高橋由伸一覧

【高橋由伸】に関するニュースを集めたページです。

いまやヤクルトに欠かせない戦力となっている田口麗斗(時事通信フォト)
原監督の胸中やいかに? 田口・宇佐見・古川ら、元G戦士たちの新天地での活躍
 ヤクルトの田口麗斗、阪神の山本泰寛、日本ハムの宇佐見真吾、古川侑利……数年前まで巨人で期待された選手たちが今年、移籍先で活躍している。田口は中継ぎとして開幕から26試合連続無失点を記録し、ヤクルト首位独走の原動力となっている。山本は貴重なユーティリティープレーヤーとして内野の全ポジションで先発出場を果たし、チーム試合数の約3分の2にあたる77試合に出場。宇佐見は捕手としてチーム最多出場、古川は巨人在籍の昨年1試合の登板に終わったが、今年は中継ぎとして33試合マウンドに上がっている(記録は8月28日現在。以下同)。「移籍先ではより多くのチャンスを与えられるだけでなく、巨人のプレッシャーからも解放されるため、開花や復活するケースが増えています。巨人時代、田口は2年連続2桁勝利を挙げ、中継ぎでも結果を残していた。山本も3年前は92試合に出場しています。宇佐見は2年目の2017年に高橋由伸監督に抜擢され、サヨナラホームランを打ったり、9回裏に同点アーチを放ったりしていました。古川は楽天時代、ローテーションに入ったこともあった。 いずれも潜在能力は高かったが、巨人では生かしきれなかった。貴重な左の中継ぎだった田口は別として、他の3人は巨人時代、一度失敗するとすぐに二軍に落とされてしまうような緊張感の中で、思うようなプレーができなかったのかもしれません」(プロ野球担当記者。以下同) 高橋由伸監督時代に打てるキャッチャーの可能性を感じさせた宇佐見は原辰徳監督3次政権の始まった2019年、シーズン途中の6月に日本ハムにトレードされた。この年、巨人はFAで西武から炭谷銀仁朗を獲得しており、宇佐見の出場機会はほとんどなかった。 古川は2019年のシーズン途中、楽天から巨人へ移籍してきた。7月24日のヤクルト戦で先発を任されるも、わずか1回でKOされて翌日に二軍落ち。2か月後に一軍登録されたが、リリーフで1勝するに留まった。翌年は6月に一軍昇格したが、初登板となった24日の広島戦でリリーフで2回1失点に終わると、翌日に二軍落ち。その後は10月に救援で4試合に投げたが、勝敗は付かなかった。2021年は1試合のみの登板でオフに解雇され、トライアウトで日本ハムの新庄剛志ビッグボスに拾われた格好だ。 山本は2019年、ソフトバンクとの日本シリーズ第2戦、4戦でエラーを犯し、4連敗の1つの原因となった。翌年、一度も一軍出場がないまま、オフに阪神へ金銭トレードされた。古川を復活させた新庄ビッグボス「古川が象徴的な例ですが、巨人時代は1回の失敗が許されなかった。いくら能力が高くても、打たれることはありますよ。少しでも打たれたら二軍落ちと思えば、大胆な投球はしにくくなり、安全策に走ってしまう。それを『逃げの投球』と見なされると酷ですよね。 今年の古川は開幕2戦目のソフトバンク戦で中継ぎとして初登板し、2回1失点です。数字上は、2年前の巨人時代のシーズン初登板と同じです。しかし、二軍落ちはしなかった。4月2日のオリックス戦ではリリーフで5失点しています。巨人なら間違いなくファーム行きだったでしょう。それでも、新庄監督は一軍に残した。すると、次の登板から9試合連続無失点ですよ。自責点ゼロは13試合連続で続きました。一度失敗しても、挽回のチャンスを与えれば立ち直る。潜在能力を信じた新庄監督の采配で、古川は復活しました」 以前、低迷期の横浜の選手が他球団に移籍して立て続けに活躍し、優勝を味わったことで『横浜を出る喜び』という言葉が話題になった。巨人を追われ、新しいチームで花開いた選手からすれば、プレッシャーから解放される意味で『巨人を出る喜び』があるのかもしれない。「田口と交換トレードで巨人に来た廣岡大志は坂本勇人のバックアップ要因として期待されたが、その役割を果たせていない。坂本の代わりに出た試合でエラーをしてしまう場面を見ると、巨人特有の重圧を感じます。それを乗り越えなければ一流選手にはなれないでしょうが、彼ももっと落ち着いた環境でプレーできれば、もう少し活躍できるのではないか。沢村賞投手である中日の大野雄大を得意とするなど、潜在能力は高いですからね。 もちろん、巨人のトレードで成功した例もたくさんあります。楽天から巨人に来た高梨雄平、ウィーラーは活躍していますし、宇佐見とのトレードで日本ハムから来た鍵谷陽平は中継ぎとして2連覇に大貢献した。ただ、原監督を始めとする首脳陣が選手の性格を見極めた上で、1回の失敗で二軍に落とすのではなく、最低2回はチャンスを与えるという方針にしていたら、古川のような素材も開花させられたのではないか」 8月28日の広島戦に敗れ、5位に転落した読売ジャイアンツ。試合中、ベンチで苦虫を噛み潰すような表情の増えている原監督は『元巨人』選手の活躍をどんな気持ちで眺めているのだろうか。
2022.08.29 19:00
NEWSポストセブン
今季は3Aサクラメントで投げていた山口俊(AFP=時事)
山口俊、巨人復帰が濃厚に 「クローザー抜擢」説に不安の声も
 はたして先発、抑え、どちらを務めることになるのか──。メジャーリーグのジャイアンツ傘下3Aサクラメントの山口俊が、日本球界へ復帰する見込みだ。6月3日、インスタグラムを更新し、「この度、山口俊は日本に帰国することを決断しました。夢を追ってメジャーに挑戦しましたが、力及ばずシーズン途中での帰国となります」と綴った。 2年前、巨人からポスティングシステムを利用し、ブルージェイズに入団したものの、1年で解雇に。今年は3Aで投げていたものの、5試合に投げて0勝3敗、防御率6.18と奮わなかった。古巣の巨人が獲得に名乗りを挙げており、復帰が濃厚になっている。プロ野球担当記者が話す。「今年の巨人は投手陣に不安を抱えています。開幕からローテーションを守り続けているのは3年目の左腕である高橋優貴だけ。その高橋も6月1日の西武戦で左脚の違和感を訴えて4回途中で降板している。ただ、菅野智之、メルセデスが復帰予定なので、順調に行けば先発の駒は足ります。一方、デラロサが2軍落ちした今、9回を任せられる投手がいない。ビエイラや畠世周ではまだ力不足。山口が抑えを務める可能性も十分にあります」(以下同) 2005年の高校生ドラフト1巡目で横浜に入団した山口は4年目に抑えの座を勝ち取った。その年から4年連続で50試合以上登板、15セーブ以上を記録。通算112セーブをマークしている。ただ、心配な点もあるという。「かつては“抑え失格”の烙印も押されていますからね。DeNA時代の2013年、守護神として開幕するも、乱調が目立ち、途中からソーサにその座を奪われ、3度も登録抹消を経験しました。翌年4月2日の巨人戦では、8回途中からマウンドに上がると、長野久義やアンダーソン、坂本勇人などに連打を浴びて6点を献上。以降も不調から抜け出せない山口は、中畑清監督の発案で6月から先発に転向。すると、月間MVPを2度獲得するなど復調しました」 DeNAで先発として実績を積み重ね、2016年オフにFAで巨人に移籍。2019年には先発の柱として15勝を挙げて、最多勝を獲得。巨人の優勝に貢献している。「巨人に移籍した後も、抑えを務めた時期はありました。高橋由伸監督時代の2018年終盤には、チーム事情からクローザーに転向し、9試合で1勝1敗1ホールド、防御率1.50でした。数字だけを見れば、悪くないのですが、どうしても山口は勝負弱いという印象が拭えないんです」 一昨年のソフトバンクとの日本シリーズでは初戦に先発するも、6回3失点で負け投手に。同年11月に行われた国際大会『プレミア12』決勝では、先発を任されるも1回3失点でKOされている。「巨人では、1998年から3年間抑えを務めた槙原寛己を想起させます。トータルとしての数字は残すものの、大事な試合で打たれることが多かった。清原和博、松井秀喜、高橋由伸のMKTがホームランを打った1998年7月15日の横浜戦では、3点リードの8回から登板したものの、サヨナラ負けを喫した。この試合に勝っていれば、巨人は首位・横浜とのゲーム差を3に縮められたが、5に開いてしまった。結局、この年は横浜が優勝しています。 山口はDeNA時代に抑えを務めたとはいえ、優勝争いの中での経験はない。それに、7月に34歳を迎えますし、2年前と同じイメージで考えていいものか。この1年半は結果を残せておらず、3Aでも通用していない。そこも気がかりですね。まずはファームで調整して、その時のチーム状況で先発か抑えか決めていくかもしれません」 山口の巨人復帰が実現した場合、原辰徳監督はどんな決断を下すか。 
2021.06.04 07:00
NEWSポストセブン
高橋由伸氏 慶大時代に培った「チームのため」という思い
高橋由伸氏 慶大時代に培った「チームのため」という思い
 東京六大学野球で早稲田と慶應の戦いは、「早慶戦」として格別の人気を誇る。人気だけでなく実力も伴う二校だが、卒業後の進路に注目すると、プロ野球や最近では大リーグでも活躍する早稲田OBと比べ、慶應はプロへのこだわりが薄い。自身はプロ野球巨人で活躍し、引退後は監督もつとめた慶應OBの野球評論家・高橋由伸氏に、慶應生にとっての野球やプロ野球について聞いた。 * * * 昨年から外で野球を見る時間が増えたので、六大学野球を観る機会も多くなりました。大学の同期の連中ともよく話をしますが、神宮で闘っていた頃のことを懐かしく思い出します。 僕が「慶應」を意識するようになったのは桐蔭学園高校に進学してからです。土屋恵三郎監督(当時)の勧めもあって、NHKで中継していた六大学の試合を高校の寮で、皆で観ていました。監督の狙いとして、選手に六大学を目指させる意味もあったのではないかと思います。やがて知っている先輩が神宮でプレーしている姿を見ると、だんだん意識をするようになり、進学を決意しました。 慶應にはスポーツ推薦がありません。「学生の本分は勉学である」という方針は僕らの時代から一貫しています。野球部だからといって勉強を疎かにするのは言語道断で、野球も100%、勉強も100%が基本でした。 一方で学校として「独立自尊」という理念を掲げており、個人の自主性を重んじています。練習メニューも自分たちで考えて作っていくのが慶應カラー。自分たちで考え、野球を楽しみながら勝つ「ENJOY BASEBALL」という方針がベースにあります。限られた時間の中で、どう効率良く、計画的に練習をやっていくか、目的意識をはっきりさせるところは良い伝統だと思います。慶應と早稲田では目標設定や考え方が違う 今でこそ塾高(慶應義塾高校)も強くなって内部進学生の力が上がり、慶應大学からプロを目指すという子が多くなりましたが、かつての慶應野球部は大学4年間で野球を完全燃焼し、卒業したら違う世界へ行くというのが一般的でした。プロ野球はあくまで将来の進路の1つという感じではなかったかと思います。 そういう私も、実は最初からプロを目指していたわけではありません。入学時、頭の片隅にうっすらとはありましたが、どうしてもプロに入るという思いでもなく、別の選択肢も考えていました。 一方で早稲田の子たちは最初から上のレベルで野球をするという思いで入ってきている子たちが多いのではないかと思います。慶應と早稲田とでは、目標設定や考え方が少し異なるのかもしれませんね。 そうして突出した選手がいない分、綺麗事を抜きにしても、慶應はチーム一丸となって闘う集団だと思います。大先輩たちがよく「グラウンドの9人だけじゃなく、ベンチ、ベンチ外にいる者たちの力は百人力だ」とおっしゃいますが、確かに自分のためではなくチームのためという思いは、プロの時よりも慶應時代のほうがはるかに強かったです。 そのためか、若輩者の僕が言うのも何ですが、慶應OBの結束力は他と比べてかなり固いと思いますよ。僕たちも1年に1度は前後の2~3代を呼んで、当時お世話になった後藤(寿彦)監督を囲んで集まっていますし、仲間意識は強いですね。 早慶だけでなく、同じ時代に神宮で戦った仲間はもちろん、六大学でプレーしていた選手たちには皆共通する思いがあります。大学を背負って戦う重みが段々と染み付いていくことで、“伝統”の重みもわかっていくのではないでしょうか。【プロフィール】高橋由伸(たかはし・よしのぶ)/1975年、千葉県生まれ。慶應義塾大学野球部時代、主将としてチームを9季ぶりの優勝に導く。1998年、巨人にドラフト1位(逆指名)で入団。2015年10月に現役引退、監督就任。現在は読売巨人軍特別顧問。※週刊ポスト2020年11月30日号
2020.11.15 11:00
週刊ポスト
かつてのドラフト1位選手が電撃トレード(澤村拓一。時事通信フォト)
澤村電撃トレード 「生涯巨人」のドラ1選手は意外と少ない
 巨人のユニフォームのまま、現役生活を終えるドラフト1位選手はどのくらい存在するのか──。9月7日、巨人・澤村拓一投手とロッテ・香月一也内野手の交換トレードが発表された。澤村は今季こそ不振で三軍落ちも経験したとはいえ、2016年のセーブ王であり、昨季も主に中継ぎとして43試合に登板し、防御率2.61を記録。2010年のドラフト1位選手のシーズン途中のトレードには驚きの声が上がった。 1965年のドラフト制開始以降、巨人は江川卓の『空白の1日』で大騒動を巻き起こしてボイコットした1978年を除き、54回のドラフト会議に参加してきた(1966年は1次、2次と2回あり)。1位という呼び名のなかった自由枠獲得で入団した2002年の木佐貫洋、久保裕也、2004年の野間口貴彦、三木均、高校生と大学・社会人ドラフトに分離されていた2005年から2007年までの希望枠で入団した福田聡志、金刃憲人を含めれば、巨人には60人のドラフト1位がいる。このうち、1973年の小林秀一を除き、59人が入団している。 実は、2010年の澤村拓一までの50人のうち、“巨人一筋”の選手は22人しかいない(現役の坂本勇人含む)。意外にも、過半数を超える56%の28人は他チームに移籍した後に、プロ野球生活に幕を閉じている(※2011年ドラ1の松本竜也は2015年に解雇。2012年以降のドラ1は全て現役選手。今回トレードになった澤村までを対象として計算した)。 2000年代以降に監督を務めた堀内恒夫、原辰徳、高橋由伸はいずれもドラフト1位で、現役時代を巨人で全うした。そのため、“巨人のドラ1”には特別なイメージがあるかもしれないが、実際には今回の澤村のようにトレードされることも往々にしてある。 年代順に追うと、1965~1973年のV9時代のドラフト1位で、移籍することなく現役生活を終えた選手は堀内恒夫、高田繁、湯口敏彦(3年目の春に急逝)、中井康之の4人だけ。当時はレギュラーが固定されていた上に、他球団から実績のあるベテランが毎年加入しており、若手の芽が出づらい環境でもあった。1969年の1位である小坂敏彦は3年しか巨人に在籍していない。この時期のドラフト1位が期待されていたような成長を遂げられなかったこともあってか、1974年オフに就任した長嶋茂雄監督は6年で2度のリーグ優勝に留まった。期待通りの活躍をしたドラ1選手たち しかし、1980年オフに藤田元司監督が就任すると、3年で2度のリーグ制覇を果たす。この後の王貞治監督は5年で1度しか優勝できなかったが、1988年オフに再登板した藤田監督は1989、1990年と連覇を果たし、監督生活計7年で4度の優勝に導いた。第1次長嶋政権最終年の1980年からFA(フリーエージェント)選手加入前年の1993年まで、巨人は1度しかBクラスに転落していない。 その背景には、ドラフト1位選手の期待通りの活躍があった。鹿児島実業の定岡正二を指名した1974年から、PL学園の桑田真澄を獲得した1985年までの12年間では、1976年の藤城和明と1979年の林泰宏、1985年の桑田を除いたドラ1の8選手が巨人のままユニフォームを脱いでいる。 この時代のドラ1野手に目を向けると、1975年の篠塚利夫が首位打者2回、1977年の山倉和博がMVP、1980年の原辰徳がMVPと打点王とタイトルを獲得。ドラ1投手では1981年の槙原寛己は新人王、日本シリーズMVP、1982年の斎藤雅樹は最多勝利5回、最優秀防御率3回、1985年の桑田真澄はMVP1回、最優秀防御率2回を獲得している。この3人は“三本柱”と呼ばれ、一時代を築いた。 それに比べ、1986年から1997年までの12年間で、移籍せずに巨人で現役を全うしたのは1990年の元木大介、1995年の原俊介、1997年の高橋由伸の3選手のみ。木田優夫、橋本清、河原純一、入来祐作のように一時期活躍した投手も、最終的には他球団へ移籍している。ドラフト1位だからといって、トレードに出しづらいという風潮は昔から存在しないのだ。FA制度が巨人からの流出も引き起こす 1993年オフにFA制度が導入されると、巨人は他球団から落合博満や川口和久、広沢克己、清原和博などの大物選手を獲得。1989年のドラ1で、東京六大学リーグで三冠王に輝いた大森剛はその実力を発揮する機会に恵まれず、1998年のシーズン途中に近鉄に移籍し、翌年限りで引退した。 1998年の上原浩治から2010年の澤村までのドラフト1位18人のうち、現役の坂本勇人を含めて巨人のユニフォームを着続けた選手は7人だけ。2004年の野間口貴彦、三木均、2005年の辻内崇伸、2007年の藤村大介は20代で現役を退いており、主力のまま現役を終えたのは阿部慎之助しかいない。巨人への入団を熱望し、優勝に何度も貢献した内海哲也や長野久義ですらFAの人的補償で他球団に移っている。昭和の頃より移籍市場が活発になった現代で、阿部のように“巨人一筋”で終われるドラフト1位は稀なのだ。 FA制度は巨人からの流出も引き起こし、松井秀喜や上原浩治、高橋尚成はアメリカに渡った。定岡が近鉄への移籍を断って引退した昭和の頃と違い、今は『巨人がプロ野球界の中心』という価値観も薄れているし、トレードをお払い箱と考える風潮もなくなっている。 1988年ドラ1の吉田修司は巨人在籍5年強で6勝しか挙げられず、1994年シーズン途中に岸川勝也との交換トレードでダイエーに移籍。新天地で水を得た魚のように活躍し、1997年から2003年まで7年連続で45試合以上に登板し、ホークスに欠かせない中継ぎ左腕として3度の優勝に貢献。41歳になる年まで現役を続けた。2008年のドラ1である大田泰示は日本ハムに移籍して開花している。潜在能力の高い“ドラ1”澤村のロッテ移籍は、復活への大チャンスになるか。■文/岡野誠:ライター、松木安太郎研究家、笑点研究家。NEWSポストセブン掲載の〈検証 松木安太郎氏「いいボールだ!」は本当にいいボールか?〉(2019年2月)が第26回『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』デジタル賞を受賞。著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記』(青弓社)の巻末資料では田原の1982年、1988年の全出演番組(計534本)の視聴率やテレビ欄の文言、番組内容などを掲載。
2020.09.08 16:00
NEWSポストセブン
クイズバラエティ番組と化した日テレ・巨人戦中継への評価は
クイズバラエティ番組と化した日テレ・巨人戦中継への評価は
 波紋を呼ぶほど話題の企画となった――。8月20日、日本テレビ系で巨人対阪神(東京ドーム)戦が放送された。この日は解説者と実況アナウンサーが試合を伝える今までのスタイルをガラリと変え、山本浩二、中畑清、江川卓、高橋由伸、赤星憲広というプロ野球OB、羽鳥慎一(フリーアナウンサー)、伊沢拓司(東大出身のクイズプレイヤー)を迎え、『野球脳サバイバルナイター』を敢行した。 この企画では、7人が次の打者の結果を5択で予想。正解すれば、アウト1ポイント、フォアボール2ポイント、犠打・犠飛3ポイント、ヒット4ポイント、ホームラン10ポイントをもらえる仕組みで、各イニングの最下位が1人ずつ脱落していくシステムが取られた。 19時に中継が始まると、5回に江川卓、6回に山本浩二と野球解説者が早々と去り、7回に羽鳥慎一、8回に赤星憲広が姿を消した。中畑清、高橋由伸、伊沢拓司の3人が9回まで残り、高橋由伸が累計ポイント数でトップになり、優勝を果たした。 この日、地上波の巨人対阪神戦はスポーツ中継というより、あくまでクイズの題材になっていた。いわば、新感覚の“クイズバラエティ”のような番組だった。斬新な企画に、ネット上では「意外と楽しめた」という肯定的な声もあれば、「画面がゴチャゴチャして野球が見づらい」という否定的な意見もあった。 今回の企画について、野球ファンからは不満が出て当然だろう。テレビ上の主役は選手ではなく、予想するパネラーたちに見えたからだ。実際、CMに入る前には〈中畑、高橋、赤星、羽鳥、伊沢 最後に残るのは?〉などと大きなテロップで煽っていた。 私も、最初は純粋に野球を楽しみたいと感じた。しかし、日本テレビの立場を考えれば、大胆な企画の敢行はむしろ遅いくらいだったかもしれない。事実として、もう15年以上も地上波のプロ野球中継は視聴率が取れていない。 ここ数年、巨人の開幕戦でなんとか10%に乗る程度で、あとは1ケタが続き、放送自体も年に数試合しかない。昨年は日本シリーズの巨人対ソフトバンクでさえ3戦目まで2ケタに届かず、最終戦となった4戦目でようやく11.8%(ビデオリサーチ調べ/関東地区。世帯視聴率。以下同)になったほどである。日本テレビは視聴率争いでテレビ朝日と首位を競っているが、巨人戦をナイター中継すると、ゴールデン帯やプライム帯で1位になれない日も目立つ。 通常、テレビ局は数字が低ければ、番組にテコ入れをする。それなのに、野球中継はアナウンサーが実況をして、元選手が解説をするというスタイルを変えていなかった。しかも、地上波とBS、CSが同じ実況、解説の試合も当たり前だった。テレビ界では考えられない“番組”だったのだ。 この日の巨人対阪神戦は副音声では通常のスタイルで中継していたし、CSや動画サイトでも放送されていた。逆に言えば、野球ファンに他の選択肢があるからこそ、大胆な試みを敢行できた。そもそも、たまに地上波で中継をしても、毎試合巨人戦を見ている人はいつも通り、CSなどで視聴するはずだからだ。 地上波のコンテンツとして通用しなくなってきている巨人戦中継を、今までと同じ形で続けても、視聴率アップは見込めない。地上波がCSと差別化するなら、このくらいドラスティックに変えないと意味はないと考えたのだろう。この企画を機に野球中継を見てくれる新規ファンが少しでも増えれば、既存のファンにとっても喜ばしいことではないだろうか。 新しいことをすれば、賛否両論は巻き起こる。少なくとも、日テレは今までにない野球中継に挑戦した。果たして、第2弾はあるだろうか。(文中敬称略)■文/岡野誠:ライター、笑点研究家、松木安太郎研究家。NEWSポストセブン掲載の〈検証 松木安太郎氏「いいボールだ!」は本当にいいボールか?〉(2019年2月)が第26回『編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞』デジタル賞を受賞。本人や関係者への取材、膨大な一次資料、視聴率などを用い、丹念な考察をした著書『田原俊彦論 芸能界アイドル戦記』(青弓社)が話題に。
2020.08.21 16:00
NEWSポストセブン
日本テレビの強さの一因「サブアナウンサーシステム」とは
日本テレビの強さの一因「サブアナウンサーシステム」とは
 2019年まで6年連続で年間視聴率「三冠王」に輝いた日本テレビ。先に「女子アナ帝国」を築いたフジテレビに対抗すべく、1990~2000年代は女子アナを「グループ化」して売り出していくしたたかな戦略をとった時期もあったが、日テレアナウンサーの安定感の原動力となっているのが、元「サブアナウンサーシステム」だ。 これは、日テレアナウンサーならではの“下積み仕事”で、サポートでスポーツ実況の男性アナの資料集めなどをする。 元・日本テレビの馬場典子アナ(46・1997年入社)は、「日テレならではの独自の教育法」、「下積み仕事も多いですよね。その分、足腰を鍛えられた気がします」と語る。「元々は1人より2人の目で喋るべき内容を的確に把握するためだったそうですが、今は先輩から後輩が学び、先輩が後輩を支える場となっています。ネタを集めてもすでに先輩が知っていたり調べたりしていて、ゴミ箱行きになったこともありました。でも人によっては何が足りないのかまでは教えてくれない。そんな厳しさもある中で、準備のイロハが学べました」 女子アナウォッチャーの丸山大次郎氏は、この指導が日本テレビのアナウンサーの強さの秘訣ではないか、と分析する。「よく『先輩から盗め』といいますが、簡単ではないでしょう。それを体系化することで仕事のコツを肌身で感じることができる。これが日テレの強さの源になっていると思います」 取材・文■河合桃子※週刊ポスト2020年7月10・17日号
2020.07.09 07:00
週刊ポスト
水卜麻美アナ入社以降退社者ゼロ、日テレ女子アナ変化の歴史
水卜麻美アナ入社以降退社者ゼロ、日テレ女子アナ変化の歴史
 日本テレビは民放テレビ局第1号として誕生した。1953年の開局から1980年代中頃までの同局の女子アナのイメージを「独自性が強い」と女子アナウォッチャー・丸山大次郎氏は評する。「民放第1号としてのポリシーを持っていたように感じます。多彩な分野でヒットを飛ばしていたため、女子アナもそれぞれ個性が強かった。後に田原総一朗氏と結婚した古賀節子アナは結婚・出産による配置転換を受け入れず提訴し、勝利したバリキャリでしたし、キー局初の女性アナウンス部長に就任した石川牧子アナは1980年にアフガニスタン難民の取材に成功するなど多くの伝説を残しました」 そんな日テレに1988年、大きな変化が起きる。「フジテレビの“3人娘”に端を発する女子アナブームの到来です。折しも日テレも同年に永井美奈子アナ、関谷亜矢子アナが入社しアイドル的な人気を得ます。特に永井アナは雑誌の芸能人人気ランキングでランクインを果たしたほどでした」 1990年代に入るとアナドル路線が加速化。そこで日テレが力を入れたのが「グループアイドル」戦略だった。「開局40周年記念として永井アナをセンターに据えて米森麻美アナ、藪本雅子アナの3人でアイドルユニット『DORA』を結成します。その後も50周年で馬場典子アナ、古市幸子アナ、延友陽子アナが『BORA』、55周年で鈴江奈々アナ、夏目三久アナ、葉山エレーヌアナが『go!go!ガールズ』として活動するなど節目、節目でユニットを誕生させた。日テレは過度にタレント然とした女性はあまり採用していませんが、こうしたチーム戦略で全体的な知名度を底上げしたのです」 そして2010年の水卜麻美アナの入社でその土台が固まる。「スパルタと言われる日テレですが、水卜アナ以降に入社した女子アナは誰ひとり退社していません。他局でフリー転身が相次ぐなか水卜アナという目指すべき存在が現われ、『アナドルに頼りすぎない』という局の姿勢が功を奏し、現在の強靱な女子アナ軍団を作り上げたのです」取材・文■河合桃子 写真■ロケットパンチ※週刊ポスト2020年7月10・17日号
2020.07.03 07:00
週刊ポスト
巨人戦の視聴率はなぜ上がらないのか(時事通信フォト)
他球団の試合は好調でも… 巨人戦の視聴率が低迷する背景
 新型コロナウイルス感染拡大の影響で約3か月遅れで開幕した、今年のプロ野球は、近年では珍しく、日本テレビが地上波で開幕戦から5試合連続で巨人戦を中継した。6月19日、阪神との開幕戦の視聴率は10.7%(ビデオリサーチ調べ/関東地区。世帯視聴率。以下同)だった。デーゲームの2戦目は7.3%、3戦目は5.8%を記録した。テレビ局関係者が話す。「ファンも待ち望んでいましたし、外出自粛ムードもあるので在宅率も高い。ここ数か月、スポーツ自体が行われていなかったですから、もう少し伸びるかと思いましたが……。巨人の開幕戦は昨年10.6%、一昨年9.2%なので、例年とあまり変わりませんでした。デーゲームの数字は最近の中では、悪くないと思います」(以下同) 続く広島戦との3連戦のうち2戦はナイター中継だったが、6月23日は8.9%、24日は7.5%と数字は伸びなかった。「これは、日テレにとって痛い数字でした。6月の第4週(22~28日)の世帯視聴率で日テレは全日帯では1位を獲得しましたが、ゴールデン帯とプライム帯はテレビ朝日がそれぞれ11.1%、11.6%を記録し1位の座を明け渡しています。2位の日テレとの差はそれぞれ0.2%、0.8%です。つまり、巨人戦で週に2度も夜7~8時台に1桁を出してしまったことが大きな原因なのです。 この2局は熾烈な視聴率争いをしていますが、週間のゴールデン帯では日テレがだいたい勝っています。6月の月間視聴率でも、プライム帯はテレ朝が首位でしたが、ゴールデン帯は日テレがNHKと並び、11.5%でトップでした。巨人戦中継が視聴率争いの足かせになっているのは、残念ながら間違いありません」 地上波だけでなく、CS放送や動画配信サービス「DAZN」などでも巨人戦は中継されている。その分、視聴率が分散するとの指摘もある。「確かに普段から巨人を応援しているファンは余計な演出のないCSなどを見るかもしれません。しかし、地上波以外の視聴率を換算しても、実際は雀の涙ほどにしかならない。仮に今後、地上波のみの中継が実現しても、12%を超えるとは考えづらいのではないでしょうか。 日テレは今年、あと4試合巨人戦ナイターを中継する予定になっていますが、いかに下げ止めるかを模索するしかない。昨年8月29日、松井秀喜氏と高橋由伸氏のダブル解説という往年のファンにとって堪らない演出をしても6.7%しか取れなかった。今後も低い数字を覚悟しないといけないでしょう」 関東地区の巨人戦は視聴率に苦しんでいるが、他の地区でのプロ野球中継は低迷するどころか、高視聴率を稼いでいる。「ゴールデン帯の開幕ナイターの数字をおさらいすると、関西地区の巨人対阪神(読売テレビ)は17.4%、広島地区のDeNA対広島(広島テレビ)は27.6%、札幌地区の西武対日本ハム(札幌テレビ)19.7%、仙台地区のオリックス対楽天(NHK)は17.6%、北部九州地区のソフトバンク対ロッテ(テレビ西日本)は17.7%です。 これらの地域のファンも、契約すればCSやDAZNは観られる環境にある。それにもかかわらず、地上波で高い数字を記録している。この事実からも明らかなように、巨人戦の地上波中継の視聴率が上がらないのは、決してCSやDAZNで観られるからではないんですよ。ちなみに、名古屋地区のヤクルト対中日(東海テレビ)は9.9%で、地方局の開幕戦中継で唯一1桁でした。もう何年も中日が低迷しているので、ファン離れが進んでいることが、数字にハッキリ現れている。全体的に見て、巨人戦の視聴率低下はプロ野球人気の低下ではなく、単に巨人の人気が落ちていると考えるべきでしょう」 8年連続Bクラスの中日と異なり、巨人は昨年5年ぶりのリーグ優勝を果たし、今季も好調なスタートを切っている。それでも、視聴率上昇の気配は見えてこない。「昔、20%を取っていた頃はプロ野球中継が巨人戦のみでした。他球団のファンは途中経過を見るためにスイッチを付けていた面もある。それが多チャンネル化によって、巨人戦の数字が相対的に下がった。また、他球団は地元密着を進め、成果を上げているので、地域で高視聴率を取れる。一方、巨人は本拠地のある東京、関東地区にアピールしきれていないとも言えます」 かつて巨人戦の視聴率はプロ野球人気全体のバロメーターだったが、今はそうではない。地域密着型のチームが増える中で、巨人の全国区での人気にも陰りが見え始めているということか。はたして地上波で巨人戦の視聴率が上がる日は来るか。
2020.07.02 16:00
NEWSポストセブン
今シーズン中に球団歴代1位の勝利数に到達しそうな巨人・原辰徳監督(時事通信フォト)
『ジャイアンツ愛』から18年、巨人・原監督の名将への軌跡
 昨年、5年ぶりのセ・リーグ優勝を果たした巨人。6月19日に開幕する今季プロ野球で通算14年目を迎える原辰徳監督はこれまで1024勝を挙げており、順当に行けばシーズン中に長嶋茂雄監督の1034勝、川上哲治監督の1066勝を抜き、球団歴代1位の勝利数になりそうだ。なぜ、原監督は“勝てる監督”になったのか。野球担当記者が話す。「時代によって、采配スタイルを変えてきたことが大きい。2002年、長嶋監督の後を受けて43歳で就任した時は『ジャイアンツ愛』をキャッチフレーズに、選手を尊重して情に厚い指揮官でした。松井秀喜が全試合4番に座り、二冠王を奪取。前年まで不振に陥っていた桑田真澄も復活して、最優秀防御率を獲得した。原監督が選手を信じ、我慢して起用したことで、斉藤宜之や鈴木尚広など長嶋政権時代には芽が出なかった若手が成長し、チーム全体がのびのびとしていました。毎年のように大型補強をしていた長嶋監督時代と異なり、この年の補強は新外国人のワズディン、クレスポ、中日からFAで前田幸長を獲ったくらいでした」(以下同) 2002年は序盤こそ星野仙一監督1年目の阪神が快走したが、夏場には巨人の独走状態に。2位・ヤクルトに11.0ゲーム差をつけ、原監督が宙に舞った。日本シリーズでもパ・リーグ王者の西武を圧倒し、4勝0敗で日本一に。選手時代の1990年、0勝4敗と叩きのめされた相手に雪辱を果たした。新たな黄金時代の到来かと思われたが、オフには松井がヤンキースに移籍。その一方で、松井と本塁打王を争っていたロベルト・ペタジーニをヤクルトから獲得した。「“脱長嶋野球”で日本一になったのに、他球団の4番を奪ってくるという補強に逆戻りしてしまった。原監督の意思というより、フロントの意向だったのでしょう。ペタジーニの本職である一塁には清原和博がいるため、外野で起用しましたが、開幕戦で本塁への送球を暴投するなど守備の乱れも目立った。この頃の原監督は良くも悪くも頑固で、前半戦は清原が欠場していてもペタジーニを外野で使っていましたし、抑えの河原純一が何度失敗しても9回を任せ続け、チームの調子は上がりませんでした」 この年は3位とAクラスを確保したが、原監督は球団代表との確執も噂され、辞任。後を受け継いだ堀内恒夫監督が3位、5位に終わると、2006年から第2次原政権が始まった。スタートダッシュに成功し、最大貯金14と首位を快走したが、交流戦で失速。6月に8連敗、10連敗、7月に9連敗を喫し、最下位に落ちた時期もあった。なんとか4位に踏みとどまるも、借金14で球団史上初の2年連続Bクラスに終わった。「この年がターニングポイントでしたね。故障者が続出したことで、『巧い選手ではなく、強い選手が欲しい』と言うようになった。時折非凡さを感じさせるプレーをする選手よりも、年間を通して働ける選手を望みました。“強い選手”は計画性や己を律する能力がある、と原監督は考えています。2006年の惨敗をきっかけに、完全な実力至上主義を打ち出し、情に厚いイメージが消えた。このオフから『ジャイアンツ愛』という言葉が、ほとんど聞かれなくなりました」 2007年の春季キャンプで、前年の後半戦に1番として起用した鈴木尚広、チームリーダーとしても期待の二岡智宏がケガで離脱すると、報道陣に〈鈴木? 痛いのかゆいの言って、土俵にも上がっていない。二岡? そんなのいたっけ?〉と突き放した。シーズンに入ると、二岡は139試合に出場し、打率2割9分5厘、20本塁打と主軸として活躍した。しかし、7月の広島戦では、チャンスの場面で代打に小関竜也を送るなど厳しい一面を見せた。「原監督はコーチの頃から二岡に大きな期待を掛けていましたし、レギュラー選手のプライドを重視していた第1次政権では考えられない采配でした。結果的に小関は凡退し、この用兵は当たらなかった。ただ、誰も特別扱いしないという方針を示したことで、チームに緊張感を生んだ。 この年、原監督は1番に高橋由伸を抜擢し、先発に拘っていた上原浩治を抑えに回した。オフにはFAで小笠原道大、トレードで谷佳知を獲得した。彼らがシーズンを通して働いて“強い選手”の模範となり、巨人は5年ぶりの優勝に輝きました。監督の意識改革が、そのままチーム改革につながった。小笠原や谷の補強は数字の面だけでなく、練習への姿勢などでも他の選手への影響を与えていた。指揮官にはそんな狙いもありました」 原監督は2007年から3連覇、2009年にはWBCで指揮を執り、世界一に導いた。落合博満監督の中日に2年間覇権を渡してしまうが、2012年からまた3連覇。2位に終わった2015年限りで退任したが、2019年に復帰するとチームを5年ぶりの優勝に導いた。「プロ野球の歴史を振り返ると、名将と呼ばれた監督たちも在任期間が長くなると、徐々に勝てなくなってくる。原監督のように“第3次政権”となると、過去の成功体験に囚われてしまいがちです。選手の考え方は世代によって変わっていきますし、時代に合わなくなっていくのです。 しかし、原監督は常に自身をブラッシュアップさせ、考え方も戦略も柔軟に変化させている。肉体は衰えますが、思考は何歳になっても変えられると示しています。昨年、丸佳浩や炭谷銀仁朗というFA組は活躍したが、期待された中島宏之や岩隈久志という移籍組、ビヤヌエバやクックといった新外国人は数字を残せなかった。エースの菅野智之も不調に陥る中、原監督が選手を適材適所で起用することで、なんとか優勝できた。第2次政権で山口鉄也や松本哲也などが育ったように、昨年も増田大輝や若林晃弘が伸びました」 今年の巨人はオフに目立った補強もできず、戦力的に頭抜けているわけではない。坂本勇人や大城卓三が開幕から全開というわけにもいかない。先発も、昨年の勝ち頭である山口俊がメジャーに行き、菅野以外で計算できる投手が少ない。苦しい状況の中、原辰徳はどう選手をやり繰りし、巨人監督最多勝利を実現するか。
2020.06.17 16:00
NEWSポストセブン
落合博満監督(当時)はさまざまな采配を見せてきた(時事通信フォト)
開幕投手で相手チームを幻惑し続けた中日・落合監督
 6月19日、いよいよプロ野球が始まる。気になる開幕投手の顔ぶれは各チームの監督の公表によって、以下のように明らかになっている。 セ・リーグは、巨人・菅野智之(3年連続6回目)vs阪神・西勇輝(2年ぶり2回目)、ヤクルト・石川雅規(3年ぶり9回目)vs中日・大野雄大(3年ぶり3回目)、DeNA・今永昇太(2年連続2回目)vs広島:大瀬良大地(2年連続2回目)。パ・リーグは、楽天・則本昂大(2年ぶり6回目)vsオリックス:山岡泰輔(2年連続2回目)、西武・ザック・ニール(初)vs日本ハム・有原航平(3年ぶり2回目)、ソフトバンク・東浜巨(初)vsロッテ:石川歩(2年連続2回目)。 直前の怪我などがなければ、まずこの顔触れになりそうだ。現役で最も多く開幕投手を務めたのは、涌井秀章(西武→ロッテ→楽天)の9回。順当に行けば、ヤクルトの石川はトップに並ぶことになる。3位は、7回の岩隈久志(近鉄→楽天→メジャー→巨人)。4位タイは、6回の松坂大輔(西武→メジャー→ソフトバンク→中日→西武)、金子千尋(オリックス→日本ハム)になる。 歴代の開幕投手回数ベスト5を挙げると、1位タイは14回の金田正一(国鉄→巨人)、鈴木啓示(近鉄)、3位は13回の村田兆治(ロッテ)、4位は12回の山田久志(阪急)、5位は10回の東尾修(西武)となっている(記録は2リーグ分裂以降。以下同)。いずれも通算200勝以上の大投手だ。昨今はメジャーリーグへの移籍、3月にWBCが行われる事情もあり、金田や鈴木の14回を抜くのは困難かもしれない。 昭和の頃から開幕戦はエースに託すというイメージが強い。しかし、過去には奇策を打って出るチームもあった。最近では、2004年から中日で指揮を執った落合博満監督が3度も意外な手で相手を幻惑した。野球担当記者が話す。「最も有名なのは、就任1年目に3年間登板ゼロの川崎憲次郎を開幕投手に持ってきたことでしょう。当時の中日は山本昌、野口茂樹、川上憲伸というエース級が揃っており、誰も予想できなかった。チームメイトも、当日のロッカーで知って驚いたという逸話まであります。落合監督は正月には川崎の開幕投手を決めていたようですが、それが情報漏れしなかったことも見事です」(以下同) 川崎は2回途中5失点で降板したものの、打線が奮起し、広島のエース・黒田博樹を攻略。8対6で逆転勝ちを収めた。ルーキーや新外国人、メジャーから復帰した2003年のオリックス・吉井理人を除けば、前年登板なし投手の開幕先発は初めてだった。この奇策は他球団に落合采配を警戒させるのに十分なインパクトを与え、同年中日は5年ぶりのリーグ優勝を果たした。 翌年から2008年までの開幕投手はエースの川上憲伸と正攻法だった。その川上がアトランタ・ブレーブスへ移籍した2009年、落合監督は3年目の浅尾拓也を抜擢した。前年は全てリリーフでの登板で、先発は1年目の8月17日以来だった浅尾は8回1失点と期待に応え、チームは4対1で横浜を破った。「川上は去りましたが、吉見一起は前年に初の2桁勝利を挙げていました。先発にはチェンや中田賢一もいた。その中で、前年のセットアッパーである浅尾の起用は驚きました。浅尾は5月13日を最後にリリーフに回り、引退まで先発することはありませんでしたから、周囲には奇策に見えたでしょう」◆前年4勝以下の投手を3度開幕投手に選出 2011年には、前年4勝のネルソンに開幕を任せた。この年は春季キャンプでチェン、吉見、山本昌と投手陣に故障者が続出。誰が来るのか予想しづらい中、落合監督は開幕戦の出場選手登録に朝倉健太、岩田慎司、小笠原孝、中田賢一、ネルソン、山内壮馬というローテーション投手を全て入れた。通常、先発投手の登録は数名に絞り、リリーフや野手を補充するが、相手の横浜を幻惑する作戦を取ったのだ。開幕戦は敗れたものの、その年、中日は首位・ヤクルトとの最大10ゲーム差を逆転し、連覇を果たした。 落合監督は中日で指揮を執った2004年から8年間で、前年4勝以下の投手を3度も開幕に選んだことになる。同期間の12球団では、2008年のヤクルト・石川雅規(前年4勝)と阪神・安藤優也(前年2勝)の2人だけ。石川は前年不調に陥り、チームの最下位もあって勝ち星が伸びなかったが、2006年まで5年連続2桁勝利。安藤は前年故障で8試合の登板に終わっていたが、2005年から2年連続2桁勝利という実績があった。「落合監督は、その時々のベストを選択していく監督でした。浅尾を抜擢した2009年も、『普通に考えればそうなる。みんなキャンプ、オープン戦を見てないからな』と報道陣に話していた。つまり、“開幕戦はエースでなければならない”という固定観念を持たなかった。先入観に縛られる世間から見ると奇策のように映りますが、落合監督の中では当たり前のことなんです。 2007年、巨人とのクライマックスシリーズ初戦、レギュラーシーズンの後半戦0勝5敗だった左腕の小笠原孝を起用した時も、『奇襲でも何でもない。普通の選択』と答えています。この年の巨人は1番・高橋由伸を筆頭に、小笠原道大、李承燁、阿部慎之助と左の強打者が並んでいました」 試合中の采配はオーソドックスな印象だった落合監督だが、開幕戦での先発起用では相手を幻惑し、その試合のみならず、シーズンを通して主導権を握っていった。そして2010年、2011年と連覇した落合監督が解任された翌年、セ・リーグは予告先発制度が導入された。「予告先発はお互いにミーティングの時間も減りますし、正々堂々と戦うという大義名分もある。しかし、いかに相手の裏をかくかという心理戦は野球の醍醐味のひとつですし、そこからドラマも生まれる。最近は読み合いの風潮が薄れており、ソフトバンクのように強いチームが予想通りに日本一になる。野球は意外性のスポーツであり、想像しなかったことが起こるから面白いという面がある。今のプロ野球界では、なかなか奇策が打てませんね」 時代によってルールは変わる。これは仕方ないことかもしれないが、落合監督の作戦が今もファンの記憶に残っていることも忘れてはならない。
2020.06.16 16:00
NEWSポストセブン
日本テレビが巨人戦を地上波中継する狙いは?(時事通信フォト)
日本テレビが巨人戦を地上波中継 視聴率10%超えが合格点か
 6月19日、新型コロナウイルス感染拡大の影響で遅れていたプロ野球が開幕する。近年では珍しく、日本テレビが開幕戦から5試合連続(ナイター3試合)で巨人主催試合を生中継すると発表された。現段階では19~21日の阪神戦、23~24日の広島戦、そして7月4日の中日戦の、計6試合の地上波中継が発表されている。はたしてその狙いは一体、どこにあるのか。テレビ局関係者はこう語る。「バラエティはロケもままならず、リモート収録にも試行錯誤しており、総集編ばかり流していると、そのうち視聴者に飽きられてくる。プロ野球のみならず、スポーツ自体が開催されていないですし、在宅率もまだまだ高い。総合的に考えて、例年の巨人戦よりは需要があると判断したのでしょう」(以下同) 1983年には平均視聴率27.1%(ビデオリサーチ調べ/関東地区。以下同)を叩き出した巨人戦のナイター中継も、2000年から数字が下落し、2005年には平均視聴率10.2%と過去最低に。翌年から放送数は減っていき、昨年は数えるほどしか地上波中継がなかった。「2019年に2ケタを獲ったのは開幕戦だけ。優勝決定試合である9月21日のDeNA戦もBSでの放送に留まりました。昔は30~40%も期待できた日本シリーズでも、4戦中3戦が1ケタになってしまった。視聴率トップを走る日本テレビですが、巨人戦を中継すると、その日は首位から陥落するという事態になっています」 そもそも、巨人戦の視聴率はなぜ2000年頃から下がっていったのか。「2000年はFAで工藤公康というエース、江藤智という4番打者を他球団から獲得し、勝って当たり前の状態で、本当にそのまま勝ってしまった。それまでも清原和博や広沢克己という4番打者がFA移籍してきましたが、思うようには勝てなかった。2000年も序盤はつまずきましたが、夏には独走状態になった。その辺りから数字が下がり始めたんです。それに、毎年のように大型補強を重ねたことも、ファン離れに繋がっていった要因かもしれません」 実は、巨人が9年連続日本一になったV9時代の後半、平均視聴率は20%に届いておらず、V9最後の1973年は16.6%だった。「それが長嶋茂雄監督1年目で最下位に沈んだ1975年は21.5%と跳ね上がった。強い頃より弱い時の方が、数字が上がっていた。第1次長嶋政権の6年間で、最高は3連覇を逃した1978年の24.9%、2番目は江川卓入団1年目で5位に沈んだ1979年の24.6%です。2年とも優勝していません。 1980年代は全て20%を超え、最も良かった1983年は3年目の原辰徳がMVPを獲得し、江川や西本聖などの活躍で優勝しています。ただ、2番目の25.6%を記録した1982年、1984年は共に優勝を逃しています。この頃はFAもなく、若手を育てるしかなかった。その中で、駒田徳広、槙原寛己、吉村禎章の50番トリオなど毎年のように生え抜きが出番を増やしていった。そんな成長過程に、ファンが惹かれていた面もあるでしょう」 今年の巨人はオフのFA補強でロッテの鈴木大地、楽天の美馬学の獲得を目指したが、2人とも他球団に奪われ、獲得は叶わなかった。新加入選手は育成選手を除けば、外国人とドラフト指名のみ。生え抜きの若手にとって、チャンスの年になる。「ファンも生え抜きスターを望んでいる。それは、1970年代後半や1980年代の視聴率からも明らかです。4番・松井秀喜を中心として、若手も台頭した2002年、平均視聴率は前年の15.1%から16.2%と上昇しました。翌年、松井がヤンキースに移籍したこともあって、視聴率は下がっていくのですが……。古いデータですが、ファンが惹かれる要素はそうは変わりません。今年の巨人は4番に岡本和真がどっしり座るでしょう。スタメンに俊足の吉川尚輝や3年目の大城卓三が加わり、昨年同様にベテランの亀井善行が渋い味を出す。そんな試合が常時、地上波で中継されれば、人気も徐々に回復するかもしれません」 多チャンネル化されていなかった1980年代はほとんど巨人戦しか中継されておらず、他球団のファンも巨人戦を見て、応援するチームの途中経過に一喜一憂していた。現在はBSやCSで12球団の試合が放送されており、プロ野球ファンが巨人戦に一極集中することはない。今年の中継で、日テレはどのくらいの数字を取れば合格点になるのか。「今は地上波全体の視聴率が下がっているので、昔のような20%は誰も求めていない。6月第1週の日テレのゴールデン帯の世帯視聴率は11.5%です。この辺りが基準になるでしょう。 最近3年間の開幕戦は2019年10.6%、2018年9.2%、2017年10.7%と2ケタ前後になっています。昨年8月29日に松井秀喜、高橋由伸という豪華解説陣を迎えた広島戦でも6.7%だった。この数字では、厳しいでしょう。 ナイター中継はまずは平均10%超えを目指したい。ナイター3戦とも12%以上を取ったら、巨人戦中継も増えていくかもしれません。テレビは視聴習慣が大きいので、本気で巨人戦で視聴率を取りに行くなら、シーズンを通して放送することが重要です。ただ、近年の状況では、いきなりそう決めるのはリスクが高い。最初に数字が取れれば、コロナ渦も相まって、そんな話が出てくるかもしれません」
2020.06.12 16:00
NEWSポストセブン
オープン戦最下位決定に原辰徳監督(中央)は何を思うか(EPA=時事)
巨人、過去のオープン戦最下位時はいずれも開幕ダッシュ失敗
 3月14日、巨人は楽天と3対3で引き分け、1965年以降で5度目のオープン戦最下位が決まった。昨年、5年ぶりのリーグ優勝を果たした巨人だが、15勝を挙げた山口俊がメジャーリーグに移籍し、代打や困った時のスタメン起用で期待に応えていた阿部慎之助が引退。オフのFA市場では美馬学、鈴木大地の獲得に名乗りを上げるも、他球団に奪われ、補強は新外国人とドラフトに留まった。野球担当記者が話す。「昨年、丸佳浩と炭谷銀仁朗がFA加入したため、補強による戦力アップで優勝したと思われがちですが、セカンドのレギュラーを期待された吉川尚輝が開幕早々に離脱し、新外国人のビヤヌエバも活躍できなかった。ゲレーロが打ち始めたのも夏場でしたし、岡本和真も不振で4番を外された時期があった。それでも原監督が上手くやり繰りして、なんとか優勝に漕ぎつけた。今年は思うような補強ができませんでしたし、若手が伸び悩むと、かなり苦戦すると思います。オープン戦がその前触れと見ることもできます」(以下同) 過去4度のオープン戦最下位は1972年、1992年、2008年、2017年。川上哲治監督の下でV7を達成した1972年、第2次原政権3年目の2008年は優勝を果たしている。藤田元司監督最終年の1992年は2位、高橋由伸監督の2017年は4位だった。過去2回優勝しており、「オープン戦の順位は公式戦に関係ない」という球界の定説は、巨人に当てはまりそうだ。ただし、オープン戦最下位の年は、開幕後にある傾向が出ている。「いずれも開幕スタートダッシュには失敗しています。4月を終えた時点での順位は1972年が3位、1992年は5位、2008年は4位、2017年は3位。1972年は大型連敗もなく5月に首位に立ちましたが、1992年は4月に6連敗、5月に4連敗を2度、5連敗を1度喫して、1か月以上も最下位の時期がありました。2008年は首位・阪神に最大13ゲーム差を付けられましたし、2017年は球団史上最悪の13連敗をしてしまった。 今年の巨人は山口俊の穴を埋めるため、戸郷翔征や畠世周などの若手投手の成長が望まれています。しかし、オープン戦で不調だったり、ケガで出られなかったりと結果を残せていない。苦戦を強いられることになるかもしれません」 オープン戦最下位から優勝した1972年は長嶋茂雄の力に衰えが見え始めたが、王貞治が48本塁打、120打点で2冠王を獲得。エースの堀内恒夫が26勝とキャリアハイの数字を挙げて、最多勝に輝いた。2008年はヤクルトから移籍してきたラミレス、グライシンガー、横浜から移籍のクルーンといった外国人トリオが徐々に調子を上げ始め、北京五輪で主力の抜けた首位・阪神が夏場に失速したこともあって、『メーク・レジェンド』を遂げた。「1992年は、5月に西武から大久保博元が移籍。大久保がホームランを打つと負けないという“デーブ神話”もでき、6月7日から7月8日まで21勝2敗という驚異的な追い上げを見せ、首位にも立ちました。一方、2017年は13連敗したにもかかわらず、シーズン中の補強はなく、Bクラスに終わってしまった。百戦錬磨の原監督ですから、オープン戦と同じような成績にはならないでしょうけど、若手が成長しなければ緊急補強に走るはず。今年の巨人の戦力はずば抜けているわけではないうえ、セ・リーグ6球団の力は均衡しているので、Bクラスの可能性もある」 新型コロナウイルスの感染拡大によって、開幕が延期したプロ野球。これからの数週間で、原監督はどうチームを立て直すか。
2020.03.15 07:00
NEWSポストセブン
野村克也氏、名言の数々「外野手出身の名監督はいない」ほか
野村克也氏、名言の数々「外野手出身の名監督はいない」ほか
 多くの野球人から尊敬された野村克也氏が、84歳でこの世を去った。時に辛辣でありながらも愛に満ちた“ボヤキ”を続けてきた野村氏。本誌・週刊ポストのインタビューでも何度も、現役選手や指揮官たちを叱咤した。最後まで野球と真剣に向き合い続けた野村氏の「教え」を改めて振り返る──。 現役時代は名捕手であり、指導者としてはヤクルト監督時代にはリーグ優勝4回、日本一3回を達成した名監督だった野村氏。「監督論」にも人一倍のこだわりがあった。 今季から采配を振るうヤクルトの高津臣吾監督、楽天の三木肇監督をはじめ、かつての“教え子たち”が指揮官としてチームを率いるようになったことについて聞いたのが、本誌での最後のインタビュー(2020年1月17・24日号掲載)となった。「この世界は結果。結果を出せば評価は高くなる」としながらも、「名将の条件とは『勝利』だけではない。結果を出すまでのプロセスが問われてくる。信は万物の元をなすというが、監督に必要なのは選手やコーチからの信頼。それが名将の唯一の条件だと私は考えている」と話し、監督となった“野村チルドレン”たちにエールを送った。〈監督論 野村の考え〉(2016年1月1・8日号掲載)と題したインタビューの取材では、訥々と自身の見解を披露した。この年は、巨人で高橋由伸監督、阪神で金本知憲監督が誕生したが、「プロ野球は監督の人材難だよ。球界の今後が心配で仕方がない」と表情を曇らせた。「名選手必ずしも名監督ならず。現役時代にスター選手だった監督、特にバッター出身の監督は、総じてホームランが飛び交うような素人が見ても楽しい野球を好む。言い方を変えれば、ただ投げて打って走るだけの、才能に頼った荒っぽい野球。うまくはまれば強いが、いつもうまくいくわけがない。それじゃ常勝チームは作れない」 もちろん、野村氏も戦後初の三冠王を獲得するなど、現役時代から輝かしい実績を残していたわけだが、同時代に王貞治氏、長嶋茂雄氏という大スターが活躍し、自らを「月見草」と評した。そういうキャリアを歩んだからこそ、見えるものがあるという自負もあったのであろう。「スター選手は自分が抜群のパフォーマンスをできたから、みんなができると思ってしまう。だから技術指導ができず、言葉より感覚を大切にしてしまう。目の前の試合に一喜一憂して、味方がホームランを打つと、選手と同じようにベンチを飛び出してくる。もちろん、タイムリーが出たり、逆転した場面で、監督の立場として“よし”とは思うが、このあとどう守ろう、どう逃げ切ろう、と先のことのほうがオレは気になるよ」 上田利治氏や森祇晶氏、そして自身の例を挙げながら「日本一監督は捕手出身ばかりだった」という点も強調した。現役時代のポジションによって、指揮官としての素質が大きく変わるというのは、野村氏が何度も指摘したことだった。「プロ野球の歴史の中で、外野手出身の名監督はいない」と断言。「(現役時代に)外野手は試合中に考えることがほとんどない。打者によって守備位置を変えるぐらい。それもベンチの指示で動くことが多く、細かいことを考えない。外野手出身の監督は細事小事に目がいかないというのが私の持論だ。 一方、名将とされる三原脩、水原茂、鶴岡一人、川上哲治、西本幸雄は全員が内野手出身。捕手ほど細かいことを見ていないが、横の連絡を取っているので総合的な視野で見られる」 独自の視点と分析力で蓄積したデータをもとにした、野村氏の「教え」の数々―─その礎にあったのは一捕手、一監督としての誇りと野球への深い愛情だった。※週刊ポスト2020年2月28日・3月6日号
2020.02.19 16:00
週刊ポスト
引退会見で涙を流した上原浩治氏(写真:時事通信フォト)
上原浩治氏を臨時コーチとしても呼べない巨人特有のお家事情
「僕が巨人のユニフォームを着ることはほぼないと思うので……」。1月3日、BSテレ東の『再会 ~今だから言える、聞ける、話せること~』で昨季で引退した上原浩治と阿部慎之助が対談した。(文中一部敬称略) 2人は阿部が2001年、巨人に入団してから上原がFAでメジャーへ移籍するまでの8年間バッテリーを組み、3度の優勝、1度の日本一を達成した名コンビだった。野球担当記者が話す。「ともに2000年代の巨人を引っ張ってきた選手ですが、引退に至る過程は対照的でした。上原は自身の決断とはいえ、5月に発表したこともあり、引退セレモニーもなし。阿部は本拠地最終戦で『4番・捕手』でスタメン出場し、試合後にはスピーチもあった。上原にも来季のオープン戦で引退試合が行なわれる可能性は残っていますが……」(以下同) 対談の最後に、2人が将来同じユニフォームを着る可能性を問われると、冒頭のように上原が答えた。番組では、来季から2軍監督に就任する阿部に『生え抜きは違う』と漏らす場面もあり、最後には松井秀喜や高橋由伸、阿部と同じチームでまた戦えたらという理想も語った。「上原は巨人からオファーさえあれば、指導者になる気もあるのではないでしょうか。しかし、巨人では一度、自らチームを出て行った選手が監督やコーチとして舞い戻るケースはほとんどない。上原が現役選手として2018年にメジャーから巨人に戻ったのは例外中の例外と言えます。同級生の盟友である高橋由伸監督、鹿取義隆ゼネラルマネージャー(ともに当時)の尽力が大きかった。しかし、その2人はもう球団にいません」 今季の首脳陣を見ても、巨人で現役を終えた選手がほとんどだ。「2軍投手コーチの木佐貫洋や3軍総合コーチの二岡智宏のように、巨人がトレードで放出した選手の場合、引退後に帰って来るケースはあります。しかし、自分から袖にしたと考えられれば、復帰は難しい。それでも巨人が復帰を懇願するのは、松井秀喜くらいでしょう。 たとえば、川相昌弘は2003年で現役を終えて翌年からコーチに就任するはずでしたが、原辰徳監督が急遽辞任したことで、去就も宙ぶらりんになり、中日に移籍した。このような経緯があったので、コーチとして巨人に復帰できた。それでも、2006年の引退から4年間は指導者として中日に残り、巨人に戻ったのは2011年でした。2015年限りで原監督が辞めた後、川相がヘッドコーチから監督に昇格する選択肢もあった。でも、選手として他球団のユニフォームを着ていたことがネックになったという噂もあります」 昨季14年ぶりに現場に復帰し、今季からヘッドコーチを務める元木大介は2005年オフに巨人から引退を促された。この時、オリックスから声が掛かっていたが、巨人一筋でユニフォームを脱ぐことを決断した。そのことも、現在の地位に繋がっているのかもしれない。「今季から1軍の野手総合コーチになった石井琢朗のように、現役時代に巨人を経験していない人が他球団での指導実績を買われて首脳陣入りすることはあります。しかし、一度巨人に関わりながら、自ら出て行くことを選択した選手には未だに厳しい。結果的には残留したもののFA宣言で移籍の意思を示した槙原寛己、2006年の退団後にメジャー移籍をした桑田真澄は候補として名前すら挙がらない。もちろん、彼らの知名度などを考えれば、コーチになるよりも現在の活動を続けたほうが収入は遥かにいいでしょう。でも、現場から声が掛かれば出向く可能性は十分ある。上原だって、そういう気持ちだと思いますよ」 番組で、阿部2軍監督から「春季キャンプに来てください」と話を振られても、上原は「アメリカにいるから」と濁すばかりだった。「巨人特有のお家事情を感じ取っているから、行きづらいのではないでしょうか。ワールドシリーズで胴上げ投手にまでなった上原がコーチとして加われば、間違いなくチームのプラスになる。臨時コーチとして来るだけでも、選手に与える影響は大きい。上原は日本人唯一の日米通算100勝100セーブ100ホールドを達成しているし、こんな経験値の高い人は他にいない。それなのに、巨人は呼ぶ意向を見せない。あくまでも日本一を目指すために首脳陣を決めるべきなのに、いつまでも古い慣習にこだわっている印象です」 昨年は5年ぶりの優勝を果たしたものの、日本シリーズではソフトバンクに4タテを喰らい、力の差を見せつけられた巨人。今オフのFA戦線では、楽天・美馬学とロッテ・鈴木大地の獲得を目指すも、失敗に終わった。大半のFA選手がジャイアンツのユニフォームに着たいと考えた時代ではなくなっている。巨人が再び“球界の盟主”として輝きを取り戻すためには、こうした古い慣習から脱却する必要があるのかもしれない。
2020.01.07 16:00
NEWSポストセブン
来季から2軍監督に就任する阿部慎之助(右は菅野智之。撮影:山崎力夫)
巨人・阿部慎之助、2軍監督就任は将来に向け理想の形か
 今季限りで引退する巨人・阿部慎之助が来季から2軍監督を務めると報道された。1軍コーチ、もしくは評論家として外から野球を勉強するという選択も予想される中で、選んだ進路は2軍監督だった。野球担当記者が話す。「原辰徳監督も1999年に巨人に復帰する際、本当は2軍監督からスタートしたかった。しかし、巨人サイドが難色を示し、1軍の野手総合コーチから始まった経緯がある。当時、2軍監督は、どちらかというと下に見られていた時代でした。しかし、2000年代には2軍監督経験者である梨田昌孝氏が近鉄や日本ハム、若松勉氏がヤクルト、岡田彰布氏が阪神、渡辺久信氏が西武を1軍監督として優勝させた。これによって、2軍監督で経験を積む重要性が認識されました」(以下同) 2010年代になっても、ヤクルトの真中満氏、ソフトバンクの秋山幸二氏が2軍監督というポジションを経て、1軍監督して日本一に輝いている。2軍監督を経験することにどんなメリットがあるのか。「育成が中心とはいえ、実際に試合で采配をふるえる。監督自身、試合で失敗することを通して成長していく。その機会を与えられることは、とても貴重です。王貞治氏は1980年に引退してすぐに巨人の助監督に就任しましたが、自分が指揮を執る時に役立ったとは言い難かったという旨を後年述べています。自分で決断を下すことのできないポジションであり、監督修業の場には向いていなかったのでしょう。 原監督はヘッドコーチ時代に長嶋茂雄監督の元で、指揮を任された経験があり、それがとても役立ったことを明かしています。また、手塩にかけて育てた選手が1軍監督になった時に活躍すれば、ファンも喜ぶ理想の形です」 阿部が2軍監督を務めたのち、1軍監督に就任すれば、巨人史上初となる。「球団や原監督は、阿部に2軍監督を2年、1軍のヘッドコーチを2年経験させ、その後に監督就任という青写真を描いているのではないでしょうか。高橋由伸氏は打撃兼任コーチを1年やっただけで監督に就任して、優勝できなかった。阿部に同じ轍は踏ませられない。今年の巨人は日本シリーズで4連敗したように、決して戦力的に他チームと比べて数段上とは言えなかった。阿部を指導者として育てるという構想を実現させるには、来季以降、原監督の元で巨人が優勝しなければならないでしょう」 日本シリーズでソフトバンクに力の差を見せつけられた巨人。昨年までセ・リーグ3連覇の広島が今年Bクラスに転落して緒方孝市監督が辞任したように、球界の一寸先は闇。巨人は阿部を思い通りに指導者として育てる期間を与えるためにも、勝ち続けなければならない。
2019.10.25 07:00
NEWSポストセブン

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