「強制的な性暴力行為を行ってまいりました」
陳述書は驚くべき内容が続く。A氏は翌2010年3月、腰のあたりまであった叡敦さんの長い髪を暴力的に切った。さらにバリカンとT字型のカミソリで剃り上げた。A氏がそんなことをした理由について、叡敦さんはこう考えている。
「(A氏は)自分だけのものにしようとした(のだと思う)。私が外に出られないように。実際に私は、その後何年も鏡を見られなくなりましたし、もう外に出られないと思った。出る気持ちすら、なくなりました」
寺での住み込みを強要されるような状況のなか、信者や世間に対するカモフラージュにもなったと話す。
「Aは私のことを“阿闍梨さんの身内で尼さんとして手伝うために来てもらっているんだ”と説明していました。そう言っていれば、男女の関係というふうには思われないで済むから」(叡敦さん)
後年、正式な尼僧の免状を取得することにはなるが、この時点では「偽尼僧」だ。僧侶たる者が、欲望を満たすためにそんなことまで──信じがたい話だが、叡敦さんの話を根拠づける資料も存在していることは見逃せない。
9年後の2019年、叡敦さんは外部からの助けを得てY寺から脱出していた時期がある。その際に強姦罪で警察に告訴状を提出したが、不起訴処分に。その後、絶望した叡敦さんはA氏やB氏の説得もあってY寺に戻ってしまうのだが、それにあたり叡敦さんが文面をつくり、A氏に署名・捺印させた「念書」があるのだ。そこにはこう記されている。
〈私は平成21年10月21日 Y寺境内の庫裏にて、貴殿の意思に反し強制的な性暴力行為を行ってまいりました。
また、平成22年3月29日~平成29年10月8日まで長期間、資格のない貴殿を「偽尼僧」として手伝わせるなか、長時間に及ぶ恫喝、暴力を繰り返す行為をした結果、複雑性PTSD障害と鬱病を発症させてしまったことを、大変申し訳なく感じています〉(令和元年12月27日付「念書」)
A住職自身が事実を認めている書面なのだ。叡敦さんは「(A氏のもとに戻るうえで)自分のお守りとするつもりの念書だった」と振り返る。