この事件で「人間は餌で、簡単に捕食できる生き物」と母熊から学んだ小熊たちの子孫が、現在も同地域に生息している可能性は高い
「人間は餌だ」と子熊に教えた母熊
『北海タイムス』は「2、3頭の大熊」と報じたが、成獣のヒグマが複数で行動することはほとんどない。そのため、これは子熊を連れた母熊であったと考えられる。
ヒグマは生後4か月になった頃から一定期間、母熊と子熊で行動をともにして、子熊は母熊の捕獲した餌をともに食べることで、狩りや食事の摂り方を覚えていくという。
そうなると、この事件で母熊は、子熊たちに「人間は餌だ」と教えたことになる。母熊が人間の子供を捕える様子を見ていた子熊たちはきっと「人間は、ウマやシカなどよりもずっと簡単に捕食できる」と学んだだろう。
実際この事件後、下富良野の周辺で長期にわたり、熊が人を襲う事件が起きている。
そのうちのいくつかを紹介すると、1908年4月には富良野町内で、腹部と大腿部が喰われて内臓が露出した高齢の行脚僧が発見された。死後しばらく時間が経っていたようで、僧の体は凍っていたという。
1909年には、近くの山道で人の脚が転がっているのが発見された。その後の調べで、周囲から頭蓋骨や足袋を履いた足先の部分などが散乱しているのが見つかっている。
1915年には、下富良野村からさほど離れていない村で、体を引き裂かれた状態の老婆の遺体が馬小屋で発見された。
これらの事件はやはり「人肉食を学んだ人喰い熊の子孫たち」によって引き起こされたと推測できるのだ。
取材・文/早川満
