撮影本番前、入念なメイクチェック。美穂さんもやや緊張した表情。(1985年・ベニス キングレコードプロモーションビデオ撮影)
売れっ子になって、ちょっと贅沢になっていくことは多少あったが、質素を好んだ。普段のファッションも、私生活では質素な感じを好み、コーディネートが得意でリーズナブルな服も見事にオシャレに着こなしていた。
美穂は、「母に対する幼少時代の記憶があまりなかった」と僕に告げた。
中山美穂と両親とのキョリ
母は、美穂と忍ちゃんの2人の子を育て、食べさせていくのに必死だった。同時に、1人の女性として幸せに生きたい、という思いもあり、母なりに一生懸命に生きていくなかで美穂はあらゆる家に預けられたと話した。
美穂のアルバムに、母に抱かれた写真、赤ん坊の頃の写真が残っている。それぞれすべての写真に母と美穂、3歳下の忍ちゃんとの幼い日の物語が紡がれていた。5歳の頃の運動会での母とのツーショット。小学校の入学式、卒業式、クラス仲間と撮った中3の時の写真、七五三のお祝いの写真。すべてに過ぎし日の思い出が重なり、成長していく美穂を支えていったようだ。
母は昔から多くを語る人ではなかった。ある時母の母子手帳を開けて見たことがあった。気になって、母の引き出しから母子手帳を取り出した。初めて手にする母子手帳をドキドキしながら開けてみた。
身長、体重が書かれていた。しかし手帳には母の名前しかなかった。父親の名前がない。