1階部分が潰されている
平凡こそ幸せ
生まれ育った場所に入れない状況となったわけだが、中谷さんはこれから先、仁江町に戻ろうという気持ちがあるのか。話を聞いた。
「正直あそこを再建する気にはならないし、もう住もうとも思わないですよ。というのも、あそこが平坦な土地で、土砂崩れもないならもう一度暮らすのもいいけど、家は山のすぐ側にあるんです。またいつ土砂崩れが起きるかわからない恐怖があります。
わりと平坦な土地にある妻の実家のほうも見に行ったけど、ぺちゃんこに潰れていて、『もうここには住むところ無いな、完全に』と諦めの気持ちが出てきました。これからは、(石川県穴水町の)娘の家の近くに住もうと思っています」
その思いが一層強くなったのは、珠洲市を離れて少しずつ平常の生活を取り戻し始めたからだという。
「私と妻と、91歳の妻の母という3人で、加賀市のホテルまで来ました。仁江町は、また孤立地域になってしまうといかんからということで、立ち入り禁止の状態になって、もう誰もいません。
仁江町の人たちは、いったん(珠洲市の)大谷小中学校に避難して、そのあとは子供や親戚を頼って金沢とか安全な地域にみんなぼちぼち行きましたね。私たちは役所の方に、生年月日と現住所、親子関係を伝えたら、ここを案内された。マイナンバーカードだけ持って、ほぼ手ぶらの状態で来ました。
加賀に着く前に、金沢のサイゼリヤでお昼ご飯を食べたけど、涙が出ましたよ。それまで、支給品のパンとか湯煎する食べ物ばかりでしたから、久しぶりに温かいご飯とハンバーグを食べて、涙が出てしまいました。ここでなら、美味しいご飯も食べられるし、歯磨きもできるし、トイレも我慢しなくて良いし。平凡こそ幸せという言葉を噛みしめています」
被災した過疎地域の住民は元の場所に戻るのか、新たな場所へ移るのか。簡単に答えの出ない問題が、そこにはある。