9年の濃厚な女優人生を駆け抜けた夏目雅子さん(撮影/田川清美)
9月11日に没後40年となる夏目雅子さんは、わずか9年という短い期間ながら、多くの人に鮮烈な記憶を残している。映画評論家・映画監督の樋口尚文氏が、夏目さんの魅力についてつづる。
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1976年の秋、ドラマ『愛が見えますか…』(日テレ系)で初めて見た新人女優は、中学生だった私の心に鮮烈な印象を残しました。それが18歳だった夏目雅子です。デビュー時は本名で活動していて、「56回連続NG」の伝説を残すほど演技が未熟だったことも覚えています。しかし、秋吉久美子や桃井かおりといったクールな女優が「しらけ世代」に人気だった当時、夏目雅子は異色でした。突然現われた、ひと昔前の清純派女優のようだったのです。
女優としての出世作は『西遊記』(1978年・日テレ系)の三蔵法師役。坊主頭のユニセックスな美しさに清らかなエロスをまとい、「色香と清潔感」という相反する魅力が共存していました。彼女の真骨頂といえます。
優れた演出家は「テクニシャン」より「原石」を好みます。映像は役者の人間性を容赦なく映し出すからです。多くの役者が演技の巧みさを競うなか、夏目には「ただ、そこにいる」だけで成立する魅力があった。余計なことをせず愚直に役とぶつかる覚悟が「巧まざる凄み」を生み、演出家は彼女の内面ににじり寄って良さを引き出した。映画『瀬戸内少年野球団』(1984年)で見せた天真爛漫さは、彼女の育ちの良さからくる自然な魅力そのもので、技巧では決して表現できない境地でした。
わずか9年の濃厚な女優人生を駆け抜けたからこそ、夏目雅子は永遠の「原石」として、人々の記憶に刻まれました。でも、長生きした姿も見たかった。吉永小百合の正統な継承者になっていたかもしれません。
【プロフィール】
樋口尚文(ひぐち・なおふみ)/1962年生まれ、佐賀県出身。映画評論家・映画監督。監督作に『葬式の名人』など。編著に『大島渚全映画秘蔵資料集成』などがある。
●夏目雅子ひまわり基金
1993年、夏目雅子の母・小達スエさんが代表となり設立。故人の遺志を引き継ぎ、抗がん剤等の副作用で脱毛に悩む人々へカツラの無償貸与を行なっており、活動を支える賛助会員を求めています。
一般財団法人 夏目雅子ひまわり基金 www.himawari-kikin.com/
取材・構成/小野雅彦
※週刊ポスト2025年9月19・26日号