王さんは2000年、北京市郊外での会議の休み時間に散歩に出かけたところ、軍用のナンバープレートをつけた車にはねられ死亡した。現場は見晴らしが良く、車もそれほど走っていないところで、通常ならば、運転手が歩いている人に気づかないことはないだけに、当時からこの交通事故は、周氏による謀殺ではないかとのうわさが流れた。
身柄を拘束された運転手はすぐに釈放され、無罪放免となっている。母を慕っていた二男の周涵氏は「事故は父親の周永康が仕組んだものだ」と主張し、いまも父親である周氏とは絶縁状態で、その後、この二男の行方も分からなくなった。このため、「二男も(周氏に)謀殺された」(一部香港メディア)との憶測やうわさが絶えない。
周氏は王さんの死去1年後、28歳も年下の中国国営中央テレビ局の美人リポーター、賈暁燁さんと再婚している。
いずれにしても、党中央規律検査委が14年間の王さんの交通事故を殺人事件として再捜査するということは異例中の異例だ。周氏が謀殺したとの何らかの確証がなければ、再捜査するはずはないと考えるのが普通だ。
周氏の審査・立件の本丸である汚職については、周氏の親族や石油天然ガス集団や四川省時代などの部下ら合わせて300人以上も逮捕されていることから立件は間違いない。収賄の額は9000億元(約1兆5000億円)といわれており、それだけでも死刑は免れない。
「それにも関わらず、殺人事件の立証を目指すのは周氏の悪逆非道ぶりを際立たせて、完全な有罪であることを証明することで、元最高幹部を追い込もうという習近平国家主席の思惑が働いている」と北京の党幹部筋は指摘する。