辛すぎた“禁酒命令”
そんな三原流の練習方法が強烈に頭に残っていたため、広岡監督の厳しい練習が余計にきつく感じた。人間、ギャップが大きければ大きいほど、思考が止まる。松岡は照れ隠しのためなのか、少し苦虫を噛み潰したような顔で語る。
「広岡さんと選手との間に溝があって、いろいろあったんですよ。とにかく練習がきつかった。1978年の1月上旬の自主トレは神宮に集まってやるんですけど、もう練習に行くのが怖いの何のって。ランニングの本数もそうだけどインターバルが短くてきつい。メニュー聞くのが本当に怖かった。キャンプからシーズン中、ずっと禁酒だからね。おまけに休みがユマキャンプから日本シリーズ終わるまで一日半だけ。今だったらありえない」
キャンプから日本シリーズ終了まで数えると、およそ9か月にもなる。その間、休みが1日半……、プロのアスリートでバリバリのエースがほぼ無休でプレーしていた──。にわかに信じられる話ではない。とにかく、選手と首脳陣との間で溝ができる要因となったのは、キャンプ中からの食事制限がシーズン中も適用されたことだ。
「実は、広岡さん自体がかなり飲む人で、最初のミーティングで『俺は飲んで現役寿命を縮めた。お前たちにはそんなことさせたくない』って言うんだけど、こっちは現役寿命を縮めてもいいから飲みたい(笑)。地方に行っても、地元の名士が宴会とか開いてくれてもビールが出ない。ヤクルト飲んで中華料理なんか食えない。遠征でナイター終わって飯の時でもビールないからね」(松岡)