神カル読者にはおなじみの大狸先生こと〈板垣源蔵〉内科部長や、古狐先生こと〈内藤鴨一〉副部長にすれば煙たい存在だが、現代の病院経営が難しいのも事実。特に医療内容ではなく病名に応じて医療費が国庫から支払われる〈包括医療制度〉の導入以降、骨折の患者が肺炎を発症しても出るのは片方の治療費だけ。
つまり盲腸なら盲腸だけを治して回転率を上げる〈最低限の治療〉が国の方針であり、板垣は思うのだ。〈命は金に代えられないと言いつつも、国庫には金がない〉〈医療は金では換算できない、などと叫んでいるうちに、医療そのものが崩壊してしまっては、本末転倒になる〉
そしてある時、金山と出くわした板垣は意外な本音を聞く。〈私の仕事は、先生方に完璧な診療を求めることではありません。先生方が完璧に近づけるように環境を整えることにあります〉
「何かと事務方というのは悪者にされがちですが、医療器具の価格交渉まで医者がやらなければならない病院もあって、医者が医療に専念できるのは彼らに守られているおかげなんです」
答えがないからこそ考え続ける。それが本作の背骨だろうが、第3話「神様のカルテ」では研修医時代の一止が初めて担当した72歳の末期癌患者〈國枝さん〉の言葉が印象的だ。なぜか治療を待ってほしいという元国語教師の自宅を一止は度々訪ね、見事な蔵書を誇る書斎でよく本の話をした。
〈本にはね、先生。「正しい答え」が書いてあるわけではありません〉〈ヒトは、一生のうちで一個の人生しか生きられない。しかし本は、また別の人生があることを我々に教えてくれる。たくさんの小説を読めばたくさんの人生を体験できる〉