『現代ロシアの歴史認識論争 「大祖国戦争史観」をめぐるプーチン政権の思惑』/西山美久・著
【書評】『現代ロシアの歴史認識論争 「大祖国戦争史観」をめぐるプーチン政権の思惑』/西山美久・著/慶應義塾大学出版会/3960円
【評者】辻田真佐憲(近現代史研究者)
国民国家は、ひとびとを統合する物語を必要とし、その素材を歴史に求める。かつて日本で称揚された国体論や皇国史観も、その典型的な例だった。
たいして現代ロシアで国民的物語となっているのは、第二次世界大戦(同国でいう大祖国戦争)において、ソ連が多大な犠牲を払ってナチス・ドイツから欧州を解放した──という歴史観だ。本書はこの「大祖国戦争史観」がいかに今日のように絶対視されるにいたったのか、その経緯を丹念にたどっている。
ソ連崩壊後、「大祖国戦争史観」は大きな挑戦を受けた。旧ソ連圏がEUに加わるなかで、欧州ではソ連もナチス・ドイツと同じく抑圧的な体制だったという見方が広まった。加えてロシア国内でも歴史研究が進み、神話化されていた英雄像に疑義が投げかけられるようになった。
こうした歴史の見直しは珍しくない。だが国民的統合を重んじるプーチン政権は、憲法や法令を改正して「正しくない」解釈を防遏する道を選んだ。また中国やイスラエルなどと連携し、対外的な情報発信も強めた。
厄介なのは、現下のウクライナ戦争が「大祖国戦争史観」をさらに強化している点だ。ロシア系住民はネオナチに迫害されている。だから救わねばならない。過去と同じように──、と。本書は一見地味な歴史問題を追いながら、ロシア愛国主義の現在地をたくみに読み解いている。
歴史は科学であり、政治利用は望ましくない。そう断じるのは容易だろう。だが、国民国家の枠組みが続く限り、歴史の政治利用は避けがたい。少なくとも評者はそう考える。とはいえ、歴史が兵器のように動員される現状も好ましいわけではない。
歴史といかに適切に付き合うべきか。屈折した被害者意識も抱えながら、果てしなく硬直化してしまったロシアの国民的物語の軌跡は、同国だけの特例として切り捨てるべきではない。
※週刊ポスト2025年12月19日号
