渦中にいた当時の総務部長・加藤正樹氏
「当初、ストライキはどう転んでもすぐ終わるはずでしたが、想定外が重なって長期化してしまった。従業員たちは困り果てました。みんなそれぞれ家庭があり、家族から『ストライキなんて世間体が悪いことは止めてくれ。仕事は他にもあるだろう』とか、ぐうの音も出ないことを言われることも多かった。そんな中、60人規模でまとまって行動できていることは、信じられないことでした」
従業員が消えた佐野SA。労使交渉が難航する中、会社側は新たなスタッフを雇い始めたが、トラブルが相次いだ。
「我々から見ると、この状況は不安で仕方がありませんでした。『慣れてきたら私たちは要らなくなる』『新しく入った人はクビにできないですよね?』『帰る場所がなくなってしまった』『ストライキなんて、しなきゃよかった』と、次第に悲観的な気持ちに追い込まれていきました」
その時、会社側から始まったのが「個別の切り崩し」だった。