当時の岸信介首相は国会で「他国に基地を貸して自国のそれと協同して自国を守るようなことは従来、集団的自衛権として解釈されており、日本として持っている」と述べている。当時の内閣法制局長官も同じ国会答弁で、米軍への基地提供を集団的自衛権という言葉で理解すれば「(それを)日本の憲法は否定していない」と明快だ。
つまり、日本を守るために米軍に基地を提供した段階で集団的自衛権は容認されていた。いまはそこから事態が進んで、日本そのものではなく韓国を救援する米国の支援が眼目だ。そうであれば、ますます「集団的」と考えられる。
周辺事態法以来、国会では与野党が「外国の武力行使と一体化していれば集団的自衛権の行使」という前提で議論を続けてきた。マスコミもそれに乗ってきた。だが、そんな話は虚構ではないか。
間違いの始まりは「密約」からだ。韓国防衛には基地を使わないかのように国民を欺いてきたから、その後の政権は集団的の「しゅ」の字も言えなくなってしまった。いい加減でタブーを解禁し「日本の平和は極東の平和から」という安全保障の基本に立ち返った議論を望む。
文■長谷川幸洋:東京新聞・中日新聞論説副主幹。1953年生まれ。ジョンズ・ホプキンス大学大学院卒。政府の規制改革会議委員。近著に『2020年新聞は生き残れるか』(講談社)。
※週刊ポスト2014年5月23日号