10代の頃の有森也実
──松永さん演じるツンコは、「傍観者」となってしまった過去の自分に強い思いを残しています。
松永:「ツンコ」が抱く「傍観者の罪」のような思いは、大なり小なり誰にでもあるもの。もちろん、私にもあります。生きるのが苦しくならないよう本能的に脳がフタをするけど、きれいに消え去ったわけではなく、荷物を背負うようにずっと積み重なっている。それでも進んでいくのが、ひょっとしたら人生なのかも。そんなふうに、50代半ばになって考えるようになりました。
佐藤真弓(以下、佐藤):普段は忘れていても、ふとしたときに『あぁ、あれはああしておけばよかったんだろうか』と思い返す。そういったことは、本当にたくさんあります。実際、いっぱい間違えてきただろうし。
でも、その場所には絶対に戻れない。たとえ戻ってやり直すことができたとしても、単なる自己満足かも知れないし、今また同じ状況になったとしても正しくできるとは限らない。今度は見て見ぬふりをしないでいられるかと言われたら、絶対にできるとは言い切れない。ときを経た分、余計にできなくなっていることだってあると思う。難しいですよね。
──誰もが傍観者になりうると、自覚し続けることが大切なのかも知れません。
有森也実(以下、有森):たとえば、動物駆除のニュースとか、私、すごく苦手なんです。でも、積極的に行動を起こすことはできなくて、つらいのになにもできない自分が嫌で、ニュースを消してしまう。ただ、大勢のなかのひとつの目になったときはなにもできなくても、自分ひとりの目としてはちゃんと責任を持っていたいし、自分にできることをする覚悟は持っていたい。
「演劇」というのは、テレビドラマや民放のニュースではなかなか扱えないテーマにも踏み込んで伝えることができる。その文化が受け継がれ、守られている。演劇の場に表現者として存在することで、傍観者である自分との折り合いをなんとか保っているんだと思う。