2005年【岡田第一政権と鉄壁の「JFK」】岡田監督が“勝利の方程式”として抜擢したジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之の「JFK」はリーグトップの防御率を誇った(時事通信フォト)
翌日まで引きずらない
剛腕のイメージが強い藤川監督だが、高知商入学時はひょろっとした体形で球速も120km台そこそこ。そこからフォームの研究などを重ね、140km台後半が出るようになったという。
その過程で正木氏は、精神面の修養を重視して指導したと述懐する。
「普段の生活から浮ついたところがあったので、常に落ち着いて物事を考えられるよう、高1の冬に野球部の寮から3kmほどの場所にある禅寺で座禅を組ませたんです。朝6時に走ってお寺に行って座禅を組み、終わったら走って帰ってきてから朝食を食べて授業に出る。それを3か月続けさせた。
球児がそこでどう考えたかまではわかりませんが、3か月やり遂げると練習への取り組みや生活態度が格段によくなりました。静かに自分を見つめることができたのかなと思います」
今季の交流戦で打線が沈黙して連敗を喫した時も「我慢して待つ」と言い続けた藤川監督の己を律する力は、野球人生のなかで少しずつ育まれたものなのかもしれない。
正木氏はこう続ける。
「余計なことを言わないのでクールに見えますが、むしろあまりこだわらない性格なんですよね。高校時代から切り替えが上手だった。試合で失敗したことを翌日まで引きずらず、切り替えて次のゲームに臨んでいた。阪神の監督としても同様のスタンスで選手に接しているから、起用も上手くいっているように見えます」
ペナントレースが佳境を迎えた8月以降は、佐藤や近本光司に「積極的休養」を与えて英気を養わせた。メジャー挑戦で米国流の野球を学んだことも大きいが、背景には長いキャリアの歩みのなかで少しずつ学んだこともありそうだ。
(後編につづく)
※週刊ポスト2025年9月19・26日号