『極北の海獣』/イーダ・トゥルペイネン・著 古市真由美・訳
【書評】『極北の海獣』/イーダ・トゥルペイネン・著 古市真由美・訳/河出書房新社/2970円
装丁/大倉真一郎
【評者】角幡唯介(探検家)
かつて極北の海にはステラーカイギュウという海獣がいた。絶滅したのは二百五十年ほど前。驚くべきはその巨体で全長は七~十メートルにも達したらしい。前に何かの本でその存在を知ったときは何とも言えない気持ちになった。わずか二百五十年前まで地球は、このような巨獣が棲息できるほど未知で謎めいていた。カイギュウが絶滅したことでこの星はその大きな魅力を失ったのだ……と。
本書はそのステラーカイギュウの発見と骨格標本をめぐる話を中心に、様々な絶滅動物のことが語られる、いわば鎮魂の書ともいえる小説だ。進化の法則にみちびかれて様々な動物種がこの星には誕生する。環境の変化と運命の荒波に翻弄され繁栄する種もあれば姿を消す種もある。そのなかには人類による狩猟圧から逃れられなかったものも数多くある。世界から退場したこうした動物の存在を知ったとき、われわれは何かを深く感じる。絶滅するとは何なのか?
物語から漂うのは消え去り、忘れ去られゆくことのやるせなさだ。同時に、もしかしたら絶滅した動物のおかげで世界はいまある姿より豊かになっているのではないか、とも思わせる。
考えてみればクジラやゾウなどカイギュウなみの巨獣が今も生きているわけだが、われわれはカイギュウと同じ目線でこれらの動物を見ることはない。いなくなってしまったことが、存在していた事実をさらに浮き彫りにし逆に強く迫ってくる、ということがあるのなら、絶滅動物の不在を思うことは地球の彩りを増すことでもある。忘却することは許されない。われわれはステラーカイギュウとともに今後も生きてゆくのである。
それにしても一度でいいから北極でステラーカイギュウを見たかった。つくづくそれが惜しまれる。くどいようだが、二百五十年前……。つい最近の話ではないか。
※週刊ポスト2025年8月8日号