いちばん新しくて狭くて小さい時代小説
沼田を始めとしてリアリティーに溢れた登場人物が次々に登場する本作だが、麻布さんは「本当の主人公は“時代”」だと話す。
「もともと、ノンフィクションを読むのがすごく好きで。実在した時代、実在した人物を描いた結果、小説よりも濃いストーリーができたりするじゃないですか。あの感覚を小説で再現したいという気持ちがあったんです。ただ、本当のノンフィクションのように深刻な事件やスキャンダルを固有名詞として入れ込むのではなく、しょうもない起業をする学生がいたり、会社の新人賞レースに参加したフリをする新入社員がいたり、こっそり外資系キラキラ企業への転職を目論む同期がいたりとか、登場人物に“身近なスキャンダル”を起こしてもらう形で書き進めました。
ニュースやスキャンダルって、その時代や社会が立ち現れたものだと思っているから、原材料は同じはず。むしろ固有名詞に依存しないことで、長く読まれる本になればいいなと願いを込めました」
1991年生まれである麻布さん自身も当事者であり、世の中の価値観が大きく変化した“平成から令和”の時代を描くことには使命感すらあったという。
「令和の閉塞感って、平成のダメなところを引きずっていることに起因すると思うんです。だから第1話でまず平成の終わりを描いて、そのあと第2話から4話にかけて令和の始まりを描くっていうのは僕にとっては必然だったんですよね。平成の頃って、自己実現とかタワマンに住む経済的成功とか、みんなが共有できるひとつのゴールがあったと思うんです。“何者になれるかどうか”という人生ゲームをみんなでやっていたとも言える。
そういう中で、例えば堀江貴文さんの『多動力』とか、箕輪厚介さんの『死ぬこと以外はかすり傷』とか、西野亮廣さんの『革命のファンファーレ 現代のお金と広告』とか、いわゆる“意識高い系”が一大ムーブメントになって、オンラインサロンみたいなたくさんの意識高い系コミュニティが生まれたけれど、結果、何者かになれた人はほとんどいなかった。あの頃の悲劇的顛末を忘れさせないぞ、と平成の“敗戦記”を残すつもりで書きました。
極めて狭くて短いですが、時代小説としても読んでもらえるかもしれません」
みっちりと描き出される“時代”の中で、例外的に空白になっているのが、コロナ禍が日本を覆った令和2年からの2年間だ。
「たまにコロナのことを振り返って『あれはあれでいい経験だった』『あれで日本は変わった』という人がいますけど、僕は全くそう思ってなくて、完全な空白であり、ただただ奪われた期間だったと思うんです。平成が残した問題を解決すべき大事な時期に足止めを食らわせ、令和に閉塞感をもたらした元凶でもある。
しかも結局、コロナ前と比べて価値観はなんにも変わっていないじゃないですか。いまでもリモートワークができているのは軽井沢に移住した社長とかで、ほとんどのサラリーマンはほぼ毎日出勤している。あの時期を振り返って描くことで読んだ人に“有意義な時間だった”と思ってほしくなくて、怒りも込めて書かないと決めたんです」