TARAKOさんが大切にしていた「天使コーナー」(オフィシャルブログより)
人生の半分近くをまる子として過ごしたTARAKOさんが、『ちびまる子ちゃん』の主役に抜擢された理由は、原作者のさくらももこさん(享年53)に声がそっくりだったことだとされる。幼少時に過ごした時代背景や家族構成にも似通った部分が多く、TARAKOさんは不思議な縁を感じていたという。
“永遠の小学3年生”であるまる子のイメージを守るためにTARAKOさんは本名を非公開とし、プライベートも謎に包まれていた。生まれは1960年、群馬県育ち。幼い頃から歌手に憧れ、小学校では合唱団に所属する音楽好きな少女だった。
「人前で初めて歌ったのは小学4年生のとき。町内のカラオケ大会で桜田淳子の歌を披露したのだとか。高校時代はフォークソング同好会に入ってギターとボーカルを担当し、中島みゆきさんやかぐや姫の曲をコピーして自らライブを仕切って市民会館などで演奏していたそうです」(芸能関係者)
音楽の道を志す一方で、声優の仕事にも興味を抱いていく。
「テレビアニメ『ルパン三世』(日本テレビ系)シリーズの大ファンで、いつか峰不二子のような色っぽい役を演じてみたいと思っていたそうです。高校卒業後、演技を学ぶために入ったのが専門学校の声優科。学校で付けられたニックネームが“タラ”でした。周囲から『サザエさん』のタラちゃんに雰囲気が似ていると言われていたそうです」(前出・芸能リポーター)
アマチュアのボーカルグループを結成し、友人のバイト先の飲み屋で歌っていたところ、事務所の社長にスカウトされたことが芸能界入りのきっかけとなった。転機が訪れたのは1981年。前出の斯波氏に声をかけられたTARAKOさんは、アニメ『うる星やつら』(フジテレビ系)で声優デビューを果たしたが“幼稚園児C”の役だった。
「本人はひそかに、主役のラムの声を狙っていたそうです。もっとも、当時は声の作り方がわからず、テレビから流れる自分の声が浮いているように聞こえて落ち込んだこともあったとか。その後も『戦闘メカ ザブングル』(テレビ朝日系)や『スプーンおばさん』(NHK)に起用されていますが、主役を張るまでにはいかず、声優の仕事では食べていくのもやっと。スーパーマーケットの試食販売や交通量の調査員などのアルバイトも経験したそうで、パン屋でもらうパンの耳で空腹をしのいでいたといいます」(前出・芸能関係者)
当時、横文字の芸名は珍しく、先輩からは“ドヘタなくせに目立ってんじゃねぇよ”と嫌みを言われることもあった。もともとお酒が好きだったTARAKOさんは塞ぐ気持ちをアルコールで紛らわせた。べろべろに泥酔した状態でイベントに出演したこともあり、事務所から“断酒”を命じられたこともあったという。
「3年間にわたってきつく飲酒を禁じられたものの、隠れてこっそり飲んでいたそうで、声優の山寺宏一さんとの対談でも“家に酒ビンがゴロゴロ転がっていた”と打ち明けていました」(前出・芸能関係者)
(後編へ続く)
※女性セブン2024年3月28日号