「地下鉄漫才」が大人気!春日三球・照代(1965年結成)
神保:いい話ですね。そして、春日三球さんは漫才協会初代会長のリーガル千太・万吉の弟子ですね。
塙:地下鉄の車輌をどうやって地下に入れるんでしょうっていう「地下鉄漫才」の。
神保:照代さんは人気絶頂期の昭和62年に亡くなられて……。
高田:品があるから、学生時代すごい好きでさ。照代さんが美人だったし。
塙:三球師匠も去年亡くなっちゃいましたね。
神保:三球さんと一緒になった時は美女と野獣だと言われて。
高田:千住のほうに栗友亭って色物だけの寄席があって、一休・三休(当時)というコンビでそこの看板だったんだよ。
神保:期待の若手で、師匠から今でいうM-1みたいなNHK漫才コンクール、それで優勝したらリーガルの名前をやるよって言われてて、昭和37年に優勝したんですけど、直後に相方の一休さんが三河島の列車事故に巻き込まれてしまって……。
高田:それで、照代さんと一緒になるんだけど、また早くに死なれてさ。かわいそうだよな。
関西の漫才ブームに対抗
高田:1970年代の後半に出てきたのが星セント・ルイス。
塙:はい、はい、はい。
神保:セントさんの師匠は晴乃チック・タックの師匠だったピーチク・パーチク、ルイスさんの師匠がてんや・わんやです。
高田:で、セント・ルイスの弟子がB21スペシャルのヒロミだな。セント・ルイスはおれ好みだったんだよ。それ以上にツービートが好きだったんだけどね。