現在35歳のたばささん「『な~む~』ってどういう意味なんでしょうね。今もちゃんとわかっていません(笑)。」
「“仏壇”というあだ名を付けられて冷やかされたり、学校の廊下にみんなが書いた習字が張り出されると、私のだけが剥がされてしまったり。学校の人気者だった、というわけではないので、意地悪からなのかもしれません。兄の友だちに、私のことを知られるのもイヤでした」
“お仏壇のはせがわ”の仕事は、思春期にさしかかった12歳で卒業した。しかし、 “たばさ”という名前は珍しく、CM放送が終わった後も地元の人々の記憶に残った。
「“たばさ”という名前は、母が他人とかぶらない名前を、と考えてつけてくれたんです。思春期には『なんでオーディションなんて受けさせたの!』と反発したこともありました。『出演料はどうしたの!?』と突っかかったことも。母からは『ディズニーで金がかかっとるんたい!』と言い返されました。家族でオシャレしてディズニーに行ったときに、使っちゃったみたいですね(笑)」
高校は福岡市内にある高校の芸能コースに進んだ。いっそ都会へ出て、本気で芸能活動をする気になったのか、と思えば……。
「芸能コースに入れば芸能人に会えるかな、と友だちと2人で決めたんです(笑)。私は人見知りで引っ込み思案な性格なので、“お仏壇のはせがわ”以外の芸能活動をしたいとはまったく思いませんでした。学校の部活動にも熱心だったわけではなくて、中学1年のときにバレーボール部に所属しただけで、あとは帰宅部でした」
本当に“普通の女の子”だったというたばささん。以前は注目されることを嫌い、メディアの取材は一切受けてこなかった。しかし、年齢とともに気持ちに変化があり、数年前から求められればメディアに顔を出すようになった。その理由は子どものため。たばささんは結婚し、母親になっていたのだ。
取材/文/撮影 中野裕子(ジャーナリスト)