東京・谷中に建てた墓。中尾さん自らデザインした
写真は1年に4枚、ねじねじは半分に
彬:写真も1万枚近くあって、「ああ懐かしいなあ~」と思いながら見るんだけど、「…志乃、これ誰だっけ?」というのも多いんだよね。一緒に写っているけど、もう誰だかわからないの(笑い)。
志乃:そう、写真もたくさん処分しましたよね。
彬:写真は1年に4枚あればいい。春夏秋冬、1枚ずつ。「写真を捨てる決意がよくあるね」なんて言われるけど、記憶は(頭と胸を指さして)ココとココに残っていればいいんだよ。
「どの墓も立っているから、横にしてやろう」そんな中尾さんの思いがあった
志乃:本当にこれは大事だなっていう写真は、そんなにたくさんはない。自分の思い出の中にはもちろんいるけれども、どちらか片方がいなくなって、顔を見たいな~っていう時のために、最低限をとっておくわけ。昭和の時代は紙に焼いた写真がいっぱいあったけど、掃除しながら「どうするのよ、これ」なんて、後で言われたくないしね。
彬:“ねじねじ”もお気に入りだけに減らしたよね。使っていないものも多かったから。絵が描いてあると、ねじると模様がおかしくなって、訳がわからなくなるしね。
志乃:もともとはショールだから、ねじねじ用には作ってないからね(笑い)。気に入ったものを新しく買うためにも、使わないものは処分しないと。
彬:400本くらいあったけど、それを半分にした。この前も入れ替えたけどね、冬物と夏物。
志乃:ねじねじの衣替えがいちばん大変なのよ、量が多いから。