神奈川警察署の一日署長。山中氏の弟夫妻が撮影した思い出の写真(1986年4月14日)
〈どうしたんだろ〉実父の名前が無いことに不安と、見てはいけないものを見てしまったような罪悪感が身体を走った。そして急いで元の場所に戻した。そして、時間をおいて母から出自を聞かされた。母にもやむにやまない理由があった。母の気持ちが理解できた。
幼い頃、父親らしき人と過ごした記憶が残っている。実父のとても大きい背中を覚えている。遊んでもらったこと、保育園の送り迎えをしてもらったこと。近所の家の玄関先に配送されたヤクルトをこっそり飲んでしまいその人にこっぴどく怒られた。とても厳しい人だった。あの頃の景色を、おぼろげだけど、いまも覚えている。甘えることはヘタだった。
「その人の名前が浮かばない」と美穂が話したことがある。
美穂は、自分が私生児だったことを僕に告げた。歌手デビューを前にお互いを信頼して「隠し事はなしにしようね」と聞いた時に、「私は私生児として生まれました。それでもママには感謝しています」と告白してくれた。
デビューにあたって、腹を割ってプライベートなことも話しておく必要があった。アイドルとして人気が出た場合、芸能マスコミに狙われやすい過去に対して、どう対応するか、その心構えをしておく必要があったからだ。
それを美穂は察していたのだろうか。大人びた告白だった。
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山中則男「中山美穂『C』からの物語」(青志社)
著・山中則男/中山美穂『C』からの物語/青志社