関大相撲部で稽古に励んだ安青錦(中央、山中氏提供)
戦争が長引けば近い将来兵役に
来日後は神戸市(兵庫県)の山中氏の実家に身を寄せ、関西大学の施設で相撲の稽古に励んだ。山中氏が振り返る。
「彼は日中に神戸市内の日本語学校に通い、夕方になると電車で関大まで来て相撲の稽古に励むという生活を続けていました。家では私と寝室が一緒だったので、毎日寝るまでいろんな話をしましたね。明るい性格の彼は口にはしませんでしたが、両親と離れて生活をしていたので、たまに寂しそうな表情もしていましたね。テレビのニュース番組でウクライナの戦況が流れると、心配そうに見入っていたのが印象的でした」
来日から約3か月後、恐れていたニュースが報じられた。
「故郷のヴィンニツァがミサイル攻撃を受け、オフィスビルや医療施設などが破壊されたという内容でした。子供3人を含む23人が犠牲となり、約120人が負傷。そのなかには安青錦の友人もいたそうです。
安青錦はより一層稽古に打ち込むようになった。食事中や入浴中もスマホで相撲の映像を見て研究を重ねていたようです。家族や友人が終わりの見えない不安のなかで生活していることに比べたら、土俵の上での厳しい戦いには耐えられる、という気持ちが心の支えになっている面もあるようです」(相撲関係者)
来日から約8か月、元関脇・安美錦の安治川親方が新設した安治川部屋に入門。四股名には師匠の「安」とウクライナの国旗の色の「青」、故郷に「錦」を飾るという意味が込められた。
2023年の秋場所で初土俵を踏むと、所要7場所で十両に昇進し、今年3月には同9場所で新入幕を果たした。活躍するにつれて、スー女(相撲ファンの女性)の間では“若き日のロバート・デ・ニーロに似ている”として人気が急上昇。声援にも後押しされ、破竹の勢いで大関まで駆け上がった。
憧れ続けた土俵で奮闘する安青錦だが、一方で母国の戦禍は収束の兆しが見えないままだ。兵力で上回るロシア軍の攻撃にさらされるウクライナは、2024年4月に徴兵の対象年齢を27才から25才に引き下げた。安青錦にとって、胸を締め付けられるような決定だった。
「安青錦には3才上の兄がいるのですが、現在もウクライナの大学に通い戦禍での生活を続けています。戦争が長引けば、近い将来徴兵対象になる。きょうだいの仲がよく、いまでも兄と定期的に連絡を取り合っているという安青錦は、“とにかく無事でいてほしい”と口にしたこともありました」(前出・相撲関係者)
情勢が揺れる母国について、メディアから質問されても多くを語らない安青錦だが、故郷への思いがもれたことがあった。
「今年10月に日本外国特派員協会で行った会見で、“帰りたい気持ちはある。できれば(地元の)友達にも会いたいし、子供の頃に行っていたご飯屋さん……普通に自分の街を散歩したいですね”と明かしました。彼は安治川部屋に入門する際に、親方と“一人前の力士とされる『関取』になるまで故郷には帰らない”という約束を交わしています。2024年11月に関取になった安青錦ですが、いまだ里帰りは叶っていません。来日期間が長くなるにつれて、故郷への思いが強くなっているのではないでしょうか」(前出・スポーツ紙記者)
来日4年目で手にした初優勝。真っ先に安青錦が報告したのは、現在ドイツで暮らす両親だった。
「“おかげさまで優勝することができました”と話した安青錦に対して、母親は電話口で涙を流していたようです。以前の電話では“いつ会えるの?”と寂しさを口にした母親でしたが、今回は言葉も出なかったようです。ひとり異国の地で戦う息子の活躍に、感情を抑えきれなかったのでしょう。隣では父親も泣いていたそうです」(相撲協会関係者)
安青錦の快進撃は始まったばかりだ。
※女性セブン2025年12月18日号
