ナポリタン・イタリアン問題の筆者的結論
日本郵船の『社船調度品由来抄』のマカロニー伊太利式や、ドウタース・オブ・アメリカ委員『アメリカンレシピ』、そして『荒田西洋料理』に見るように、西日本エリアに散見されるスパゲッティイタリアンはスパゲッティナポリタンとは別のレシピから成り立っていったものであることで間違いなさそうだ。
筆者としては、関西のイタリアンは神戸から生まれたと推測する。
荒田氏が残した書籍にもあるように、ナポリタンとイタリアンは別々に存在したものの、関東では横浜のホテルニューグランドで、スパゲッティナポリテーインが先に伝来し、アラカルト料理となって戦後アメリカのトマトケチャップが入り込みナポリタンへと進化したが、神戸ではアラカルトは後発となるため、スパゲッティよりもガロニの印象の強いマカロニの方がポピュラーだったのではないか。
フランス料理としてホテルでのマカロニのイタリヤ風、あるいは日本郵船のマカロニー伊太利式あたりから伝来し、戦後は横浜と同様にアメリカのトマトケチャップが入り込むことによって、マカロニイタリアンが生まれ、1955年のパスタ元年(編集部注:日清製粉ウェルナのマ・マーブランド、ニップンのオーマイブランドの2社が量産製造を開始)以降に大阪や京都へスパゲッティイタリアンとして広がっていったのではないのだろうか。
関東でもトマトソースもしくはケチャップを用いたナポリタンをスパゲッティイタリアンとして提供するお店は少なくないが、その店のルーツがどこであるかによってメニュー名が決まったものだろう。
「関東がナポリタンなら関西はイタリアンや!」
そんな東西の対抗意識から生まれたわけではないということだけは言えそうだ。
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