問い詰めると、浅田さんに預けている、というではないですか」絵画を“食肉業界のドン”から引き揚げた 浅田満は1938(昭和13)年12月、羽曳野市に生まれ、父親の食肉業「浅田商店」を継いだ。浅田を可愛がったのが日本ハム会長の大社義規で、浅田は部落解放同盟系の大阪同和食肉事業協同組合専務理事となり、各界に睨みをきかせた。ハンナングループを率い、「食肉業界のドン」と畏怖されるようになる。  政界では横山ノックや太田房江といった歴代大阪府知事はもとより、自民党農水族の故・中川一郎や中川の秘書だった鈴木宗男と親しい。鈴木との関係から、歌手の松山千春も家族ぐるみで交遊し、浅田は北海道出身の元横綱、北勝海(現八角親方)の結婚媒酌人まで務めた。  また実弟の照次が山口組白神組の元幹部でもあり、当人と山口組五代目組長渡辺芳則との関係も知られたところである。本人は2004年4月、狂牛病(BSE=牛海綿状脳症)に関する補助金詐欺などで逮捕、起訴され、加古川刑務所に服役したあと、2021年9月に仮釈放されたばかりだ。 月光荘の借入明細にあったように、アイチグループと同じく、ハンナンの浅田もまた月光荘の金主となってきた。13億円も借金していた月光荘の橋本たちは、あろうことかその浅田に森下の絵画7点を担保として横流ししていたのである。文字通り二重担保の詐欺事件だ。  つまり森下、浅田ともに詐欺の被害者なのだが、肝心の月光荘が倒産してしまい、二人は困った。おまけにたいていの闇紳士を知っている森下は、浅田と一面識もなかった。森下はそこで旧知の外車販売業者「インターオート」創業者の野呂周介を頼った。  野呂は三重県の暴力団幹部から外車販売に転じて成功した怪人物だ。森下とは同じ愛知県出身のフィクサー加藤正見から野呂を紹介され、付き合いが始まったという。森下と野呂の共通の知人として、元山口組最高幹部の瀧澤孝がいる。三代目組長の田岡一雄の直系若衆として静岡県浜松市の「芳菱会」を率いた瀧澤は、美術品の収集が趣味だといい、森下ともウマがあったようだ。絵画が縁となり、森下は山口組五代目組長の渡辺芳則とも出会うのだが、それは稿を改める。 話を月光荘事件に戻そう。  月光荘に預けた絵画を横流しされた森下は、逮捕された月光荘の橋本に代わり、流出先の浅田と交渉をしなければならなかった。そこで山口組に人脈のある野呂に相談したところ、野呂の顧問弁護士が浅田との交渉の仲立ちをすることになる。再び、先の元アイチ幹部社員が解説してくれた。 「聞いてみると、月光荘の橋本は毎週日曜日に浅田さんのところに行っては、絵の売り込みをしていたらしい。朝一番のJAL便で伊丹空港に降りてそのまま羽曳野の浅田邸に向かい、トンボ返りしていました。で、そのうち浅田さんからカネを引っ張るようになり、アイチの絵が担保になっていたのです」 アイチは詐欺罪で橋本を告訴した。その一方で、浅田に6億円ほどを支払い、絵を引き揚げた。むろんアイチにとっても損だが、13億円を貸し付けている浅田側も全額が返ってきたわけではない。いわば痛み分けのようなかっこうだ。  森下は月光荘事件でさんざんな目に遭った。だが、さすがにマムシと異名をとるだけあって、騙されて終わったわけではない。アイチの元幹部が続ける。 「そうして引き揚げた7点の絵のうち、いくつかは永中さんに売りましたよ。浅田さんのところから引き揚げた元値の3倍か4倍くらいで売れたと思います」 また、月光荘が経営難に陥っていくなか、森下はファクタリングアイチで自らも美術品を買うようになる。そこから本格的に絵画取引を始めていったのである。  その絵画ビジネスの拠点としてオープンした画廊が、港区南青山の「アスカインターナショナル」だ。登記簿によれば、会社設立そのものは1987年7月で、もとは画廊ではなく、ヴァイオリンの販売会社だったという。森下はそれを画廊に衣替えした。このとき秘書課からアスカインターナショナル社長に抜擢したのが、郡清隆だ。当人に聞くと、こう説明してくれた。「そのヴァイオリン販売会社の経営が立ち行かなくなり、アイチで融資をしたのが始まりでした。会社ごと引き取ったのですが、ヴァイオリンの販売は特殊で、素人だとなかなか難しい。ヴァイオリンの先生から紹介を受けた生徒に売る仕組みで、先生に10~20%のマージンを支払う。100万円のヴァイオリンなら10万円、500万円なら50万円という具合です。で、森下会長が『そんな裏金商売みたいなものはやめてしまえ』と言い出し、会社の定款を絵画・輸入販売に変え、画廊に転換したわけです。まずはファクタリングアイチで買ってきた30枚の絵をトラックに積んで四谷から青山まで運び込みました」  それが1988年12月のことだという。「内装もいちからやり直しました。やや天井が低いけれど、壁に絵をかけ、『郡、おまえは秘書課は卒業だ、あしたからここのマネージャーをやれ』と命じられました。そこからフランス語と英語など、日本語以外の最低2カ国語を話せる条件で、東京藝大や多摩美術大、武蔵野美大なんかに募集をかけると、200人くらいの女子学生が応募してきました。フランス語が得意だという帰国子女が多かった。その女の子たちを面接して3人採用し、アスカインターナショナルをスタートさせました」  アスカインターナショナルは2階建ての洋館で、イタリアから特注家具を輸入し、パリで知り合ったルクセンブルク人デザイナーに内装を任せた。ゴルフ場のクラブハウスを設計してきたピータース・ジョン・レイモンだ。2階にはピアノとカラオケセットを置き、森下が顧客を連れてやって来ては、そこで歌っていた、と郡が語る。「銀座のクラブに行くより安上がりだし、そこで飲み食いしていました。青山の寿司屋とイタリアンレストランと契約していて、特上の上の『極上』というひと桶3万円もする握り寿司を3桶頼んで、ホステスも呼んで接待させていました。ホテル並みの来客用ツーベッド、スリーベッドの大きな寝室もそなえていましたから、お泊りになるお客さんもたくさんいました。宴会はだいたい夜の12時を回るので、会長も泊まっていましたね」  ゴルフ場と同じく、アスカインターナショナルにもバブル紳士たちが集い、多くの絵画を買っていった。(第二部第6回につづく)※週刊ポスト2022年4月8・15日号
2022.04.03 19:15
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アイチ森下安道伝 元山口組系組長の仕手筋・池田保次の金主として
アイチ森下安道伝 元山口組系組長の仕手筋・池田保次の金主として
【連載『バブルの王様』第二部第3回】貸付総額1兆円超のノンバンク・アイチを率いた森下安道は、その資金力をもとに「投資ジャーナル」の中江滋樹や「コスモポリタングループ」の池田保次といった仕手筋たちの金主となり、バブル経済を支配していった。『バブルの王様 アイチ森下安道伝』の第二部第3回、ノンフィクション作家・森功氏がレポートする。(文中敬称略)【写真】取り立ての厳しさから「マムシ」と呼ばれた森下安道氏 * * *「兜町の風雲児」と証券界にその名が鳴り響いた中江滋樹は、何度も昔の夢を見ていたのであろう。刑務所から浮世に舞い戻ったあとも、株式投資にのめり込んだ。だが、もはや当人に往年の神通力はない。カネ集めのためには、以前に増して危ない橋をわたる以外になかった。  1998年、人材派遣大手「パソナグループ」代表の南部靖之の投資指南役となって、老舗の鉄鋼メーカー「ヤハギ」株の仕手戦を演じ、資金繰りに窮して三井物産グループの倉庫会社「三井埠頭」の手形を乱発した一件は前回書いた。このときアイチの森下安道が3億円を用立て、中江はそれを持ったまま行方をくらましてしまう。ここから中江は事件を引き起こすたび、自らの姿を隠した。  三井埠頭の額面総額160億円の手形を乱発した中江は、同時に株の仕手戦にも乗り出した。それを間近で見ていたのが、森下の秘書の一人だった大野晃である。「三井埠頭の仕手戦で中江さんの金主となったのが、山口組系の金融会社でした。中江さんはそれを返せなくなって失踪してしまった」  大野はアイチの札幌支店や大阪支店の営業部にいた経験があり、仕手筋との付き合いも多かった。コスモポリタングループの池田保次と取引したこともある。中江とも親しかった、と次のような裏話を打ち明けてくれた。 「あの(1998)年の4月でした。中江さんのお父さんが亡くなり、私も実家のある滋賀の近江八幡でおこなわれた葬儀に参列しました。葬儀の席には、中江さんにカネを貸していた(山口組系の)金融会社の社長が焼香に駆け付けていた。その葬儀の場の別室で打ち合わせが始まりました。中江さんによれば、社長から借金のかたに三井埠頭の株を担保にとられているという。中江さんはその席で、『この先の資金繰りのため、一時的に担保の三井埠頭株を戻して欲しい』と頼んでいました。で、金融会社の社長が社員に株を届けさせたらしい。その翌日のことでした。中江さんは株を持ったまま、連絡が途絶えてしまったのです」 この金融会社は新宿区四谷にあった。山口組の中でも直参と呼ばれる東海地方の直系二次団体の武闘派組織が傘下に置いてきた。警視庁が山口組の大きな資金源の一つとして企業舎弟に認定してきた、名うての闇金融業者だった。  のちに中江の関係者に確かめたところ、このときの借金は5億円だった。中江は融資の担保として10億円分の株券を闇金業者に預けていたという。それを業者からいったん返してもらい、新たな仕手戦を仕掛ける腹積もりだったようだ。仕手戦を始めるには、タネ玉と呼ばれる最初に売り買いする株が必要になる。そのタネ玉は多ければ多いほどいい。  中江は10億円分の株があれば、それを使って他の金融機関から融資を受けることもでき、それで窮地を切り抜けられると考えたのかもしれない。改めて仕手戦の勝負に出た。それは一発逆転狙いの危ない賭けといえた。 中江が最後に仕掛けた仕手銘柄は、四国・高松市の農機具メーカー「コムソン」株だった。三井埠頭の手形を乱発したのも、株を買い占める資金づくりだったに違いない。株に投じる資金に困った中江は、福岡県警がのちの2001年9月に投資詐欺容疑で摘発した「エンジェルファンド」事件にも関与していた。  中江の狙ったコムソンは1990年代初頭、あの許永中が51.8%という過半数の株を取得し、話題をさらった時期もある。いわゆる狙われやすい仕手銘柄として知られた。中江がそこに触手を伸ばした、と評判が立ち、いっときは株価が上がった。だが、それも長続きせず、1999年3月に倒産する。すでにパソナが資本参加したヤハギも前年9月に倒産しており、中江にとっては万策尽きた格好だ。コムソン倒産から2カ月後の1999年5月、中江は行方をくらました。アイチの大野は当時の様子を目の当たりにしている。こう述懐した。 「むしろ真っ青になったのは(企業舎弟の)金融会社の社長でした。中江さんの担保株持ち逃げは、すぐに山口組直参の親分の知れるところとなり、社長が呼び出された。無茶苦茶に殴られ、そのあと会ったときには、社長の顔面がドッジボールのように膨れ上がっていました。見るも無残でした」 面子をつぶされた暴力団関係者が、黙って見逃すわけがない。それを恐れた中江は自分自身だけでなく、投資顧問会社の社員たちにも姿を隠すよう指示した。その後しばらくして社員たちは発見されたが、当の本人は消息を絶ったままだ。生存、死亡の両説が流れるなか、およそ7年間、行方知れずだった。  その中江はいつしか故郷の近江八幡市に戻り、実家に潜んでいた。それが判明したきっかけは2006年9月22日の実家のぼや騒動だった。  暴力団の影に怯えるストレスからか、中江は精神を病んでいたようだ。近所を取材すると、ゴールデンレトリバーの愛犬、リキを連れて散歩していた姿を目撃されていた。その散歩中、中江自身が近所の別の犬に噛まれた、と逆上して飼い主を傘で殴りつけたり、近隣住宅へ犬の糞を投げ入れたり……、と奇行が目立っていた。2004年12月からひと月、精神科に入院していたこともある。 挙句、中江は自ら灯油をかぶって自宅と隣家に火をつけた。それを近江八幡署に通報され、捜査員に取り押さえられて放火未遂容疑で逮捕されてしまったのである。  放火未遂事件は自作自演説もあった半面、暴力団の追っ手は緩んだようだ。中江は再び上京した。だが、復活する望みは絶たれていた。中江は生活保護を受けながら、葛飾区内にある6畳一間の安アパートで暮らし始める。2020(令和2)年2月20日、そのアパートから火の手が上がった。放火ではなく、タバコの不始末だったとされる。今度は本当の火事だった。部屋の焼け跡から黒こげの死体が見つかった。 中江滋樹は66年の短い生涯を閉じた。晩年もバブル時代の栄華が忘れられなかったのだろう。焼死する数年前に会うと、狭いアパートの部屋で広告紙の裏に描いたという株式チャート図を見せてくれたことがあった。アパート近所の居酒屋で焼酎の湯割りを呷りながら、こうつぶやいたことを思い出す。 「今はこんなだけど、俺がすべてを話せば世の中がひっくり返るよ。政治家だけじゃなくて、日本の大親分のカネを預かってきたからね」  中江は三井埠頭の手形乱発事件を引き起こした頃、赤坂に事務所を構えていた。そこから歩いて数分のマンション「パレロワイヤル永田町」に、ハマコーこと浜田幸一が事務所を構え、中江のところに通っていた。長男の元防衛大臣の浜田靖一を後継にし、本人は政界を引退した。政界の暴れん坊と異名をとったハマコーは、森下とも旧知の間柄だ。森下自身の口からもしばしばその名を聞いた。「ハマコーは小佐野賢治さんや武井保雄さんとも親しくてね。三井埠頭の手形事件のときは、ハマコーが国際興業や武富士に借金を頼んだと言っていたね。断られたそうですが、私のところにも手形を持ち込んできたから、中江に頼まれたんだろうね」  失踪する前の中江は、茨城県にあるアイチグループのゴルフ場「ロックヒルゴルフクラブ」にも頻繁に出入りしてきた。若手ベンチャー企業の経営者を集めて「森下会」というコンペを主催し、森下がプレイ後に講演してきた。数年前まで森下は中江についてこうも言っていた。 「今でもたまに電話がかかってきますよ。金がないので金策の申し出なんだけど、難しい。だから会わずに断っているんだけどね」池田保次の噂が立っただけで会社側は恐れおののいた 森下のいるアイチの会長室には、数多くの仕手筋が出入りしてきた。なかでもコスモポリタングループ総帥の池田保次は、中江に劣らず森下と濃密な取引があった。中江が兜町を舞台にしてきたように、池田もまた1980年代後半、もっぱら大阪証券取引所のある北浜で暴れまわってきた。  1946(昭和21)年5月生まれの池田は、若くして暴力団の世界に身を置いた。山口組五代目組長渡辺芳則の懐刀だった岸本組初代組長の岸本才三の娘を娶り、自らも岸本組系の山口組三次団体組織を旗揚げした。そこから1986年1月、不動産会社「コスモポリタン」を設立し、地上げと株式投資に転じた。  急成長を遂げたコスモポリタングループは、不動産に400億円、株式に1600億円という総額2000億円の投資を誇り、池田は日本でまだ珍しかった大きなアメリカ車のリンカーンを乗り回した。梅田の一等地である曽根崎の土地を半坪あたり1億円で買い取ったという伝説もある。 そんな池田には、バブルに乗じた都銀や住宅メーカー系のノンバンクも融資をしてきたが、わけても最大の金主がアイチの森下だった。以下のような驚くべき話をしてくれたのは、アイチの大阪支店の営業部に勤務していた先の大野だ。 「池田会長はさすが元ヤクザの組長だけあって、大胆極まりない人でした。アイチの大阪支店にいた頃、よく事務所に呼びつけられました。東海興業株や日本ドリーム観光株を担保に融資をしてきました。事務所に行くと、そばに愛人を侍らせている。それが、セックスの最中のときまでありました。『おお、来たか。すぐ済むから、ちょっと待っといてんか』とそのまま行為を続ける。『見ててもええで』と平気なんです」 老舗ホテル「雅叙園観光ホテル」や遊園地の「日本ドリーム観光」、ゼネコンの「東海興業」や「新井組」、機械メーカー「タクマ」や「福徳相互銀行」や「京都銀行」……。「最強の仕手筋」と畏怖された池田は、さまざまな仕手戦を仕掛けた。狙った銘柄の株を買い占め、会社に乗り込んで役員の交代を迫る。今でいうところの「モノいう株主」なのだが、元組長だけに乗り込まれたほうは慌てふためく。北浜の証券マンたちのあいだで、池田が爪を伸ばしそうだという噂が立っただけで、会社側は恐れおののいた。  なかでも評判になったのが、雅叙園観光ホテルと日本ドリーム観光、それに京都銀行の株買い占めだ。雅叙園観光ホテルは、石川県の実業家だった細川家が戦前の1938(昭和13)年に開いた高級中華料理店「中華殿」がその前身である。かつてあった結婚式場「目黒雅叙園」(現在のホテル雅叙園東京)から見あげたちょうど真上のあたりに、その店があった。ホテルの元支配人が解説してくれた。 「戦後は、ドサクサに乗じて在日朝鮮人や中国人が店を占拠するようになり、細川家が困っていました。それを松尾国三が追い出した。松尾はそれが縁で細川家から認められ、店を任された。ホテルに改装して営業をはじめたのが雅叙園観光でした」 松尾は、もともと演劇や演芸の興行を生業としていた旅芸人だった。目黒の中華料理店問題で細川家から相談されて以来、ホテル業に転じる。終戦から3年経た1948年、松尾は中華料理店を全面改築し、雅叙園観光ホテルの創業者となる。元支配人が補足説明してくれた。 「ホテルが有名になったのは戦後、米進駐軍が使いはじめてからでした。進駐軍の軍人さんの社交場として、帝国ホテルと並び称されるほどの評判でした。終戦間もない食うや食わずの貧しい時期に、ホールや部屋の賃貸料が進駐軍からどんどん入るようになり、レストランの売上げもケタ違いになった。進駐軍の支払いはすべてドルでしたから、当時にしてみれば大変な儲けでした」 連合国最高司令官総司令部(GHQ)の高級将校たちがホテルで夜な夜なきらびやかなダンスパーティを開いた。雅叙園観光ホテルでは、のちに日本を代表する芸能プロダクションとなる「ホリプロ」創業者の堀威夫らのミュージシャンが毎夜のように演奏し、人気を集めた。やがてホテルは日本のアメリカンジャズ発祥地と称される。  この雅叙園観光ホテルと日本ドリーム観光はいわば兄弟会社だ。もともと興行師だった松尾は、ホテルの利益を使って再び興行を始めた。大阪に「千土地興行」という会社を設立し、「新歌舞伎座」を運営した。そこから「奈良ドリームランド」や神奈川県大船の「ヨコハマドリームランド」などの遊園地を建設した。雅叙園観光とドリーム観光という2大観光事業を成功させた松尾は、「最後の大物興行師」と持ちあげられた。ときは高度経済成長期だ。松尾が全国に遊園地をつくろうと土地を買い漁ったところ、田中角栄の推し進めた日本列島改造により、地価が高騰して不動産価値が急激に膨らんだ。土地が莫大な価値を生み、ヨコハマドリームランドは住宅地に造成しなおした。ピーク時のドリーム観光の資産は7000億円とも8000億円とも伝えられる。元山口組組長と元警視総監の対決 不動産会社のコスモポリタンで地上げを生業にしてきた仕手筋の池田が、この雅叙園観光グループの資産に目を付けたのは、自然の成り行きだったかもしれない。池田はドリーム観光の大株主だった雅叙園観光株を買い占めることにより、ドリーム観光の資産を思いのままにしようと企んだ。  雅叙園観光では創業者の松尾国三が他界し、未亡人のハズエが2社を取り仕切ってきた。が、折悪しくそこに内紛が起きた。池田はそこに乗じた。元支配人が悔やんだ。 「池田はドリーム観光の専務を抱きこみました。そのうえで雅叙園の株を買占め、実権を握ろうとしたのです。池田は雅叙園観光の全発行済み株式の8割近い2200万株を手に入れ、オーナーとなりました。自ら雅叙園観光の会長となり、コスモポリタングループから子飼いの諏訪誠一郎を社長に据えて乗っ取ったわけです」 池田支配に対し、未亡人のハズエが反撃に出た。元支配人はこうも言った。 「池田たちの動きを不安に感じたハズエ夫人は、元警視総監の秦野章さんに相談しました。秦野さんは警視庁の機動隊にいて、その後、秘書として雇った寺尾(文孝)を池田対策に起用しました。雅叙園は株を持たれているので、寺尾をドリーム観光の副社長に据え、池田に対抗しようとしました」 秦野は私大卒ではじめて警視総監にまでなった警察官僚の立志伝中の人物である。警視庁退官後、参議院議員に転身し、法務大臣まで務めた。ハズエから相談を受けた秦野がドリーム観光の副社長にした秘書の寺尾は、その後、数々の経済事件に登場するある意味の有名人だ。「日本リスクコントロール」という企業危機コンサルタント会社を経営し、元東京高検検事長の則定衛など検察庁OBを顧問に据えたことで知られる。また中江滋樹もかかわった「エンジェルファンド」の投資詐欺でもその存在が見え隠れした。  こうして雅叙園観光株を巡る主導権争いは、元山口組系組長の仕手筋と元警視総監という対決になる。池田のスポンサーだったアイチの森下は、コスモポリタンの総投資額2000億円のうち、1割の200億円を貸し付けてきた。ちなみに当時の民間信用機関の調べでは、二番手は住宅メーカー「ミサワホームグループ」の120億円だとされた。もっとも森下は池田に大きな資金を提供しながら、秦野や寺尾とも旧知の間柄だった。当人は、貸金さえ回収できればいい、という立場を貫いていた。 そんな雅叙園観光の株買い占め騒動は、意外な出来事で幕を下ろすことになる。1987年10月19日、米ニューヨーク市場で起きた株価の暴落だ。暗黒の月曜日、ブラックマンデーと呼ばれた世界同時株安が、世界中の株式市場を襲った。それまで順調に値を上げていた株式市場が、ドル安と金利上昇を嫌気し、堰が切れたように暴落したのである。  ニューヨーク市場の株安を受けた日本市場では、日経平均株価が1日で3836円安という空前の下げに転じた。前日比マイナス14.9パーセントの下落だ。兜町や北浜の証券マンたちはなす術もなく、株価ボードを呆然と眺める以外になかった。むろん仕手筋にとっても一大事件である。ブラックマンデーから10カ月経た1988年8月12日朝のことだ。「一人で東京に行くから、おまえは帰っていい」  最強の仕手筋、池田保次はJR新大阪駅まで送ったコスモポリタンの秘書にそう言い残し、車中に消えた。それ以来、今も安否は定かではない。池田の債務処理を担ったのが許永中と伊藤寿永光、そして森下安道だった。(『バブルの王様』第二部第4回につづく)【プロフィール】森功(もり・いさお)/ノンフィクション作家。1961年福岡県生まれ。岡山大学文学部卒。新潮社勤務などを経て2003年よりフリーに。2018年、『悪だくみ―「加計学園」の悲願を叶えた総理の欺瞞』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。近著に『菅義偉の正体』『墜落「官邸一強支配」はなぜ崩れたのか』など。※週刊ポスト2022年3月18・25日号
2022.03.19 19:15
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分裂抗争が最終局面に(六代目山口組の司忍組長/時事通信フォト)
傘寿の山口組六代目・司忍組長 No.2高山清司若頭に禅譲なら再分裂も
 1月25日、分裂抗争中の六代目山口組の司忍組長が80歳の誕生日を迎えた。この日、警察とマスコミは注意深く六代目山口組の動向を見守っていた。「昨年末、傘寿を迎えるタイミングで司組長が引退を発表し、ナンバー2である高山清司若頭に七代目を禅譲するのではないかといった話が暴力団界隈で出回っていたんです。高山若頭も今年75歳になるため、時期的にもあり得る話だと見られていた」(全国紙社会部記者) 結局、この日、六代目山口組にはそのような動きは確認できず、「情報戦に踊らされた」(同前)と徒労に終わったという。 これまで山口組の代替わりは暴力団社会だけではなく、一般社会にも影響を及ぼしてきた。1984年、竹中正久四代目組長就任に反対した直系組長らが離反し、一和会を結成。その後、市民にも負傷者を出し、暴力団史上最悪の山一抗争が起きた。 ノンフィクション作家の溝口敦氏はこう語る。「司組長の禅譲は近いと見ています。田岡一雄三代目組長から竹中四代目への移行のとき、組内では、“田岡さんが遺言を残しておいてくれさえしたなら、ここまで揉めることはなかった”という声がありました。暴力団の組長は原則、終身制ですが、司組長も高山若頭も高齢であり、禅譲する年齢を決めておかないと揉める原因になると考えているでしょう」 七代目の最有力候補と見られる高山若頭だが、就任には懸念の声もある。「6年半も続く分裂抗争の原因は高山若頭の強権支配にあったと見られていますが、組内にも“反高山派”はいて、その証拠に分裂抗争に参加していない直系組織があります。高山若頭が七代目になると(司組長や高山若頭の出身組織である)弘道会一強体制が続くことになるため、反対する勢力が出てくるでしょう。山口組内で新たな分裂が起きてもおかしくはない」(同前) さらなる抗争の火種が生まれかねない。※週刊ポスト2022年2月11日号
2022.01.31 19:00
週刊ポスト
分裂抗争が最終局面に(六代目山口組の司忍組長/時事通信フォト)
《分裂抗争》山口組系若頭射殺事件、犯人は手土産のケーキ片手に発砲
 鎮静化していたはずの山口組分裂抗争で久々の死者が出た。1月17日午後1時過ぎ、茨城県水戸市の六代目山口組の三次団体・三代目三瓶組の事務所付近を通行していた男性から「銃声のような音がした」と110番通報があり、かけつけた警察官が事務所内で倒れている神部達也若頭を発見。搬送先の病院で死亡が確認された。「防犯カメラの映像などによると、犯人は事務所近くの洋菓子店でケーキ数点を購入し、それを手土産に事務所を訪ねてきた。犯人と面識があったかは不明ですが、事務所の玄関で応対したのが神部若頭だった。犯人はいきなり発砲すると、事務所内に侵入。掴みあいになった神部若頭にさらに発砲したと見られています。遺体には頭部を含めた複数の銃創が確認されています。事件後、犯人は事務所にあった車を奪い、逃亡しています」(全国紙社会部記者) 犯行現場は水戸駅から約3キロの国道50号沿いにあり、交通量も多い。周辺には洋菓子店以外にもカラオケボックスや飲食店などがある。白昼堂々の発砲事件は民間人が巻き添えになってもおかしくなかった。1月20日時点で犯人は捕まっていないが、山口組分裂抗争と関連した事件という見方が強い。「一方で、神部若頭が応対していることと、事務所の車を使って逃走していることから近しい人間による犯行説も浮上している」(実話誌記者) 六代目山口組と神戸山口組による分裂抗争は6年半が経過し、市民は幾度となく恐怖に脅えてきた。2019年11月には、兵庫県尼崎市の商店街で神戸山口組の最高幹部が自動小銃で射殺されたが、こちらも午後5時と人通りの多い時間帯の事件だった。「六代目山口組が優勢ですが、抗争終結は見えてこない。2020年1月に六代目側と神戸側双方が暴力団対策法による『特定抗争指定暴力団』に指定されてから、定例会などが開かれなくなり警察も情報取得に苦労している。両組織とも暴力という選択肢を捨てていない以上、今回の犯人の逮捕いかんによっては、抗争が激化する恐れもある」(フリーライターの鈴木智彦氏) 民間人が凶弾に巻き込まれることだけは断じて起きてはならない。※週刊ポスト2022年2月4日号
2022.01.24 07:00
週刊ポスト

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眞子さまの箱根旅行のお姿。耳には目立つイヤリングも(2018年)
小室圭さんの妻・眞子さん 華やかだった4年前の「箱根・女子旅ファッション」
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逮捕された「RYO&YUU」
公然わいせつ逮捕「RYO&YUU」、性的動画アップは「親公認」だった 22歳の女は愛知・香嵐渓で全裸に
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結婚し、日本メディアが情報をキャッチしづらいNYで、デイリーメールが追跡取材(写真/JMPA)
小室圭さん・眞子さん夫婦が「離婚で終わったとしても…」英デイリー・メールが報じた「茨の道」
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高橋真麻
高橋真麻「おでんの卵8個食べても太らない」女性が憧れる美スタイルの理由
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