「『八紘一宇』の文字を刻むのにふさわしい塔にしようと、石材は世界中から集められた。当時日本の領土だった朝鮮半島や台湾はもちろん、日本人移民がいたアメリカやブラジルからも送られています」(黒岩氏)
当時、まだアメリカとの戦争は始まっていなかったが、日本軍は中国とは戦争状態にあった。そこで現地に展開する日本軍にも「石を送ってほしい」との要望が伝えられ、宮崎に中国の石が送られてきたという。
今回、中国の団体が問題にしているのは、このときに南京から宮崎に送られた3つの石。中には中国の想像上の生物「麒麟」の精巧な彫刻がほどこされたものもある。中国側はこれを「侵略戦争の結果、価値ある美術品が略奪されたものだ」として、返還を求めている。
しかし前出の黒岩氏はこういう。
「塔の建設は当時の宮崎県庁が主体になって行なった地域運動で、日本政府や軍はそこまで積極的に関与してはいないので、塔を日本軍の行動などと直接結びつけて“侵略戦争の象徴”というのは疑問です。また、塔の建設には多くの県民が勤労奉仕として関わり、年配の方には強い思い入れを持っている人も多い。戦後、『平和の塔』と名を変えながらも、取り壊す話もなく健在なのはそのためです」
県庁都市計画課によると今回の要求は中国側から直接来たのではなく、「宮崎県日中友好運動懇談会」という県内の市民団体が「中国側の話を伝達する」と県庁を訪れ、口頭で伝えてきたのだという。県内に住む懇談会の代表者に話を聞いた。
「塔には中国建国の祖・孫文の墓の一部の石材も使われており、中国では“侵略の象徴”です。こんなものが現存しているのは日本にとって恥ずかしいこと。我々は南京の団体と約3年前から交流をはじめ、話し合いの中で、共に宮崎県へ石の返還を求めようということになったのです」
※週刊ポスト2015年11月6日号