『ようやくカレッジに行きまして』/光浦靖子・著
【書評】『ようやくカレッジに行きまして』/光浦靖子・著/文藝春秋/1650円
【評者】澤田瞳子(小説家)
テレビを滅多に見ない生活が長いので、大変失礼なことに私は芸能人としての光浦靖子さんをほとんど存じ上げない。お名前だけは漠然と聞き覚えある中、おお、こういう方なのかと理解したのは、二〇二一年に上梓なさったエッセイ集『50歳になりまして』を拝読した時だ。
五十歳を前に決意なさったカナダ留学は、突然のコロナ禍で延期に。変わり行く世の中と、ご自身の内面の変化。その日々を綴る筆致はつい笑ってしまうほどあっけらかんとしているが、自らの感情にただ溺れていてはそれらを言葉に紡げはしない。なんて熱く、冷静な方だ!と驚かされた。
『ようやくカレッジに行きまして』はそんな紆余曲折の末のカナダ生活で、ワーキングビザ獲得のために通ったシェフ訓練校での奮闘を綴るエッセイ集。攻略ゲームのように次々現れる個性派シェフたち、それに対抗すべく手を携えねばならないクラスメートには相容れない点がある人も多いが、筆者は時に彼らに怒りながらも、そんなご自身を丸ごと観察し、さて、どうすれば?と次なる手を考える。
常に熱く、しかし同時に冷静なその眼差しに、読者は本書がただの留学体験記ではないと気づかされるはず。そう、年齢やこれまでのキャリアなど関係ない。これは未知の日々に立ち向かう一人の学生ヤスコの模索と成長の書なのだ。
英語必須のカレッジということもあり、筆者は様々なシェフたちから事あるごとに叱られる。読んでいるこちらがひえっと声を上げそうになる不条理な叱責も珍しくないが、ヤスコさんは自身の言葉で言えば「ふてぶてしく」それらを乗り換えていく。だがそのふてぶてしくは、「しなやか」とも「柔らかく」とも言い換えられ、内なる強靭さがなくては存在しえない。未知のものに向き合う覚悟と勇気を突きつけられる一冊だ。
※週刊ポスト2025年12月26日号
