現役時代の広岡氏(時事通信フォト)
聞き間違いかと思った
のっけから何を言うんだ!? すでに大監督の三原の前で直立不動の姿勢であった松岡は、ズッコケそうになった。翌1972年に17勝18敗で2年連続“最多敗戦”という称号をもらった。それも300イニング投げさせてもらったうえでの記録だと思い、気にはならなかった。しかし、このシーズンの終盤、9月20日頃、松岡がブルペンで練習を終えてロッカーに戻ろうとすると、「松岡くん」と三原監督に呼び止められた。
「はい、監督どうしました?」
滅多に話しかけない監督だけに珍しいなと思った。
「明日からもうグラウンドに来なくていいですから」
「え!?」
最初は聞き間違いかと思った。
「2月1日までにグラウンドで見かけたら罰金とりますから」
意味がわからなかった。
「監督どうことですか?」
「ん? 来年よろしくお願いしますね」
三原は、皆まで言わなくてもわかるだろという顔をして、スタスタと歩いて行った。三原が掲げる野球は、あくまでも選手の自主性を重んじるスタイル。自ら熟考し効率化を求めて練習していかないと長く現役を続けられないし、目的のない練習をしていてはダメだと考えていた。だから松岡に「練習のしすぎ」「来なくていい」と言った。三原は、常に選手の可能性と寿命を伸ばすことが第一と考えていた。