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【書評】町田そのこ氏『蛍たちの祈り』作家の歩みを凝縮した連作短編集 行間から漂う生々しい感情の奔流と艶やかなエロス

『蛍たちの祈り』/町田そのこ・著

【書評】『蛍たちの祈り』/町田そのこ・著/東京創元社/1980円
【評者】松尾潔(音楽プロデューサー・作家)

 町田そのこの新刊は作家の歩みを凝縮した連作短編集だ。本屋大賞を受賞し映画化もされた『52ヘルツのクジラたち』以前に発表した二つの短編を起点に、昨年から新たに三つ書き加えられて完成をみた。単なる旧作再録ではなく、長編を経て磨かれた語りが注ぎ込まれており、結果として一つの長編に匹敵する重層性を獲得している。

 五つの物語が描くのは、地方に生きる人々の裏切りや後悔、臆病さや狡猾さ──つまり誰もが抱える感情の暗部。それらを貫くのは「死の気配」だ。肉親や友人の死、不意に訪れるかもしれぬ終焉の影が、登場人物の心を揺らし、蛍の光のように一瞬の輝きを浮かび上がらせる。そのかすかだが確かな強さは、読み終えても心に残る。

 ぼくがこれまでに読んだ町田作品は『クジラ』一作きり。ウェルメイドな構成で社会的テーマをまとめ上げた力量には感心したが、どこか小綺麗な印象も拭えず、読みながら一歩引いた気持ちを抱いたのも事実。作者名の平仮名表記さえ、若い読者に向けた軽やかさの表れと感じたほどだ。だが本書に触れた今、その印象は一変した。行間から漂うのは、大人の読者を射抜く生々しい感情の奔流であり、艶やかなエロスの気配である。

 この「変貌」には驚かされた。直接的な官能描写に頼るわけではない。それでも視線の交錯や沈黙の間に立ちのぼる気配が、物語全体を濃厚に満たす。かつて桜木紫乃の小説に初めて触れたときの昂ぶりを思い出した。

 これまで作者を「若者向け」と高を括っていた自分を戒めたい。「そのこ」というやわらかな名前は、いまや成熟した女性の妖しさを帯びて響く。それを可能にしたのは紛れもなく筆の力。そしてその妖しさは、すぐそばに潜む「死」の暗がりを背景にしてこそ際立つのだ。秋の夜長に、蛍の光を追うようにじっくり味わいたい一冊である。

※週刊ポスト2025年10月31日号

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