元プロボクサーのレフェリー、マーチン氏(中央)が遭遇した前代未聞の事件とは?(右はボクシングに転向した那須川天心。写真と本文は関係ありません。産経新聞社)
前代未聞の“替え玉ボクサー事件”に遭遇
数々の試合をさばいてきたマーチンだけに、トラブルに直面したことも少なくない。そのひとつが2023年5月、北海道・札幌で起きた前代未聞の“替え玉ボクサー事件”だ。
2つの試合に出場したナイジェリア国籍の2選手は、申請されていた選手とはまったくの別人だったのだ。ファイトマネーの入金も済んでいたにもかかわらず“本物”はナイジェリアから出国さえしておらず、困ったマッチメーカーが代役としてプロライセンスを持たない日本在住のナイジェリア人をリングに上げてしまったのだ。その結果、プロと素人が対戦。あってはならない試合が2つも組まれた。
レフェリーはどちらの試合もマーチンだった。
「見た目はボクサーっぽい体格で、素晴らしい戦績も読み上げられていたが、1ラウンドのゴングが鳴った瞬間にボクサーの動きじゃないとわかりました。後ろに下がるばかりで、空振りに近いパンチを受けて簡単にダウン。グローブを握って“大丈夫か?”と声を掛けると、大したダメージを受けていないはずなのに首を横に振る。明らかにボクサーじゃないとわかったので慌てて試合を止めた(結果はどちらも試合も1ラウンドKO)。プロを相手に素人が殴り合うのを続行させるわけにはいきません」
トラブルの原因はマッチメーカーにあり、JBCでは関係者のライセンス停止など厳しい処分を下したが、仮にマーチンが判断を誤れば命を落とす可能性さえあった。極端なケースではあるが、レフェリーにはどのような場面でも冷静な対応が求められる。
対照的に、目の前の選手の感情が高ぶっていることが多いのもボクシングの特性だ。ハングリー精神の代名詞的スポーツだけに、敗れた選手がレフェリーに八つ当たりすることも珍しくないという。
「レフェリーが悪いとばかりに“チクショー”と悪態をつく選手もいるが、試合でのダメージが大きいため、C級のプロボクサーは1年間に4試合しかできない。そこで4勝するとB級になって6回戦に上がれるが、4戦目で負けるとセットバック、振り出しに戻ってしまう。そんな試合で負ければ誰もが感情をコントロールできなくなる。選手の気持ちがわかるので、しょうがないと思っている」