1940年6月22日にフランスはドイツに降伏した。その年末、ヒトラーはフランスで開かれた空軍パイロットの食事会に参加。テーブルにはフランス産のワインがあった。ドイツはフランスでのワインの生産や取引を管理し、搾取するシステムを築き上げていた。このような利益が得られることで、ドイツ国民は戦争状態を支持し、それがホロコーストの受容や黙認に拍車をかけることになった(C)NHK
老いて弱りゆく独裁者の姿も甦る
第3部では、ドイツの敗色が濃厚になる大戦終盤に見えた独裁者の「衰え」を示す場面が放送された。
1944年7月、ヒトラー暗殺を狙った爆発事件から数日後の映像では、ヒトラーの右耳にガーゼのようなものが詰められ、鼓膜が破れていたことを窺わせた。
ヒトラーが1945年4月に自殺する1か月ほど前、数か月ぶりに人前に出たヒトラーが隠すように腰の後ろに回した左手が小刻みに震えていた。ヒトラーはこの時期パーキンソン病を患っていたと指摘されてきたが、それを裏付ける映像だ。
他にも、米英ソの首脳会談「テヘラン会談」(1943年11月末から12月頭)でチャーチルがスターリンの様子を窺う視線を送るなど、友好ムードの裏で緊迫した駆け引きが行なわれていたことが映像から判明した。