松田聖子のモノマネ第一人者・Seiko
今年4月にデビュー45周年を迎えた松田聖子。今年は6月から8月にかけて全国ツアーを敢行し、還暦を過ぎても精力的に活動している。天性の歌声や人間的魅力から彼女に魅了される人は数知れず、そのものまねをするタレントも数多に存在する。1990年代には番組で本人との共演も果たし、「松田聖子ものまね」筆頭の1人だったのが、タレント・Seiko(56)だ。
そんな彼女は今、ステージ4の大腸がんで「余命3か月」を宣告されている。苦しいがん治療を続けるなかでも持ち続ける「生きる希望」や、波瀾万丈だった人生を明かした。【前後編の前編】
「私の今の病名は、S字直腸がんです。ステージ4の末期がん」──ある国立病院のベッドのうえでこう話すのは、松田聖子のものまねタレントとして長らく活動してきたSeikoだ。今年2月にがんの告知を受けてから、自分の人生を振り返るようになったという。
「小学校の時に初めて松田聖子さんを見てから大好きになり『風は秋色』を歌うようになって、中学校の文化祭ではそっくりさんに認定されちゃいました。それから、同級生からも『せいこちゃん』って呼ばれるようになったんです」
その後、アイドル志望としてタレント活動をしていたが、ものまね番組『超そっくり人間! 炎の対決グランプリ!』(テレビ朝日)で優勝。それをきっかけに、27歳でものまねタレントとしてデビューし、ステージや番組などで松田聖子の楽曲を熱唱する日々が続いた。
そして、ある日、聖子本人からの嬉しい言葉を聞く。
「松田聖子さんが、ある番組終わりに『Seikoちゃんがいちばん上手い。今度彼女が番組に出る時に、出てあげるわ』と言っていたという話をスタッフさんから聞いたんです。感激して、胸がいっぱいになりました」
“公認”の瞬間だった。その後は『music-enta(ミュージック・エンタ)』(テレビ朝日)で本人と共演。年間100本以上というペースでステージをこなし、身を粉にして働いたという。39歳で事務所を退所し、その後もフリーで活動していた彼女だが、今年の2月下旬に冒頭のがん宣告を受けたのだ。
しかし、予兆もあったという。
「昨年あたりから毎日吐いたり、フラフラする症状が続いていたので、今年改めて診察を受けて、血液検査やエコー検査をしてもらったんです。
検査すると、肝臓の炎症の数値が異常だったので、すぐに大学附属病院に紹介状を書いてもらい、後日受診に行きました。ただ入院のハードルも高く、1か月半以上は毎日通院し、血液検査など多くの検査を受けていました」
そして、一度目の告知をされたのが今年の2月27日だった。
「ステージ4の末期がん。しかも大腸ガンから、骨、肋骨、肝臓と転移している。ガンと共に生きるしかない」──医師の宣告に言葉を失った。そして追い討ちをかけるかのように、「余命3か月」とも言われたのだ。
