阿闍梨のB氏
「そういう意味の念書ではありません」
告発されたA氏はこれらの指摘をどう受け止めているのか。叡敦さんが記者会見を行う当日の午前、筆者はA氏に電話取材を試みた。
──叡敦さんが申し立てた件について取材しています。
「まだこれから宗内のほうでお話をさせてもらわないといけないので、まずはちょっと猶予をいただきたいと思います」
──仏に対する信仰心を利用して監禁したという主張については?
「私はそういうことはないと思っています」
──そういうことがあったと認める念書にAさんは署名して押印されています。
「そういう意味の念書ではありません」
──では、どういう意味なんですか。
「それは後日また、お話させていただこうと思っていますので」
──申し立てのストーリーは違う、と?
「違うとも、そうですとも今は言いかねます」
──否定もなさらない。
「はい。しません。肯定もしません、向こうさまの書き方がその通りですということでは、私もないと思っていますので。事実でないことも書いていますので」
天台宗のヒアリングが終わるまでは答えない、というスタンスで、事実関係は判然としない。ただ、念書がA氏自ら署名したものであることは確かめられた。いったん刑事責任を免れたとはいえ、女性の意思に反し強制的に性暴力を行なったとA氏が認めた「念書」の存在は重い。
筆者は天台宗務庁にこれらの証拠についての見解を問う質問を送ったが、「現在、天台宗の宗規に照らし合わせながら、対応を検討しております」とするのみ。聖職者たちが責任を持って語らなければ、宗門への疑念は膨らむばかりだろう。また、叡敦さんの申し立てではA氏の師匠である大僧正B氏にも重大な責任があるとして、僧籍剥奪を求めている。B氏にどのような問題があると主張されているのか、そしてB氏が取材にどう答えたかは、別稿で詳述する。
【後編につづく】
◆取材・文/広野真嗣(ノンフィクション作家)