「ミス・セブンティーンコンテスト」グランプリ獲得から40年、活動再開に向けて動きはじめた
夫婦で気にする「ウィキペディア」の間違い
──紙テープを巧みにかわしながらアイドル時代を駆け抜け、1987年放送開始の『志村けんのだいじょうぶだぁ』で活動の幅を広げ、1992年には当時ヤクルトスワローズ所属の笘篠賢治さんとのご結婚で、また世間を驚かせます。笘篠さんから贈られた結婚指輪は800万円だったそうですが……。
「それ、全然違うんですよ(笑)。どこからそういう話になったのか分からないんですけど、ウィキペディアでもそうなっていますよね。でも、そんな額じゃありません。主人とも『この情報は消したいよね。どうやったら直せるんだろう』と話しています(笑)」
──そうだったんですね(笑)。笘篠さんとは、ヤクルトの激励会で出会った……という情報は合っていますか?
「それは間違っていないです(笑)。1990年のシーズンがはじまる前の激励会に、私がゲストとして招かれたのがきっかけ。ただ、そのときはご挨拶をしたぐらいで、その後すぐに連絡を取り合ったわけでもなくて、交際しはじめたのは……。
ごめんなさい、私、『いつから付き合った』とか『はじめてデートした日』とか、入籍した日のことすら全然覚えてないんです。そういったことは、主人の方が覚えていますね。主人は、カレンダーに『おでんの日』って書き込んでおくタイプ」
──おでんの日?
「カレンダーに『おでんの日』と書いてあったので、『このおでんの日ってなに?』って聞いたら、『え、覚えてないの?』と。結婚前、おおっぴらにデートをしたり食事をしたりすることもできなかったので、コンビニでおでんを買ってきて、車のなかで2人で食べたらしいんですよね。主人にとっては大切な思い出だったようなのですが、私はおでんを食べたこと自体、まったく覚えていない(笑)」
──松本さんは芸能界に入る前から野球好きだったそうですが、ご結婚後も球場に足を運ばれていますか。
「もともと高校野球が大好きで、今でもよく観ています。結婚後、プロ野球は夫が現役の時もコーチの時も数回しか球場には観に行ってないです。やっぱり純粋に楽しんで観ることができなくなってしまいましたね。試合に出ていれば出ていたでいろいろと心配だし、出ていなかったら『あれ、なにかあったのかな?』と。主人はデッドボールもけっこう多かったので、ケガの心配もありました。今は主人も現役を引退し、コーチとして関わっている球団もないので、普通にヤクルトや広島戦を楽しんで観ています」
──野球界・芸能界随一のおしどり夫婦のイメージもあるお2人。ときには、夫婦喧嘩をすることも?
「他愛もない小競り合いはありますよ。私が開けっ放しにした頭上の戸棚の扉に、背の高い主人がゴンッて頭をぶつけて、『こんなトコ開けっ放しにしてるから、ぶつかったじゃないか!』『私はぶつからないもん!』みたいな(笑)。まぁ、私もいろいろと覚えていない性格なので、大きなケンカにはならないかな」
──微笑ましい小競り合いですね。
「もちろん、もっとこうしてくれたらいいのになってことは、互いにあると思うんですよね。例えば、『私は仕事して疲れて帰ってきて、そっちは1日お休みだったのに、なんで食べ終わった食器がそのまま?』とか(笑)。
でも、私も完璧じゃないので、できていない部分はたくさんあるはず。細かな不満があっても、お互いさまなんだろうなって思いながら、諦めるようにしています(笑)」
第3回では、松本典子さんが芸能活動再開を決意した理由、5年前から始めた意外な仕事を告白している。