驚異的なスタミナで阪急のエースを張った米田氏(共同通信)
「阪神への移籍」の誤算
むしろ、プロ球団のコーチをした際にスポーツ紙やテレビの解説を離れることになり、コーチを辞めた後にそうした専属解説者のポジションに戻れないことの難しさがあると米田氏は語った。また、現役時代には阪急から巨人へのトレード話があったのに成立しないことが複数回あったと明かし、「ボクの人生は悪いほう、悪いほうに転んだ」とも話した。
「1975年のシーズン中に登板機会が減った阪急から阪神に志願の移籍をした時もそう。当時はそれでも阪急で8勝できていた。そこに阪神の投手コーチの小山正明さんが登板間隔を考えた起用をするということで移籍したが、移籍後はその小山さんが1年で投手コーチを離れることになってしまった」
米田氏はその次のコーチの実名を挙げたうえで、「滅茶苦茶の起用をされて2勝2敗に終わってしまった。そのまま阪急に残っていたら監督の芽もあったんや……」と続けた。様々な人生の岐路があったのだと語る米田氏だった。