撮影本番前、入念なメイクチェック。美穂さんもやや緊張した表情。(1985年・ベニス キングレコードプロモーションビデオ撮影)
すぐに警察を呼んで、美穂は運ばれたが、検視の結果、事故死と判明した。54歳と9か月の突然の死だった。午後3時のニュースで美穂の死がマスコミで一斉に発表されたとたん、僕の携帯が鳴り止まず、知らない電話もいっぱい入ってきた。まだ詳細が分かっていないので、この日は関係者からの電話以外、いっさい出ることをしなかった。
美穂のマンションの前はすでにマスコミで埋まっている。事務所からは、駆けつけるのをストップされている。「我慢してください」と言われ、僕は、ずっと外出せずに自宅マンションに居た。
中山美穂との最後の会話
翌日、マスコミの取材を受けて、心痛を吐き出して何社かに美穂との二人三脚の時代についてインタビューを受けることにした。食欲がなく、喉がやけに乾き、言葉が詰まったりしたが、なんとか若い日の美穂との思い出を伝えることができた。僕の居間には、美穂が初めてCMの撮影でイタリアのベニスに行った時の美穂の写真を飾っている。他にもテーブルには、美穂とのツーショットも飾っている。いずれも、レンズの向こうで美穂が笑っている。若々しさと情熱を感じる、僕の好きな写真である。
ボーッとしてその写真を見ているとあたりはすっかり冬の帳(とばり)が降りて暗くなっていた。翌日、美穂は警察から帰され、1泊ほど自宅マンションで過ごさせ、翌8日、大田区にある古いお寺さんで通夜が行われた。僕にとって、亡くなって初めて対面する美穂である。
美穂と最後に会ったのは、1年くらい前だった。なかなかタイミングが合わなかったりして、知人たちの食事会で久しぶりに会った。僕を見つけた美穂は、席までやってきて挨拶をしてくれた。
「元気かい?」
「社長も元気?」
僕のガラケーで美穂とのツーショットを撮ると、「まだスマホじゃないの?」と笑顔でからかわれた。2人にとって最後の会話となった。
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山中則男「中山美穂『C』からの物語」(青志社)
著・山中則男/中山美穂『C』からの物語/青志社