浅香光代さんと内縁の夫・世志凡太さん
「週2回はデイサービスに通っています。朝から水前寺清子さんの『三百六十五歩のマーチ』に合わせて歩いたり、体操をします。お昼ご飯を食べて、お風呂に入って夕方前には戻ります。周りのおばあちゃんやスタッフは、私のことは“浅香光代さんの夫”とか“元芸能人”という認識のようです」(世志さん、以下同)
慣れ親しんだ浅草を離れての暮らしや体調については、
「猫がいるので寂しくないです。結構楽しいですよ。猫の“たっくん”はもうおじいさんで20年近く生きています。今の楽しみはテレビでお相撲を見ること。
大横綱大鵬の孫・王鵬を応援しています。これはおもしれぇなと、ひょっとしたら横綱になるかなと思って。(身体は)腰が悪いだけで、ほかはお蔭様で大丈夫です。いつお迎え来てもおかしくない。でも友人からは『あと2、3年は大丈夫だよ』って言われていて。ありがたいことですね」
と、元気な姿で老後の生活を語っていた。
世志さんは生前、自ら墓を建てていた。お参りに訪れた人が寂しくないようにイラストを墓石に加える、ということが唯一の遺言だった。そのイラストには「よもや忘れでは。」と書かれており、棺桶から笑顔で出てくる世志さんの似顔絵が書かれている。“よもやお忘れでは”の言葉は、2002年に35年ぶりにコメディアンとして復帰した際のステージタイトルでもあり、本人も気に入っていたそうだ。
墓石に加えられるというイラスト
芸名は「C’est si Bon.」が由来。「これはとってもいい」──昭和の芸能界で輝かしい業績を残した世志さんは、そう思える最期を迎えられたに違いない。ご冥福をお祈りします。

