考え方は「メジャー方式」
酒はダメ、門限厳守で破ったらそれ相当な罰金。遠征だろうと移動日だろうと、練習をやるためにスケジュールが組まれる毎日だった。勝つために練習するんだから、そこは百歩譲って仕方がないとしても、大の大人のチームがシーズン中ずっと禁酒と門限があることに、選手たちは眉をひそめるどころか眉を吊り上げて怒りまくった。大矢によれば、
「朝起きると、キャンプでも遠征中でも監督の部屋の前にあるトレーに酒瓶が何本か転がって置いてあるのを何度も見ました。『禁酒って決めてるのに、あんなに酒瓶が転がってるってどういうことなんだよ』とブーブー文句言っている選手たちがいました」
シーズン中も禁酒と決めた広岡自身は酒を飲んでいた。広岡の持論は、監督コーチと選手は別であり、選手は自分のコンデョションを整えるために節制するのは当然。そこに監督コーチは関係ないというメジャー方式の考え方。1970年代後半にメジャーの考え方を持ち込まれても選手が困惑し、反発するのも当然である。
しかし、あれほど選手から慕われていた三原修は優勝できず、選手から嫌われまくった広岡が初優勝を飾った。どんなに選手から反発を喰らおうとも、コンデション作りのために食事改善をし、型にはめるかのように基礎練習を繰り返し、シーズン中でも練習を続けさせた。
その結果が、創立29年目にして悲願の初優勝を飾ったのだ。勝った者しか味わえない喜びがある。プロフェッショナルならなおさらだ。人間的な部分はさておき、優勝させてくれた広岡の手腕に当時のヤクルトナインは心底感謝している。
◆取材・文/松永多佳倫(まつなが・たかりん)
ノンフィクション作家。1968年、岐阜県生まれ。琉球大学卒業後、出版社勤務を経て執筆活動開始。著書に『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』(KADOKAWA刊)など。