手を血に染めてしまった
物語の舞台は、第二次世界大戦中のアメリカ。上智大学総合グローバル学部教授で、アメリカ研究を専門とする前嶋和弘さんが、劇中に描かれた時代背景を解説する。
「第二次世界大戦は、連合国(アメリカ・フランス・イギリス・ソ連など)と枢軸国(ドイツ・イタリア・日本)の戦いでした。ヒトラー率いるナチス・ドイツは原爆の開発を進めており、それを恐れたアメリカのルーズベルト大統領は原爆開発プロジェクトに着手しました。それが『マンハッタン計画』で、科学部門のリーダーとして開発チームを主導したのが、のちに“原爆の父”と呼ばれるオッペンハイマーでした」
オッペンハイマーらが作り上げた原爆は、広島と長崎に投下され、広島で約14万人、長崎で約7万4000人の死者を出した。だが本作では、原爆投下後の広島と長崎の惨状や、被爆者の姿が一切描かれていない。そのため“原爆の犠牲者を置き去りにしている”との意見も多い。
「この映画は原爆を作ったオッペンハイマーの人生を描いたものであり、彼が何を考えて原爆を作り、その後にどんな生活を送ったのかがテーマです。オッペンハイマーの視点で描かれているため、彼が実際に目撃していない原爆投下後の広島や長崎の惨状は描写されていない」(前嶋さん)
とはいえ、オッペンハイマーは自分が作り出してしまったものの残虐性を誰よりも理解していた。
「原爆の投下後、オッペンハイマーは膨大な犠牲者が出たことを知り、深く苦悩したのです。開発に携わった人々が集まるセレモニーのシーンでは、原爆投下の映像を見て関係者が沸くなかで、映像を直視できないオッペンハイマーが描かれています」(松崎さん)
被爆地の惨状を知るにつれ、オッペンハイマーは罪の意識に苛まれるようになった。原爆を「もっとも恐ろしい兵器」「われわれが育った世界の基準から見ても悪」と語り、原爆投下時のトルーマン大統領に面会した際には「手を血に染めてしまった」と悔やむシーンも描かれた。